“ポストクラッシュ・ギャルズ”48歳・加藤園子が現役引退を表明、15回も手術「これはいままで誰にも言ってこなかったんですけど…」

長与千種が1995年に旗揚げした女子プロレス団体「GAEA JAPAN」の1期生で、今年が選手生活30周年の加藤園子(48)が、引退を表明した。OZアカデミー4・13後楽園ホール大会で、同期の里村明衣子と同じコーナーに並んだあと、突然の引退宣言。英断の裏で、何が起こっていたのか。

引退を表明した加藤園子【写真:(C)OZアカデミー】
引退を表明した加藤園子【写真:(C)OZアカデミー】

長与千種が旗揚げした「GAEA JAPAN」1期生

 長与千種が1995年に旗揚げした女子プロレス団体「GAEA JAPAN」の1期生で、今年が選手生活30周年の加藤園子(48)が、引退を表明した。OZアカデミー4・13後楽園ホール大会で、同期の里村明衣子と同じコーナーに並んだあと、突然の引退宣言。英断の裏で、何が起こっていたのか。(取材・文=伊藤雅奈子)

「30周年であるということが大きいんですけど、正直にいってしまうとケガですね。GAEA時代に、両膝を前十字靭帯断裂と半月板損傷で全損、摘出していて、肘も合わせると15回も手術をしているんです。20代後半のときに医師から、『おまえの膝は65歳だ』って言われていて、それでも治して、医師からGOサインが出たのでOZアカデミーで復帰して、ここまで続けてこられましたけど、実は変形性膝関節症が進行している状態なんです。それが、理由のひとつ。あと、これはいままで誰にも言ってこなかったんですけど、目です。間欠性外斜視という診断を下されていたんです、2年前に」

 斜視の矯正手術といえば、元テレビプロデューサーで演出家のテリー伊藤が公表している。加藤の場合は、どういう状態にあるのか。

「趣味でゴルフをやるんですけど、昼から夕方にかけたラウンドになると、ボールが2個に見えはじめたんですね。ちょっとした段でつまずいたり、エスカレーターが怖くなったり。選手は右利きが多いから、蹴りやパンチも右で、そうすると左で受けることが多くなっていくなかで、左目の焦点が合わなくなっていったんです。でも、そういう打撃だけが原因ではなくて、それ以前に患っていた眼窩底骨折が引き金となって、大学病院で精密検査を重ねていくなかで出た結論が、さっきの病名。プロレスはケガをするためのスポーツではないし、相手に絶対させてはいけない。自分はケガで5年8カ月も休んでるから、正式には30周年ではないかもしれないけど、これからの人生を考えたときに、『今年(が潮時)かな』と。うまく付きあいながら、引退まで走りきることができるのがこのタイミングだと思って、決断しました」

 振り返ればちょうど30年前、イメージカラーが青の加藤はライオネス飛鳥、赤の里村は長与のポジションを与えられた。「ポストクラッシュ・ギャルズ」として、業界から最注目された。

「“ポスト・クラッシュ”といわれることにプレッシャーはなくて、生意気ですけど、当たり前だと思ってました。実際に人気投票では上だったし、私と里村がいつもセミファイナルかメインイベント。でも、3年が過ぎたあたりから、破天荒な里村と比較されはじめて、長与さんから怒られるのはいつも自分。はっきり言われたんです、『おまえは駄作だ』って。伸び悩んで、ケガをしているのに、テーピングでグルグル巻きにしながら試合に出てるから、動きがどんどん悪くなっていく。もがいてもがいて、欠場と復帰を繰り返すようになっていきました」

□加藤園子(かとう・そのこ)1976年6月11日、愛知県生まれ。OZアカデミー所属。1995年4月15日に後楽園ホールで旗揚げされたGAEA JAPANの生え抜きとして、同期の里村明衣子を相手にプロレスデビュー。OZアカデミー認定無差別級、同タッグ王座などを戴冠し、現在は水波綾とAAAWタッグ王座に就いている。11月23日、後楽園ホールで開催する自主興行で、30年間の選手生活に幕を下ろす。

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