「間質性肺炎急性増悪」患った82歳・ささきいさおが復帰…一時は死を覚悟「携帯の画面がまっ茶色に見えました」

「間質性肺炎急性増悪」で自宅静養していた歌手・ささきいさお(82)が24日、都内で芸能活動復帰会見を行った。緊急入院した際には「死を覚悟した」ほどの重症だったが、奇跡的に回復したという。現在は体調管理に努めながら、7月のデビュー65周年記念イベントへ向けて準備中。アニソンの大王が再始動した。

闘病の状況を説明し、再起を宣言したささきいさお【写真:ENCOUNT編集部】
闘病の状況を説明し、再起を宣言したささきいさお【写真:ENCOUNT編集部】

今月27日開催のイベントで現場復帰の予定

「間質性肺炎急性増悪」で自宅静養していた歌手・ささきいさお(82)が24日、都内で芸能活動復帰会見を行った。緊急入院した際には「死を覚悟した」ほどの重症だったが、奇跡的に回復したという。現在は体調管理に努めながら、7月のデビュー65周年記念イベントへ向けて準備中。アニソンの大王が再始動した。(取材・文=笹森文彦)

 ささきが病の発症から振り返った。1月23日昼ごろ、都内の仕事場に地下鉄で向かっていた時に気絶。気付くと、乗り越していた。

「よく覚えていないけど、携帯で電話をしようとした画面がまっ茶色に見えました」

 自力で自宅に戻り、倒れ込んだ。外出していた夫人が帰宅して、すぐに救急車を呼んだ。搬送された病院で「間質性肺炎急性増悪」と診断され、集中治療室(ICU)に運び込まれた。

「間質性肺炎急性増悪」は感染症などをきっかけに、肺の間質と呼ばれる部分に炎症や損傷が起こり、呼吸不全などの症状が急激に進む病気。ささきは通常、90%以上の酸素量が50%にまで低下し酸欠状態だった。医師は夫人に厳しい状態を伝え、「延命措置をするかどうか」の判断を問う書類を提示したという。

 その後、ステロイド注射が功を奏し、3日間でICUから一般病棟に移った。その際、看護師らから「絶対に元気になって復帰してください」と言われたという。

「初めて、多くの人のおかげで自分は生かされているという気持ちになりました」

 体重は減り、階段の上り下りなど、今も厳しい。一時期は声が出なかったが、医師からは「奇跡的な回復」と言われたという。

「歌い手は(肺活量があるので)肺の病気には抵抗力があったのではと思います。前の通りには行かないと思うけど、声も出て自信も生まれたので、できる範囲で頑張ろうと思います」

 ささきは、1960年に和製エルビス・プレスリーの触れ込みで、ロカビリー歌手としてデビュー。その後、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』の主題歌を大ヒットさせ、「アニソン界の大王」と呼ばれるようになった。

 2022年12月には、『マジンガーZ』の主題歌で知られる「アニソンの帝王」水木一郎さん(享年74)が亡くなった。アニソンの黎明(れいめい)期を一緒に支えた盟友だった。23年2月には『ヤマト』『999』を生んだ漫画家・松本零士さん(同85)が逝った。当時、ささきは「自分が一生懸命やることこそが長老の役割」と話していた。

 65周年の早々に活動を休止したが、ささきは「水木が亡くなった時、奥さんから『これからも水木のことをステージで話して』と願われました。自分の歌だけでなく、水木ら仲間の歌をこれからも歌っていきたいです」と話した。今月27日には東京・大田区のZepp Hanedaで開催される「スーパーロボット魂 2025東京」で現場復帰する予定。「リハーサルで声が出たので大丈夫と思うが、ダメだったら、ダメでしたと言えますから」と笑わせた。

 7月16日には「デビュー65周年記念 ベストアルバム」(仮題)を発売。同20日には「65周年記念イベント」をZepp Hanedaで開催する。「65年は綱渡りで生きて来たましたが、『神様は俺のことを見捨てていないな』と思います。『俺は運がいいんだ』と思って、(これからも)やっていきたいです」と話していた。

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