「お前が言うなら1回だけ」 浜田雅功を説得した番組P、今だから明かす『ダウンタウンDX』の舞台裏
元テレビ東京プロデューサーの高橋弘樹氏がビジネスパーソン向けに展開するYouTubeチャンネル・ReHacQの人気企画『なぜ会社辞めたんですか?』に22年間人気バラエティー番組『ダウンタウンDX』の演出・プロデューサーとして活躍した元読売テレビの西田二郎氏が出演した。高視聴率をたたき出した人気企画を生んだ秘密や、人気絶頂のダウンタウンにユニークな企画を認めさせるプレゼンテーションのコツを明かした。

ヒット企画のヒントは「成増にあるスーパー」
元テレビ東京プロデューサーの高橋弘樹氏がビジネスパーソン向けに展開するYouTubeチャンネル・ReHacQの人気企画『なぜ会社辞めたんですか?』に22年間人気バラエティー番組『ダウンタウンDX』の演出・プロデューサーとして活躍した元読売テレビの西田二郎氏が出演した。高視聴率をたたき出した人気企画を生んだ秘密や、人気絶頂のダウンタウンにユニークな企画を認めさせるプレゼンテーションのコツを明かした。
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西田氏は、1989年に読売テレビへ入社。バラエティー番組『11PM』『EXテレビ』でADとして経験を積み、93年からは『ダウンタウンDX』を担当。22年間にわたって番組に関わり続け、「スターの私服」「視聴者は見た!」など数々の人気企画を生み出し、高視聴率を記録する名プロデューサーとして名をはせた。2025年3月には、同社を早期退職した。
そんな西田氏が『ダウンタウンDX』のディレクター、プロデューサーを任されたのは1993年、番組放送開始のタイミングだった。しかし、当時すでに人気絶頂だったダウンタウンに対し、「実は、ほとんど知らなかった」と意外な告白。
「周りはみんな“ダウンタウンと仕事したい”って言ってたけど、僕は入社前からあえて見ないようにしてたんです」と語る。その理由は、放送作家の鮫肌文殊氏の存在にあったという。
「学生時代、鮫肌さんの書くコラムが天才的で大好きだったんです。でも、あるときその鮫肌さんが、“天才が出てきた”と書いた相手がダウンタウンだった。それがちょっと悔しかったんですよ(笑)。僕は鮫肌さんをずっと見ていたのに、“もっとすごいのがいるぞ”って言われた気がして。『もうええわ』って、あえて距離を置くようになりました」と当時の胸の内を明かした。
そうして読売テレビに入社した西田氏は、『ダウンタウンDX』の担当となった後も、先輩や上司の理解のもと、“ダウンタウンを知らないまま”演出・制作を続けるという、異色の関係を築いていった。
そんな中、西田氏は『ダウンタウンDX』で、“スタジオ入りするゲストの私服”を紹介する「スターの私服」や、“視聴者からの目撃情報をゲスト本人にぶつける”という「視聴者は見た!」など、ダウンタウン出演の他番組とは一線を画すユニークな企画を次々と発案。そこには、“視聴率を継続させる”というテレビの宿命に向き合う、西田氏の強い問題意識があった。
「番組って、変えていかないと視聴率を維持できないんです。どうしたらいいかと考えていた時に、“タレントさんの日常”を切り取る企画があれば面白いんじゃないか、と思いついたんです。それが『スターの私服』につながりました。でも実は、ダウンタウンの2人はそういう“芸能人の私生活”みたいなところには全く興味がなく、この企画を浜田さんにプレゼンしたときの反応は、『何が面白いの?』って、一発で却下されました(笑)」
それでも諦めなかった西田氏は、「一度引っ込めて、また次に提案して……」というプロセスを何度も繰り返した。「最終的には浜田さんに『一回はもうええわ。お前が言うてんねやったらそれはええよ。ただ、どんだけ面白くなるか分からへんし、俺はひとこともしゃべらんかもしれんからな。それでもええんか?』って言われたんです。それでも“やります!”って返しました」。
ダウンタウンは「ちょっと疑いながらも、向き合ってくれていた」
そうして始まった「スターの私服」。カメラの前でクルクルと私服を披露する芸能人たちの姿は、意外性と素の魅力を引き出し、視聴率はグングン上昇。今や番組を象徴する名物コーナーとなった。その粘りと発想力に、対談していたインタビュアーの高橋氏も思わず「視聴率との向き合い方、思い出しましたよ。テレビ東京時代、楽しかった」と、口にした。
さらに西田氏は、ダウンタウンの2人の「関係性」についてこう語った。
「ダウンタウンのお二人は、『ダウンタウンDXでは、自分たちがちゃんとせんと番組がスベったように見えてしまう』って、思われてたと思います。特に僕のことは『二郎は信じきったらあかん』とも思ってたみたいで(笑)。『あいつ、めっちゃ楽しそうに何か言ってるけど、全然分からへん。分からへんのに、なんか楽しそうに話すから不思議なやつやな』って、ちょっと疑いながらも、向き合ってくれてたと思います」
高橋氏が「なんで、そんな“よく分からん西田さんの言うこと”を、それでも聞こうと思ったんですかね?」と問いかけると、西田氏は、「なんなんでしょうね……。でも、やっぱり学生時代にダウンタウンを“見てこなかった”っていうのは大きかったかも。事前の知識とか先入観がなかったからこそ、その場その場でちゃんと向き合えた。僕にとっては目の前にいる“ダウンタウン”がすべてだったから、変に萎縮することもなかったんです」と、ダウンタウンに憧れを持たずにいた学生時代が、むしろ現場での真正面のやり取りを生み、結果として企画を通す力になったと明かした。
こうしたヒット企画は、いったい何をヒントに生まれてくるのか。その問いに対して、西田氏が明かしたのは、まさかの答えだった。
「東京都板橋区の成増にあるスーパーに入り浸って、買い物客をずっと観察していたんです」
なぜ、成増のスーパーなのか。その理由について西田氏は、「テレビの視聴率を測る“受像機”を置いている家庭が、きっとこのあたりにある気がしたんです。実際にそこに行くと、“言葉にならない情報”が見えてくる。例えば“ネギをさしてる人が多いな~、ちょっと寒くなってきたからかな”とか。数字や言葉じゃなく、なんとなく感じることが大事なんですよ」。
続けて、「“成増で買い物をしている人たち”が、受像機を置いている人の属性に近いと、何の根拠もなく信じてたんです(笑)。会議で理屈をこねる前に、僕はとにかく成増に行って、“その人たちの気持ち”になろうとした。で、値段や数字をメモするんじゃなくて、“言葉になる前のもの”を感じまくる。言葉から始めた企画は改めてフィルターを通して理屈が必要となるが“感じたもの”をもとに出た言葉は、そのまま伝わる。だから僕が『出たー!』ってテンションで企画を語ると、ダウンタウンの2人も『よく分からんけど聞いてみよか』ってなったんだと思います」。
「感性のようでいて、ちゃんと理屈がある」。そんな独特のマーケティング手法は、スーパーの買い物客の背中にも現れていたという。「いろんな方がいました。“あ、ちょっと疲れてるな”って人もいれば、“今日お父さんの誕生日なんかな?”っていう人も。軽やかな足取りの人もいれば、どっしりとした背中の人もいて。買い物袋を下げた背中には、それぞれの生活がにじんでたんです」。
人の暮らしを“数字”ではなく“空気”で読み解く。西田二郎氏の“成増メソッド”は、テレビの企画会議には絶対に出てこない、感性の現場主義だった。
