小学生に浸透する「ギャル文化」 かつて派手だった女の子が母になり…28歳“ギャル校長”が語る最新事情
1990年代中盤から2000年代前半に日本中を席巻したギャル文化は、驚きの進化を遂げていた。幼少期から“渋谷のギャル”に憧れ、21歳の時に休刊していたギャル雑誌『egg』を復活させ、現在は通信制のサポート校『渋谷女子インターナショナルスクール(シブジョ)』の校長を務める赤荻瞳さんは、28歳の今もギャルの生き方を体現し続ける1人だ。自分の好きなことを貫く「ギャルマインド」を掲げ、令和の時代を生きる女子高校生たちの夢を後押ししている。そんな今、小学生の間でギャルファッションがにわかに注目されているという。当時派手派手だったティーンがママになり、子どもに“継承”。そんなギャルの現在地とは。

小学生ギャルたちが「パラパラを踊って、ギャルファッションを追求」
1990年代中盤から2000年代前半に日本中を席巻したギャル文化は、驚きの進化を遂げていた。幼少期から“渋谷のギャル”に憧れ、21歳の時に休刊していたギャル雑誌『egg』を復活させ、現在は通信制のサポート校『渋谷女子インターナショナルスクール(シブジョ)』の校長を務める赤荻瞳さんは、28歳の今もギャルの生き方を体現し続ける1人だ。自分の好きなことを貫く「ギャルマインド」を掲げ、令和の時代を生きる女子高校生たちの夢を後押ししている。そんな今、小学生の間でギャルファッションがにわかに注目されているという。当時派手派手だったティーンがママになり、子どもに“継承”。そんなギャルの現在地とは。(取材・文=吉原知也)
勢いでポジティブに突き進む。これが赤荻さんの生きる道だ。ギャルに憧れて育ち、高2で中退して「渋谷で生きていくことを決めました」。ギャルサーにのめり込み、埼玉の実家から東京・渋谷にほぼ毎日通った。
19歳の時に広告代理店に入社。ここで、当時休刊していたegg復活の話が持ち上がり、「私にやらせてください」と立候補。21歳で編集長に就任し、2018年のウェブ版での復活、19年の雑誌としての復刊などに尽力した。編集長を“卒業”したあと、26歳で校長の大役を、これまた立候補で引き受けた。
ティーン世代のサポートに取り組もうと思ったのは、1つのきっかけがある。“令和の白ギャル”と呼ばれ、モデル・タレントとして人気を集めるゆうちゃみの存在だ。実は無名時代のゆうちゃみをegg専属モデルに採用したのは、赤荻さん。「渋谷の宮益坂のカフェで面接をしたのですが、第一印象から礼儀正しくていい子でした。当時から、テレビに毎日出るような1番のギャルタレントになりたいと話していて、一緒に頑張りました」。花開いたゆうちゃみ。10代の少女たちが持つキラキラした夢を、一緒になってかなえてあげたい。それが赤荻さんの新たな原動力となった。
2023年度から開校したシブジョは、「自分の好きなことを伸ばす」をモットーに、提携する通信制高校のカリキュラムを通じて高校卒業資格を取得することができ、「渋谷から世界に羽ばたく!」をテーマに、英会話、SNSや動画編集、ビジネス企画力といったスキルを学ぶ仕組みとなっている。

1時間目のスタートは午前11時「おしゃれしたい子はメイクをばっちりできます」
シブジョの授業はオンラインではなく、生徒たちは渋谷駅近くの校舎に通い、寮も完備。メイクや英会話の専門家、インフルエンサーたちから実践的な授業を受けている。3年生10人、2年生25人、新入学の1年生35人。1時間目のスタートは午前11時に設定しており、「おしゃれしたい子はメイクをばっちりできますし、朝無理せずに片道2時間かけて通っている子もいます。起業を目指して一生懸命ビジネスを学んでいる子もいます」。すでに芸能界で活躍している生徒もいて、中高生に大人気の恋愛リアリティー番組に出演した“あいさ”、“米澤りあ”は同校に所属。「SNSや動画編集をもとに社会で活躍する現役生徒として頑張っていますよ!」と胸を張る。
校長としてこの春で“3年生”になる。「めっちゃ楽しいですよ。来春には初めての卒業生を送り出すことになるので、その責任を強く感じています。校長になって自分自身も学んでいます。ギャルサー時代もegg編集長時代も、目立ちたい子たちと一緒になって前に進んでいくスタイルで、集団をまとめていました。でも、生徒の中には、静かに授業を受けたい子もいれば、将来裏方として頑張りたいと思っている子もいます。生徒1人1人と向き合う学校運営を目指して、みんなが楽しめるように。日々スタッフたちと話し合って試行錯誤しています」。
かつて、90年代、平成の世を風靡(ふうび)した「コギャル」「アムラー」をはじめ、「ガングロ」「ヤマンバ」など変遷を繰り返してきたギャル文化。今は、「白ギャル」とも呼ばれ、時代と共にギャルの定義がどんどん変わっているようにも見える。赤荻さんはどう考えているのか。
「私が10代で渋谷に通っていた全盛期は2010年代前半ですが、最後の野生のマンバの生き残りが友達にいました(笑)。10年代のアイドルブームによって、ギャルもナチュラルメイク、黒髪などジャンルが分かれていきました。今はSNSの普及でもっと細分化されています。多様なタイプのギャルがいて、自分を表現しています。私が10代の頃は、渋谷から埼玉の地元に帰ると、白い目で見られることもありました。今は、もはや『ギャルか、ギャルじゃないか』というギャルの境目がどんどん薄れています。それだけ、自分の好きなことを表現する自由が広がっている。私はポジティブに捉えています」

ギャルマインドとは「自分の好きなことを貫いている」
一方で、ギャルらしさを表すメイクやファッションの定義が無限に拡大されるとなると、何をもってギャルと言えるのか。令和のギャルの“判断基準”はあるのか。
「私自身、憧れて憧れて、『なんでもっと早い時代に産まれなかったんだろう』と悩んだこともありました。でも、好きなメイクやファッションを楽しむ、自分が好きなものを貫く。それがギャルマインドで、この心を持っていればギャルであると言えますし、一生楽しむことができます。今の時代、ギャルの見た目の定義は難しくなっています。『自分の好きなことを貫いている』。そんなギャルマインドを持っている子は、実際に会ってみるとすぐに分かりますし、SNSでギャルマインドを発信できる子は、投稿を見ていくだけでも伝わってきます。それもギャルの才能だと思っています」。興味深い見解を聞かせてくれた。
さらに、ギャルは世代を超えて受け継がれているという。「いま、小学生ギャルが増えていて、超盛り上がっています! シブジョの今年1年生で現役eggモデルのじゅなという子がいて、その子が小学生ギャルとしてバズり、それをきっかけに小学生ギャルが増えました。その流れから、『KOGYARU』というメディアを立ち上げました。パラパラを踊って、ギャルファッションを追求していて、今の小学生は、キーホルダーをヘアアクセサリーにアレンジしたりしていて、アイデア活用が本当に上手なんです。地方でイベントをやると、2000人、3000人が集まります。小学生が『ギャル』という言葉を知らない時期がありましたが、またどんどん浸透してきています。ギャルだった女の子がお母さんになって、母娘でギャルを楽しんでいる。そうやってギャル文化はまた盛り上がっているんですよ」と力強く語る。
ギャルの未来は安泰で、「ギャルは世界で最高にハッピーな生き物です!」。締めの言葉が、明るく響き渡った。
