GLAY最大のピンチとは HISASHIが明かす「YOSHIKIが家から出てこない」デビュー秘話
ロックバンド・GLAYのギタリスト HISASHI、氣志團の綾小路翔が14日放送のフジテレビ系『ぽかぽか』(月曜~金曜午前11時50分)に出演した。GLAY最大の危機が明かされた。

GLAYはYOSHIKIプロデュースによる楽曲でメジャーデビューした
ロックバンド・GLAYのギタリスト HISASHI、氣志團の綾小路翔が14日放送のフジテレビ系『ぽかぽか』(月曜~金曜午前11時50分)に出演した。GLAY最大の危機が明かされた。
2人が仲良くなるきっかけを作ったのは、GLAYのリーダー・TAKUROだったそう。HISASHIは「TAKUROが『氣志團っていうすごいバンドがいる。一緒にライブに行こう。HISASHIも絶対好きだ』って言われて」と、TAKUROが太鼓判を押していたことを振り返った。
HISASHIから見た綾小路の印象は「ステージのままがプライベートに出てる。とにかくエンターテインメント色が強くて、みんなを楽しませたいっていう人なので」と絶賛。これを聞いた綾小路は「もったいないお言葉でございます」と恐縮しきりだった。
一方、綾小路はHISASHIについて「スーパースターですけどオタクとギャルが一緒に住んでいるんです」と独特な例えで表現。これにHISASHIは大笑いし、「オタクは分かるんですよ」と納得しながら「ギャルは分かんない」と返した。
続けて、綾小路は「オープンマインドなんですよ。誰にでも優しい。当然スターは個室じゃなきゃいけないと思うのに『大丈夫』って言って、どこでも普通に来ちゃう。ちょっと心配してナイト気取りです、いつも」と語り、HISASHIは「(活動)30年やってますけど、あんまり自分の立場が分かってない。意識が薄いんだと思います」と本音を打ち明けた。
さらに「GLAY 数々の修羅場乗り越えてきたっぽい」に、HISASHIは「○」の札を掲げた。GLAY史上3大ピンチは「YOSHIKIのレコーディングで日本のライブが飛ぶ!?」「CMタイアップは決まるが曲がない」「ライブに客が殺到してチケットなしで入場!?」と紹介。
1994年、GLAYはX JAPANのYOSHIKIプロデュースによる楽曲でメジャーデビュー。そのレコーディングはロサンゼルスで行われた。しかしHISASHIは「YOSHIKIさんがなかなか家から出てこなくて」と、当時の予想外のエピソードを披露。曲は完成していたものの、肝心のレコーディングは進まず、滞在期間だけがどんどん減っていったという。
結局、後半になってようやくYOSHIKIがスタジオ入り。レコーディングがスタートしたものの、スケジュールが押しに押してしまい、日本で予定されていたライブに間に合わない事態に。HISASHIとJIROだけは先にレコーディングを終え帰国したが、TERUとTAKUROはYOSHIKIと共にロスに残ることに。日本では他のバンドとスプリットツアーを回る予定だったが、GLAYだけメンバーがそろわなかったため、会場でファンに謝罪する羽目に。デビュー前だったため、具体的な事情を明かすことはできず、HISASHIは「いろいろあって……日本にいなくて」と濁して説明したことを振り返った。
また、最近はスタジオレコーディングのスタイルも変化。「コロナ禍を経て、リモートレコーディングとかでできた曲もたくさんありますね」と現在の制作事情も語った。
解散危機は1度あった。1999年にレコード大賞を受賞し、紅白歌合戦にも出場。そして2000年を迎えるカウントダウンライブを幕張で行った。そのライブが終わったら、“GLAYをやめよう”とメンバーの間で決めていたという。
「忙しすぎて、とにかくバンドをやっているよりも撮られている方が多くて、レコーディングしていても1人メンバーがいないとか。音楽の作り方が真剣じゃなくなってきて。これはバンドが危ないなと思った。バンドがつまんなくやるくらいだったら終わろうと。でも新年会はやるんですよ。TAKUROの家に集まって。それで、今年でGLAYやめるんだよねみたいな話をして、今までいろいろあったけど楽しかったねみたいな。TERUが『ソロ考えてるんだよね』って言って、(ギターを)弾いて見せる。『ちょっとそこコードこういう風にしたほうがいいよ』とか、『いや、違う。俺だったらこうするな』みたいな。そしたら、GLAY始まったんですよ、また」と、再び音楽活動が始まっていったことを明かした。
