中山秀征、歌手の夢断たれた下積み時代 親のいない生活で栄養失調「終わりだと思った」
タレントの中山秀征が26日、都内で自身の新刊『気くばりのススメ』(すばる舎)の発売記念イベントを開催。波乱万丈な人生を振り返り、衝撃のエピソードを披露した。

司会イメージ定着も「目指していたわけではありません」
タレントの中山秀征が26日、都内で自身の新刊『気くばりのススメ』(すばる舎)の発売記念イベントを開催。波乱万丈な人生を振り返り、衝撃のエピソードを披露した。
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芸能生活40周年を迎えた中山は、「あっという間と言えばあっという間。長いと言えば長かった」と感慨深げにコメント。15歳で上京、16歳でワタナベプロダクションに入所し、17歳でデビューを果たしが、「最初は歌で事務所に入った。しかしレッスンを積んでいく中で歌は向いていない、お芝居も向いていないと言われた。お笑い班ができて、『お笑いで結果を残したら、やりたい歌、芝居ができるぞ。やってみろ』と言われたのが、1984年でした」と回想した。
お笑いコンビ・ABブラザーズとして活動を始めたが、お笑い第三世代ブームを迎え「ダウンタウン、ウッチャンナンチャンという大きな波に飲み込まれていく。20歳の時にはもう『ABブラザーズは古い』と言われていた。コンビとしては負けたけど、個人としてはこれからだと志したのは23歳くらいです」と苦笑。歌手の夢を絶たれた際は事務所を辞める選択肢もあったというが、「そこでNOと言ったら田舎に帰るだけ。藁にすがる気持ちでやれるものをすべてやってみた。それが私の芸能生活40年すべてだと思います」と話し、「司会も目指していたわけではありません。チャンスをもらったのが、『DAISUKI!』、『THE 夜もヒッパレ』という番組。自分がやりたかったことというよりも、人に与えてもらって評価を受けた。やったことがないことをやり続けた40年です」と自負した。
芸能生活の中で特に印象的だった出来事を聞くと、高校時代は教師の家に居候していたことを告白。「飲まず食わずの生活をしていたら栄養失調になった。朝、目が見えなくなり、体が動かなくなって、その時に終わりだと思った。病院に行って事なきは得るのですが、それで視力は落ちました。親がいない生活、自分勝手な生活で、東京に来て夢が近づくはずが遠のいていった。それがこの40年のスタートでした」と下積み時代について語った。
本書は、中山が人間関係の達人たちから学んできたコミュニケーションの真髄を明かした一冊。気くばりを出発点に、話し方、聞き方、初対面、雑談、日常会話、スピーチ、人付き合いなど、さまざまな観点から伝授する。
