街中に3000人の大行列が発生…パチンコ店に行列ができるワケ 数年前は徹夜並びも当たり前?
午前中の街中にできた大行列を目にしたことのある人も多いだろう。パチンコ店の開店前の時間には店舗前にお目当ての台を確保しようと多数のユーザーが列をなす。祝日や周年日などのいわゆる“特定日”が重なるとその数は数千になることもある。今年のゴールデンウイーク(GW)は、深夜0時前に数百人の行列ができた店舗や約3000人が押し寄せた店舗など、想像以上の集客力で混乱を招いた。今回、長年にわたり専門誌のライターとして活動を続ける濱マモルがパチンコ店の“行列の歴史”を振り返る。

過去には「モーニング台」や「開店プロ」の存在も
午前中の街中にできた大行列を目にしたことのある人も多いだろう。パチンコ店の開店前の時間には店舗前にお目当ての台を確保しようと多数のユーザーが列をなす。祝日や周年日などのいわゆる“特定日”が重なるとその数は数千になることもある。今年のゴールデンウイーク(GW)は、深夜0時前に数百人の行列ができた店舗や約3000人が押し寄せた店舗など、想像以上の集客力で混乱を招いた。今回、長年にわたり専門誌のライターとして活動を続ける濱マモルがパチンコ店の“行列の歴史”を振り返る。(文=濱マモル)
◇ ◇ ◇
ゴールデンウイーク初日の4月26日、東京下町の某店がグランドオープン2周年を迎えた。当日、ホール側は「朝8時前の並びNG」と告知したにも関わらず、混雑しすぎたことで急遽対応。そのまま抽選を打ち切ったそうだ。聞くところによると、3000人近くが集まったという。
当該店舗の前身となるホールには、仕事の実戦で何度か訪れたことがあった。特定日などはそれなりに並んでいたようだが、比較的、快適な空間だった。よって、当時の状況からは、そんなにパチンコ・パチスロファンが大挙しただなんてにわかに信じがたいが、その日のデータを見れば納得。大盤振舞だったようだ。
かつて、多くのホールは先着入場だった。とはいえ、整列などはしておらず、入り口に扇状で待機。開店と同時に店員がドアを開けると、一斉にダッシュしたものだった。その当時は、“モーニング”なるサービスがあった。主に、パチスロにあらかじめ大当りを仕込んでおくというもので、これを打てば1枚でビッグをそろえられる。早くシマにたどり着ければ、それだけ多くの台を回せるわけだ。
筆者がパチンコ・パチスロを打ち始めた頃は、羽根モノでもモーニングを設定できるものがあった。それは、今は亡き奥村遊機の「ビックリ・ハウス2」で、電源ON/OFF時は役モノ上部のセグが「7」からスタート。その際は役モノ中央にある回転体の動きが変化し、「V入賞」しやすくなるのである。
決して、大当り確定なわけではない。大当り後は再び「7」から始まって連チャンが狙えるものの、当時は多くのホールで「定量打ち止め」というルールが存在。いくら頑張っても2500発ほどしか出せない中、盤面のガラスが割れるほど、大の大人がポップなビジュアルの羽根モノを全力で取り合っている姿は、同じパチンコ・パチスロファンながらも、ちょっと引いてしまったものだ。
モーニングで、この熱量である。となると、新装開店ともなればもはや言うに及ばず。しかも、当時は各メーカーが台を乱発していなかったことから新装開店自体がレアであり、ホール前は大混雑したものだった。この新装開店を狙う、開店プロもいたほどだ。
そんな並びに拍車がかかったのは、パチスロ4号機「爆裂AT機」の到来ではないだろうか。それまでも、サミーのCT機「ウルトラマンクラブ3」など、最高設定のみズバ抜けた爆発力を有すものもあったが、爆裂AT機の最高設定は別格。インターネットの普及も手伝って、イベント日には徹夜、なんなら前日の営業中から、数十万円の勝利を目論んで並ぶ者も少なくなかった。
それが影響してか否かは分からないが、現在は抽選入場が主流だ。抽選であれば、受けることさえできれば誰でも1番に入場できる可能性がある。そう考えれば、好状況が見込める周年日に3000人近くが集まるのも理解できなくもないわけだが、いまや外国人旅行客であふれる下町、その旅行客は、さぞかし驚いたのではないだろうか。
