学歴高卒で上場企業の課長になるも「つまらない」 ラファエルが安定を捨てYouTuberになった理由
チャンネル登録者数170万人超えのYouTuber・ラファエル。元自衛隊で年齢は非公表、白い仮面をかぶり、過激な企画や豪遊生活、ヒカルとのコラボなどでYouTube界を盛り上げ続け約10年がたった。複数の会社を経営し、最愛の家族と暮らす現在をENCOUNTではインタビュー。前編では改めて「ラファエル」としてブレイクするまでの話をほぼ無修正で語ってもらった。

隊員も知らないような部隊に所属していいた自衛隊時代
チャンネル登録者数170万人超えのYouTuber・ラファエル。元自衛隊で年齢は非公表、白い仮面をかぶり、過激な企画や豪遊生活、ヒカルとのコラボなどでYouTube界を盛り上げ続け約10年がたった。複数の会社を経営し、最愛の家族と暮らす現在をENCOUNTではインタビュー。前編では改めて「ラファエル」としてブレイクするまでの話をほぼ無修正で語ってもらった。
◇ ◇ ◇ ◇
――YouTuberになる前、どのような過程で自衛隊に入ることになったのでしょうか。
「中学では真面目だったんです。ヤンキーでもなんでもないんですけど、勉強をしなかったので、頭が悪すぎて一番地元で悪い高校に落ちたんですよ。なので、定時制しか行けずに定時制高校に。卒業後に学もないので、就職どうしようってときに友達が自衛隊に入ったのと、公務員で安定しているだろうからってことで入りました」
――自衛隊ではどんな部隊にいたのでしょうか。
「これは言えないんですよね。もういまだと特殊作戦群とか一般的なニュースになっているような人たちがいると思うんですけど、そんなジャンルですね。自衛隊の隊員も知らないような特殊の通信系の部隊にいたんですよ」
――ラファエルさんにその部隊の適正があったということでしょうか。
「もう全部適正ですね。通信科自体が頭が良くないと入れない。頭ってのは学力というよりはIQなのかちょっと分からないですけど。自衛隊は入ってすぐに半日ぐらいかけてテストをするんですよ。そこで自衛隊のなかでレベルを計っているみたいで。そのレベルにあった部隊に必ず配置されるんですよ。最初の3か月は新人隊員一律の教育訓練を受けて、そこからは全国に飛び散って部隊が変わることは基本的には一生ないです」
――訓練はきつかったのでしょうか。
「いやいや、全然ですよ。きつくて辞める人はいるんですけど、僕は体力めっちゃあったので。そこは全く問題なかったですね。ただ一般的にはきついとされていますよね。自衛隊のなかって体力がめっちゃあるイコール優秀になるわけで。僕はずっと優秀だったので、しんどいと感じることはなかったです。例えばですけど、『今日1日腕立て、腹筋、懸垂を全部100回やってね』って言われたらしんどいですけどやれるじゃないですか。これが自衛隊の特徴で、自衛隊しか知らない人は辞めるんですよ。
面白いのは営業職を辞めて自衛隊に入った中途採用の人は絶対辞めないんですよ。外の方がしんどいことを分かってるから。なにもなければ腕立て1000回やってって言われたら誰でもできる。でも、車1台売ってって言われたら売れないんで。そういう理屈の理不尽さを分かっているので。一般的には外の30歳と自衛隊の30歳だったら、外の30歳の方が顔老けてるんですよ」
――自衛隊を辞めるきっかけは“お金”だったのでしょうか。
「きっかけはお金っていうのはあったんですけど、『お金、お金』っていう風にはしてなかったです。ただ営業職やった方が向いてるんじゃないか、歩合やった方が向いてるんじゃないかってなったんですよ」
――なぜ急にそう思うようになったのですか。
「結局、公務員で年功序列なので。僕はめっちゃ優秀だったんですよ。明らかに出世コースに乗るのは確定してたんですけど、大したことない先輩たちがいるわけじゃないですか。でも、その人に給料は追いつかないんですよ。そういう現実的なところで大人になるにつれて矛盾を感じますよね。
そうなったときに自分ができるギリギリの限界、ストレスになって挫折するような職種に行った場合ってどれくらい稼げるのだろうと。そこまで行って、自分のマックスの評価がされると思ったわけです。自衛隊のときって暇でしたね。どこの会社行っても優秀なやつって暇だなと思ってて、すごい暇になる。それでその時間にいろいろ考えちゃうんです」
――常にどこまで自分がやれるか測りたい欲があるわけですね。
「測りたい欲っていうよりは、自衛隊のときは大体自分がどこまでいけるか見えちゃった。やりたいことができちゃうのでつまらないんですよ。松本人志さんと島田紳助さんのラジオの対談で言ってたんですけど、嫌なこともしないと人間って退屈になるんですって。合ってる仕事に行っちゃうと退屈になる。それでつまらないので余計なこと考えちゃうんですよ」

当時の上場企業に入社…超優秀社員に
――その後、当時東証一部上場企業に入社されました。
「そうです。ちょうど新卒が僕の1個先輩になるぐらいのときに入りました。そこの会社は社員数何千人しかいないんですけど、会社の歴史史上一番早く主任に出世したんですよ。その流れで一番早く課長に出世する流れにもなるんです。ばりばりの法人営業をしてました」
――どんな会社員だったのでしょうか。
「アポイント取れないときは1日50件とか全然飛び込みますよ。アポ取れるってことはちょっとしゃべるってことなのでそのときは30件とかに落ちますけど。都心部担当だったので数をこなせちゃう。基本的には法人の飛び込み営業を延々としてましたね」
――法人の飛び込み営業ってどんな仕事内容でしたか。
「ノックはほとんどないですけど電話とか、会社に必ずインターホンあるので『営業に来ました』と言って担当者を呼び出してしゃべって商談してっていう流れですね」
――飛び込み営業は大変なイメージあるのですが、アポは取れるものなのでしょうか。
「やっぱり優秀なのでアポ、商談、見積もり、成約率の率が全部が高くなりますよね。普通の人が100件飛び込んでもアポは10件も取れないんじゃないですかね。だとしたら僕はもっと多いです。名古屋で働いてたんですけど、中部に8つぐらい営業所があるなかで、僕と同じ営業所の先輩2人の1か月の売り上げがその他全部よりも多かったです。飛びぬけて優秀だったので」
――なぜそこからYouTuberになったのでしょうか。
「結局それも自衛隊のときと全く同じ。ほんまに暇なやつ、優秀なやつって辞めちゃうんだなって。全く同じマインドになっちゃいました。もう普通営業マンって今月が終わったら来月ゼロからスタート。月初から胃が痛いのが営業マンだと思うんですけど、自分はそうならないんですよ。いくらでも取れちゃうんで。僕らは月末に他の営業所が達成しないから、来月の枠を1本ずらしてくれって言われてた側なので。年上が全員部下みたいな感じなので居心地がいいですよ。でもその上になると辞めたいってなるんですよ。そこにいる意義を感じられなかった僕と感じさせられなかった会社が悪いんでしょうね。
そこで入社当時見なかったものによそ見したり、人の会話とか拾っちゃうんです。例えば目に留めてなかったCMを見ちゃう。僕の場合はそれがたまたまHIKAKINさんのCMだったんです」
――「好きなことで、生きていく」ですか。
「それを見て、『これやってみよか』と。感覚的には見た瞬間に『これ稼げるんちゃう?』でした。ちょっとやってみようかなの中にも気持ちのグラデーションがあるんですよ」
――始めてからすぐにうまくいったのでしょうか。
「当時の時間軸で言うと遅咲きでしたね。1年半ぐらいかかりましたけど確信はありました。サラリーマンをやっていてそもそも余裕もあった。ラファエルとしてバズって有名になったときもサラリーマンだったので」
――確信とはどんなものだったのでしょうか。
「自分のなかでその考えはいまも変わらないんですけど、明確に価値観というかルールがった。当時はまだ僕、第2世代とか第1世代とギリギリのとこだった。先行者利益ってどこにでもあるんですよ。一番最初にやった人間が一番もうかるじゃないですか。それがたまたまYouTubeだったので。そのときに食いつく人間ってなかなか少ないのでそのときにたまたま食いつけた。いろんなプラットフォームで同じように食いつく人間ってたくさんいる。うまくいかなかった人間ってそのプラットフォーム自体が伸びなかっただけなんです。僕らはそのプラットフォームと、iPhoneの普及で追い風になって時代とともに成長したんです」
――当時はかなりの再生回数だったと思います。生活は変わったのでしょうか。
「お金持ってます系YouTuberでしたけど、YouTube当てるのはまた桁が違う。分かりやすく言うとサラリーマンのときに比べたら倍、倍になっていくので。一定までは本当にすごい増え方するんです。サラリーマンをやめるときは、副業としてたYouTubeで毎月500万円くらい安定して入ってきてたんですよ。そのとき編集、撮影が全て自分なので仕入れもないですし。利益率でいうといまよりいい状態。2か月で年収とか稼ぐくらいなので、もう1本でいいだろうってのが1年半ぐらい続いたので、サラリーマンを辞めるときも僕のなかではじっくり考えたつもりでした」
――動画が当たってすぐに会社員を辞めているイメージでした。
「タレント業の大変さとか分かってくるので会社員を辞めて最初の5年ぐらいはサラリーマンと同時に続けるべきだったなと思ったりもしましたけどね。そのとき伸び続けてましたけど、いつ終わってもおかしくない職業だと感じていました。お金をもらうと生活水準も倍以上変わるじゃないですか。生活水準を倍にしたら、生涯年収も倍以上稼がないと意味がない。サラリーマンを辞めてからそれに気が付きました。結果として稼げたのでいいですけど、実は危ないことやってるなって思ったっすね」
――続けることに怖さはなかったのですか。
「はい、その分必死になりましたね。そこで人生設計はできたので。当時(2020年)、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に出させてもらったときは『YouTuberは絶対やめない方がいい』って言いましたね。そこを凌駕して稼げるようになったのはもっと後の話。いま、周りのYouTube見てたら辞めない方がいいような結果になってる人多いと思うんですよね」
(前編終)
