敵からも愛された長嶋茂雄さん、田淵幸一氏が明かす秘話「バッターボックスでカンニングされたんです」

プロ野球・巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で死去した。巨人などが発表。長島さんは89歳だった。悲しみが広がる中、元阪神でライバルの巨人と激闘を重ねた田淵幸一氏(78)が、11歳上の先輩を追悼した。

田淵幸一氏(2017年撮影)【写真:産経新聞社】
田淵幸一氏(2017年撮影)【写真:産経新聞社】

3本塁打の後は「よく打ったね~」

 プロ野球・巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で死去した。巨人などが発表。長島さんは89歳だった。悲しみが広がる中、元阪神でライバルの巨人と激闘を重ねた田淵幸一氏(78)が、11歳上の先輩を追悼した。

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 現在、文化人として活動する田淵氏が、所属事務所を通じてコメントを寄せた。

「悲しくて、寂しくて残念です…。いつかは来るとは思っていましたが、突然でしたから」

 11歳上の長嶋さんを初めて意識したのは、法政大時代だったという。

「長嶋さんが8本塁打という東京六大学野球記録を持っていたからです」

 長く破られていない記録だったが、田淵氏が3年春には長嶋氏の記録を抜き、通算本塁打を22本まで伸ばした。

 大学野球を終えると、阪神に入団して背番号は「22」。すぐに捕手で主軸となった同氏は、長嶋さんとのやり取りが忘れられないという。

「長嶋さん、バッターボックスで俺のミットをカンニングするんですよ。マスク越しに目と目が合って、『ダメですよ』って言ったら、『左目でピッチャーを見て、右目でキャッチャーを見るんだ』と言っていました。カメレオンみたいでしたよ。他にも、(江夏)豊から2三振を喫した後、3打席目に『長嶋さんの位置、マウンドまで遠く感じるな~』と思ったら、バッターボックスから出ていたんです。足で白いラインを消すわけ。それで、また『ダメですよ』って言ったら、『田渕くん、ごめんね』って謝るの」

 それでも、田淵氏は「ミスターは計算高くない。お客さんを喜ばせる気持ちが強かった。無意識だったと思う。生粋のショーマンでした」と振り返った。

 そして、長嶋さんから褒められたことも明かした。

「後楽園球場で1試合3本塁打を打った時、ダイヤモンドを回って三塁の守備位置にいた長嶋さんが『田淵君、よく打ったね~』と笑顔で褒めてくれました。今でも思い出します」

 敵から愛された「ミスタープロ野球」。田淵氏は最後に「お疲れ様でした」と言い、故人をしのんだ。

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