2児の母・知花くらら、地方移住で“子育て悩み”から解放 当初は「孤独感」に直面も「お友達が増えて」

5歳と3歳のまな娘を育てるモデルの知花くららは、近年注目を集める「移住」に取り組んでいる当事者の一人だ。次女の出産を機に、夫と話し合い、2021年に都心から離れた「海辺の街」に拠点を移した。沖縄で生まれ育ち、大好きな海。一方で移住当初は、いつも心を洗ってもらえる海の景色からエネルギーを奪われてしまい、「孤独感」にさいなまれた。その窮地を救ってくれたのは、「人のつながり」だった。人生初のママ友、心優しい地元の人たちとの触れ合い……。今では子どもたちもすっかり地域に溶け込んでいる。5年目を迎える移住生活と子育て秘話を教えてくれた。

知花くららが移住生活と子育て秘話について明かした【写真:冨田味我】
知花くららが移住生活と子育て秘話について明かした【写真:冨田味我】

「海は生きるエネルギーを与えてくれます」 子どもたちと海辺を散歩しながらごみ拾いをするのが日課

 5歳と3歳のまな娘を育てるモデルの知花くららは、近年注目を集める「移住」に取り組んでいる当事者の一人だ。次女の出産を機に、夫と話し合い、2021年に都心から離れた「海辺の街」に拠点を移した。沖縄で生まれ育ち、大好きな海。一方で移住当初は、いつも心を洗ってもらえる海の景色からエネルギーを奪われてしまい、「孤独感」にさいなまれた。その窮地を救ってくれたのは、「人のつながり」だった。人生初のママ友、心優しい地元の人たちとの触れ合い……。今では子どもたちもすっかり地域に溶け込んでいる。5年目を迎える移住生活と子育て秘話を教えてくれた。(取材・文=吉原知也)

 芸能界の仕事の傍ら、育児と学び直し(リスキリング)にもチャレンジした、好奇心と情熱の人だ。

 長女を妊娠中の19年春、京都芸術大通信教育部建築デザインコースに編入学し、この年の10月に長女を出産した。21年春に同大を卒業。その4か月後の7月に次女を産んだ。朝方の授乳時に文献を読み、時には模型製作で徹夜を繰り返した日々を、家族のサポートを得ながら乗り越えた。22年に難関の二級建築士試験に合格した。

 思い立ったら即行動。大人になっての大学生活が一段落し、心がうずいた。

「次女の出産後、海が好きということもあって、『自然の近くで子育てもいいね』となって、『じゃあ移住しちゃう?』と決めました(笑)。子どもが小さい今だからこそ、家族で過ごす時間をより濃密にしたいという思いもありました」

 しかし、出産を終えて体力を戻していくタイミングで、国家資格の勉強の佳境とも重なった。少し無理が出てしまった。

「私にとって、海は生きるエネルギーを与えてくれます。海っぺりに住んでいて、その日の天候や海の状況がすごく近くに感じられます。ただ、私自身の状態がいい時は海からエネルギーをもらえるのに、状態がよくない時は不思議と私のエネルギーが持っていかれてしまうのです。都内のお友達が遠くなって環境に変化が出てきました。子育てをしている女性には少なからず孤独を感じる経験があると思いますが、移住当初の私はものすごく孤独感を覚え、それがどんどんと強まっていきました」

 ピンチから脱出する転機となったのは、ご近所さんへのあいさつだった。

「最初は、海辺の散歩でよく見かける同じマンションのご家族にあいさつをして、そこからいろいろと話すようになったんです。海外の方なのですが、『じゃあ日本人の友達とかもいるから紹介するね』とカジュアルに接していただいて。バーベキューでつながった家族もいて、ちょっとずつ知り合いに紹介していただき、お友達が増えていきました」。こうして、初めて住む場所で人の輪を広げていった。

 同世代の女性やママ友との交流。何気ないおしゃべりが心を癒やしてくれた。

「『なんか、海って見てると孤独になることあるよね』『分かる、分かる』みたいな。この会話だけでも心が救われます。それにお友達が『大変な時は、自分が子どもたちを見ててもいいからね』と言ってくれて。『じゃあ今度ご飯を作って持って行くね』とか『今度、どちらかのお家でピザを頼んで夕食をとろう』とか、そういった本当に小さな会話が私にとっては大事な瞬間になりました。『ああ、独りじゃないんだ』って」

 共感をしてもらえる友人の存在。「当時の私を救ってくれたのは、近所にできたお友達です。やっぱり、人ってつながりで救われるんだなと」。実感を込めて話す。

グローバルに活躍「人生は本当にやってみないと分からないな」

 大自然と優しいご近所さんたちに囲まれた暮らし。「子どもたちはもう本当にのびのび育っちゃってます」と笑顔を見せる。子どもたちと海辺を散歩しながら、ごみ拾いをするのが日課になっている。

 それに、都市部における子育ての悩みから解放されたことも大きかったという。「都会に住んでいると、子どもを静かにさせないといけない場面が多いような気がしています。そういった子育てのストレスになってしまう部分からも解放されました。それに、地域のコミュニティーがあって、あそこに行けばいつも誰かがいる、話し相手になってくれるおばあちゃんがいる、子どもたちが駄菓子を買いに行くお店がある……。そういった地域ならではのよさを感じています。ご近所のわんちゃんのお散歩の集会に、娘たちはよく遊びに行くのですが、こうやってコミュニティーの中に入れてもらえるのは、子どもたちにとってすごくいい経験になっていると思っています」と充実感をにじませる。

 学生時代は上智大で教育学を修得し、ママとなって挑んだ学び直し。建築の資格を取り、沖縄で生まれた自身のルーツに根差したプロジェクトを思い描いている。祖父の生家がある慶留間(げるま)島に、人々の交流の場を作るという大きな夢だ。

 これまでを全力で駆け抜け、新たな挑戦をする今、感じることがある。24歳の時に、人生を変えたミスコンテスト。06年にミス・ユニバースの世界大会で2位となり、大きく道が開けた。国連WFP(世界食糧計画)日本親善大使など、グローバル活動にも取り組んできた。

「ミス・ユニバースのあの晩から人生が180度変わりました。『人生は本当にやってみないと分からないな』。強くそれを感じています。挑戦してみないと見えない景色があると思っています。まだ見たことのない景色をもっと見ていきたいです」と結んだ。

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