相田翔子、鈴木早智子は「特別な人」 激動だったWinkデビューを回想「よく陰で泣いていた」
歌手で俳優の相田翔子が6月15日、東京・COTTON CLUBでソロライブ『SHOKO AIDA Live at COTTON CLUB 2025~with love III~』を開催する。1988年に鈴木早智子とアイドルデュオ・Winkを結成し、同年にデビュー。翌89年の日本レコード大賞受賞曲『淋しい熱帯魚』などヒット曲を連発し、当時のアイドルシーンをけん引してきた。96年にデュオの活動は停止するが、今回のライブではWink時代の曲も披露するという。そこでライブにかける思いや、彼女の原点であるWinkについて話を聞いた。

6月15日にソロライブ『SHOKO AIDA Live at COTTON CLUB 2025~with love III~』を開催
歌手で俳優の相田翔子が6月15日、東京・COTTON CLUBでソロライブ『SHOKO AIDA Live at COTTON CLUB 2025~with love III~』を開催する。1988年に鈴木早智子とアイドルデュオ・Winkを結成し、同年にデビュー。翌89年の日本レコード大賞受賞曲『淋しい熱帯魚』などヒット曲を連発し、当時のアイドルシーンをけん引してきた。96年にデュオの活動は停止するが、今回のライブではWink時代の曲も披露するという。そこでライブにかける思いや、彼女の原点であるWinkについて話を聞いた。(取材・文=福嶋剛)
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相田はWinkの活動停止に伴い、96年4月からソロ活動をスタートさせ、今年節目の30年目を迎えた。仕事と一人娘の子育てと多忙な日々を過ごす中、音楽活動だけは休むことなく続けてきた。特にライブへのこだわりは強く、今回は“with love”をテーマに掲げ、ハンド編成で“原点回帰”となるステージを展開する。
「今までファンのみなさんからリクエスト曲を募って歌うことが多かったのですが、今回は、シンガー・ソングライターとしての出発地点に戻ってみようと思いました。その一つがボサノバです。Winkの頃は、緊張ばかりしていて、身も心もいっぱいいっぱいでした。そんな時に出会った音楽で、まるで水のように体にも心にも染み込んでいき、救われました。当時の夢中で音楽作りに励んでいた頃を思い出しながら、今回はさまざまな私の原点の曲を披露したいと思っています」
COTTON CLUBでのライブは3年ぶりとなり、期待がかかる。そして相田は、もうひとつ大切な原点であるWinkについても語ってくれた。Winkがデビューしたのは今から37年前の1988年4月27日のこと。今でも鮮明に覚えているというデビュー記念日を振り返り、“驚きの事実”を打ち明けた。
「Winkはアイドルではなくアーティストとして売り出そうとしていたんです。それで当時の所属事務所の社長に、『うちはアーティストだから新人キャンペーンはやらない』と言われ、デビュー日は、家のこたつでテレビを見ていました(笑)」
デビュー曲は『Sugar Baby Love』。イギリスのバンド・ルベッツが1974年にヒットさせた『シュガー・ベイビー・ラブ』のカバーソングで、南野陽子が主演したフジテレビ系連続ドラマ『熱っぽいの!』(1988年4月期)の主題歌に起用された。
「いきなりドラマ主題歌に決まり周りの期待も大きかったので、2人で(鈴木早智子と)『今日(4月27日)から私たちの人生が変わる』『毎日、明るい照明の下に立って緊張する場面がいっぱいあるんだろうな』って内心ドキドキしていました」
ところが、当時のオリコン週間チャートは最高位20位に終わった。
「『私たちって本当にデビューしたのかな?』って思うくらいひっそりしていました。何のお呼びも掛からなくてスケジュールも真っ白で、早智子に『私たち、この先どうなるんだろう』って電話したり……。心配になって近所のレコード店に行くと私たちのCDやレコードが置いてあり、ポスターも貼ってあったので『ちゃんと売ってる』って(笑)。でも自分たちのポスターの前に立っても誰も気付く人はいませんでした」
期待に反する結果に事務所の社長が方針を変更した。
「あまりにも伸び悩んでいたので突然社長が『よし、キャンペーンをやるぞ!』と言い出して、その年の夏から全国キャンペーンを始めました。レコード店のあいさつ回りや地方キャンペーンで飛び回り、とってもハードな毎日が始まりました」
2枚目のシングル『アマリリス』(88年9月)は、写真家の篠山紀信さん(昨年83歳で死去)がジャケット写真を撮影する力の入れようだったがオリコンチャートは30位止まりと、振るわなかった。
「急にキャンペーンを始めても、なかなか人が集まらなくて、よく陰で泣いていました。ドキドキしながら会場に入ると全然人がいなくて『こんなに椅子を出していただいたのに申し訳ない』と思って……。いつも『申し訳ない』という気持ちがありました。早智子と『次で終わりかな』って話をするようになりました」
不安な気持ちが募る中で発売された3枚目のシングル『愛が止まらない ~Turn it into love~』(88年11月)はオーストラリアの歌手・カイリー・ミノーグのカバーソングで、再び南野陽子主演のフジテレビ系連続ドラマ『追いかけたいの!』(88年10月期)の主題歌に起用された。すると初登場こそオリコンチャート19位だったが、その後、徐々にランクアップし、初の1位を獲得した。
「カイリー・ミノーグさんの曲だったので全国のクラブで曲がかかったんですね。同時にWinkが日本語カバーをしていたので『誰が歌ってるの?』というところから火がついて有線でも流れるようになりました。『やっとここから始まる』って思ったのを覚えています」
こう話し、当時の勢いを肌で感じていたことを明かした。ちなみに、カイリー・ミノーグは今年3月に17年ぶりとなる来日公演が実現し、観客のリクエストに応えて『Turn it into love』を即興で歌った。相田は公演に行けなかったといい、残念そうに「その光景は見たかったですね」と語った。

相田翔子が明かした鈴木早智子とのワゴン車の日々
Winkはその後、ブレイク。89年7月にリリースした5枚目のシングル『淋しい熱帯魚』で、同年の『第31回日本レコード大賞』を受賞するなど、1990年代前半のアイドルシーンをけん引した。96年3月をもってWinkは活動停止となるが、一時代を過ごし苦楽を共にしたメンバー・鈴木について聞くと「ひと言では言い表せない特別な存在」と語り、当時の思い出を話してくれた。
「テレビやライブで歌う場面なると、私はいつも『どうしよう』って緊張しておどおどしていました。そんな時、早智子は私の手をぎゅーっと握って『大丈夫! しっかりしなさい!』って、その手を引っ張ってくれました。いつも早智子に支えられていた気がします」
さらに、“アーティスト・鈴木”を称えた。
「あの頃の私は必死すぎて、レコ―ディングでは自分のパートを確認するだけで精一杯でした。でも今改めてWinkの曲を聴いてみると、早智子の声はとっても甘くて魅力的なんですね。私のハスキーな声質と重なると、『こんなに心地良い声になるんだ』って再確認しました」
鈴木との思い出話は尽きない。
「思い出すのは楽しい思い出ばかりです。キャンペーンやコンサートでワゴン車に乗って早智子と全国を回り、睡眠時間がないのに2人でずっと車中でしゃべって、たくさん笑いました。若かったので、年頃の話もいっぱいしましたね。早智子は、大親友でもあり、姉妹でもあり、戦友でもあり、ライバルでもあったかな(笑)。特別な人です。もうこの先、そんな人は早智子以外、現れないでしょうね」
鈴木とは今でも連絡を取り合う仲だという。
「デビュー記念日はよく連絡を取り合っています。早智子は一時期お休みをしていたみたいですけど、最近はいろんなところで活動しているという話を聞くので、うれしく思います。また2人で乾杯できたらいいなって、思います」
6月のソロライブではWinkの思い出の曲も披露する予定だ。
「紛れもなくWinkは私の原点です。ファンのみなさんも思い出がたくさんあると思います。やっぱりみなさんに喜んでいただけるライブが一番ですから、今回もライブの後半はWinkのヒット曲をどんどん歌いたいと思います。よかったらぜひ遊びにいらしてください」
いつか2人でステージに立つその日まで相田はWinkを大切に歌い継いでいく。
□相田翔子(あいだ・しょうこ)1970年2月23日、東京都生まれ。88年、鈴木早智子とアイドルデュオ・Winkを結成し、同年にデビュー。多くのヒット曲を出し、1989年、5枚目シングル『淋しい熱帯魚』で日本レコード大賞を受賞した。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。96年、Winkの活動を停止し、ソロ活動を開始。俳優、タレントとしても活動し、数々の作品や番組に出演。2008年に結婚し、12年に長女が誕生。160センチ。血液型B。
