長嶋茂雄さん、初対面で9時間連続トーク…紅白歌手で競馬界の大物が回顧「誰にでも分け隔てなく接する方でした」
歌手・山田太郎こと中山馬主協会の西川賢会長(76)が3日、インタグラムを更新し、肺炎のため死去したプロ野球巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(享年89)を追悼した。出会いは米ハワイからの帰国便。機内で長嶋さんが話し続けたエピソードを明かした。

『新聞少年』を大ヒットさせた山田太郎
歌手・山田太郎こと中山馬主協会の西川賢会長(76)が3日、インタグラムを更新し、肺炎のため死去したプロ野球巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(享年89)を追悼した。出会いは米ハワイからの帰国便。機内で長嶋さんが話し続けたエピソードを明かした。
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西川会長は長嶋さんとの2ショット写真をアップし、「長嶋監督の突然の訃報に大変驚いています。残念でなりません」とつづった。そして、忘れられない「出会いの日」を振り返った。
「監督との出会いは今でもよく覚えています。偶然ハワイ帰りの飛行機で隣の席になり、私、山田太郎の『新聞少年』という曲を沢山褒めてくださいました。監督は若かりし頃、新聞配達のアルバイトをしてグローブを買ったそうで、聞けばそれからずっと、現役の4番バッター時代にも『新聞少年』を聞いてくれていたそうです。私は眠剤を飲んだことも忘れ、一睡もせずに監督とお話し、気づけば成田空港に到着していました。飛行機の中で過ごしたこの9時間の事は今でも忘れません」
そして、「それからは度々食事会に呼んで頂き、大変お世話になりました。監督は大スターでありながら、誰にでも分け隔てなく接する方で、大変褒め上手、お話上手で、ものすごく気配りの出来る方でした」と長嶋さんへの感謝を示した。
また、「過去に一度有馬記念でご一緒した際には役員席にいらっしゃる監督を見つけた競馬ファンからの声援がレースの声援よりも大きく、改めて、監督は日本の大スターであると感じた瞬間でした」と回顧。「戦後の日本を盛り上げた長嶋監督は、日本の誇りです。89年間、お疲れ様でした。どうか安らかにお眠りください」と伝えた。
西川会長は、山田太郎としての1963年に歌手デビューした。65年には、父親で新栄プロダクション社長の西川幸男氏がプロデュースし、リリースしたシングル『新聞少年』が大ヒット。同年の『NHK紅白歌合戦』に初出場した。その後も歌手として活動しながら、父親から家業を継いで事務所経営、中山馬主協会会長など競馬界の要職を務めている。
