43歳・知花くらら、2児育てながらの学び直し「本当に大変でした」 家族に支えられ難関試験に合格

妊娠・出産・子育て期間中に挑戦したのは、“大学生に戻ること”だった。モデルの知花くららは、長女を妊娠中に建築学を修得しようと、37歳の時に京都芸術大に社会人入学。通信制のオンライン受講と実技や模型製作の対面授業をこなし、出産を経て、次女の妊娠中に卒業した。2児を育てながらさらなる勉学に励み、二級建築士試験に合格を果たした。ママとなって30代後半で挑戦したリスキリング(学び直し)は「本当に大変でした」。その背景には、沖縄で生まれた自身のルーツに根差した大きな夢があるという。43歳の働くママの広がり続ける人生設計とは。

ライフワークと人生設計について語る知花くらら【写真:冨田味我】
ライフワークと人生設計について語る知花くらら【写真:冨田味我】

家事・育児・勉強…てんてこ舞いの生活 夫がカバー「義理の家族にもサポートをお願いしました」

 妊娠・出産・子育て期間中に挑戦したのは、“大学生に戻ること”だった。モデルの知花くららは、長女を妊娠中に建築学を修得しようと、37歳の時に京都芸術大に社会人入学。通信制のオンライン受講と実技や模型製作の対面授業をこなし、出産を経て、次女の妊娠中に卒業した。2児を育てながらさらなる勉学に励み、二級建築士試験に合格を果たした。ママとなって30代後半で挑戦したリスキリング(学び直し)は「本当に大変でした」。その背景には、沖縄で生まれた自身のルーツに根差した大きな夢があるという。43歳の働くママの広がり続ける人生設計とは。(取材・文=吉原知也)

 沖縄・那覇からフェリーで約90分の場所にある離島の慶留間(げるま)島。ここに父方の祖父の生家がある。その大事な家を譲り受けたことが、すべてのきっかけだ。「生家を建て直してほしいという祖父の願いを聞きました。どうやって建て直そうかと考えた時、自分で建築の知識を身に付けて、自分で取り組みたい。その思いがわいてきました」。

 学生時代は上智大で教育学を学んだ。もともと興味のあった「建築」を学び直すにあたり、持ち前のチャレンジ精神がうずいた。「最初は、『楽しそう!』という軽い気持ちから始まりました。大学という学び舎に戻って建築を学ぶ、そこに憧れを抱いていました。知り合いの建築家の方に相談しに行った際に、『建築を学んだら、世界の見方が変わりますよ』と背中を押していただきました。私自身、世界を巡っていろんな旅をしてきましたが、もっと違う見方ができるのかなとワクワクして……」。

 長女を妊娠中の2019年春、京都芸術大通信教育部建築デザインコースに編入学し、この年の10月に長女を出産した。「始めてみたら、大変で大変で」。時間のやりくりや体力面など想像以上の困難が待っていた。普段の講義や課題提出、試験はオンラインで対応した。模型を作ったり、図面を書いたり、プレゼン発表をする実技の授業は、土日に都内にあるキャンパスに通った。

「明け方の授乳の時は、子守歌を歌いながらミルクをあげるのですが、このまま赤ちゃんが寝てほしいなという思いを持ちながら、文献を読む。そんな毎日でした。レポートの課題の締め切りから逆算すると、この早朝の時間でやらざるを得ませんでした。模型を作っていると朝日が昇る。徹夜する時もありました」。時間の制約の中で苦労を重ねた日々を振り返る。

 21年春に無事に卒業。その4か月後の7月に次女を出産している。家事、育児、勉強。2年間のてんてこ舞いの生活を支えてくれたのは、家族だった。

「そんな状態だと、ついつい食べるのを忘れてしまうんです。そこは夫がカバーしてくれました。体調を崩さないようにと、夫がこまめに料理などのサポートをしてくれました。キャンパスに行く週末は鬼門でした。保育園がやっていなくて、『土曜保育が見つかっても、日曜日はどうするんだ』となって。そこは家族の持ち回りで面倒を見るという形で、心苦しいですが、義理の家族にもサポートをお願いしました。義理の母、義理の姉にも本当に助けてもらいました」

 学び直しを考えている女性たちに向けて伝えたいメッセージがあるという。「妊娠・出産などを含めて、女性は見えないところで体力を消耗したり、見えない物理的な負担が大きかったりします。社会人のリスキリングには必ず周囲のサポートが必要になります。それを全く考えずに始めることはおすすめしません。もし家族のサポートがなかったら、私は卒業できていなかったです。事前に、ご家族や周囲の方々ときちんと話し合いをして、できるだけサポート体制を整えて、学び直しを始めてほしいと思います」と語りかける。

祖父の生家がある沖縄・慶留間島への思い「つながりを生み出していければ」

 京都芸術大卒業の翌年に、難関の二級建築士試験に合格。今現在、地域貢献をテーマに据えた壮大なプロジェクトを思い描いている。

 慶留間島は、人口60人程度の小さな島。周囲の諸島を含めて、過疎化にあえいでいる。「何とかしないと」――。島全体が持つ危機感を共有し、人が集まる新しい“交流の場”を建てるという夢だ。

「私は、建築というものは未来への手紙であると思っています。建物には『何を残したいか』という今を生きている私たちのメッセージが込められ、何十年も残っていくものです。慶留間島の島全体の景観につながるものですし、きちんと精査して考えていきたいです。先日、島の行政の方とお話をする機会があったのですが、人口減少が喫緊の課題だとお伺いしました。島の人たちが、今後どうありたいのか、島の文化や島らしさをどうやって残していきたいのか。きちんとお聞きしたうえで、一緒に取り組んでいけたらいいなと思っています」と、真剣なまなざしを送る。

 東日本大震災を契機に個人として取り組んできた事業がある。福島の子どもたちを慶留間島に招き、保養キャンプを通して交流する「げるまキャンプ」。現在は新型コロナウイルス禍の影響を受けて休止しているが、建築プロジェクトとの連携も検討しているという。

 40代を過ぎて、新たに見定めたライフワーク。「島に建築物を建てるにあたり、外から来た人が滞在・宿泊できるような施設にしたいと思っています。そうすることで島の雇用が生まれ、島の人たちとの交流が増えていって、最終的には、島がまた元気になるような取り組みになればと願っています。『空間があることでいろいろなものがつながっていく』。私が設計した建築を通して、そのつながりを生み出していければ」と、力強く前を見据えた。

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