超スパルタだった長与千種、引退表明の加藤園子が回顧「竹刀でボッコボコ」「人生でいちばんつらかった」
長与千種が1995年に旗揚げした女子プロレス団体「GAEA JAPAN」の1期生で、今年が選手生活30周年の加藤園子(48)が13日、引退を表明した。11月23日、後楽園ホールで開催する自主興行が最後の舞台となる加藤にGAEA JAPAN時代の超スパルタ育成、さらに銀座で生きるセカンドキャリアについて聞いた。

実は2008年頃から銀座で働く加藤、セカンドキャリアも「ここに骨をうずめる覚悟」
長与千種が1995年に旗揚げした女子プロレス団体「GAEA JAPAN」の1期生で、今年が選手生活30周年の加藤園子(48)が13日、引退を表明した。11月23日、後楽園ホールで開催する自主興行が最後の舞台となる加藤にGAEA JAPAN時代の超スパルタ育成、さらに銀座で生きるセカンドキャリアについて聞いた。(取材・文=伊藤雅奈子)
「GAEAの寮(兼道場)に住んでいたころは社会と分断されていたので、厳しすぎる規則が当たり前だと思ってました。たとえば、電話は3分以内。一度、ひとりで30分以上使ったことがあって、それが長与(千種)さんにバレたときには、めっちゃくちゃ怒られました。あと、門限。最初が(午後)6時で、途中から8時になったんですけど、誰かが1分でも過ぎると、全員が6時に逆戻り。『いま全員そろってます』という電話を入れなきゃいけなくて、抜き打ちで『全員に替われ』と言われることもあるので、嘘をついてもバレる(笑)」
道場では、長与が竹刀を持つことも。
「たとえば6人タッグマッチなら、動きがいい、3カウントを取った選手からどんどん抜けていくんですね。植松(寿絵)や永島(千佳世)はいち抜けで、残るのは自分と里村(明衣子)、シュガー(佐藤)あたりで、最後に残った1対1で動けなかったら、竹刀でボッコボコ。『もう動けませんじゃなくて、動くんだよ。苦しいところから勝負だ』って言われて、それは試合を重ねていくにつれて、わかりました。本番は勝負がついたら終わるけど、練習は勝負がついても終わらないからほんっとにキツくて、人生でいちばんつらかった。でも、GAEAがなければいまの自分はいないし、解散して今年でちょうど20年なのに、GAEAブランドはすごいと、特に地方に行ったときに痛感してます。感謝どころかそれ以上で、ふさわしい言葉が見つからない」
気になるセカンドキャリアは。
「2008年前後から銀座で働いていて、いまは会員制スナック「Upper」のGM(ゼネラルマネージャー)の立場にいるので、ここに骨をうずめる覚悟です。プロレスも銀座も特殊な世界ですけど、店で、『いままでプロレスに興味がなかったけど、一度行くよ』と言ってくださったお客さまが実際にチケットを買って、会場に来てくれている。1人が2人、2人が3人に増えているので、微力ながらも店を通じて、プロレスに恩返しできてるかなって思います」
引退まで残り7か月。いま、何を思うか。
「小学1年生のときにクラッシュ・ギャルズを見て、衝撃を受けて、同じ世界に入って、あこがれた人のもとでプロレスをやれた私の人生。プロレスとは、切っても切れない縁だと思ってます。けど、両膝に首、目、実は腰、肩も悪くて、はっきりいって満身創痍。リングに上がれなくて苦しかった時間が長かった分、1試合に懸ける思いが強くて、試合前はいまでもすっごく緊張するんですね。ここから先はすべてが引退ロードになっていくので、より一層大切な試合になっていきます。引退したら2度とリングに上がらないですし、物理的に上がれない。だからこそ、会場で見届けて、みなさんの心のなかに加藤園子を刻んでほしいです」
□加藤園子(かとう・そのこ)1976年6月11日、愛知県生まれ。OZアカデミー所属。1995年4月15日に後楽園ホールで旗揚げされた「GAEA JAPAN」の生え抜きとして、同期の里村明衣子を相手にプロレスデビュー。OZアカデミー認定無差別級、同タッグ王座などを戴冠し、現在は水波綾とAAAWタッグ王座に就いている。11月23日、後楽園ホールで開催する自主興行で、30年間の選手生活に幕を下ろす。
