ベルトの輝きはチャンピオン次第 プロレスの楽しみ方は無尽蔵【連載vol.3】
王者の力で決まるベルトの価値
2013年10月、3本のベルトのデザインを生かした「3冠ヘビー級王座」のベルトが披露され、25年ごしに文字通り統一ベルトとなった。初めて新ベルトを手にしたのは第46代王者の諏訪魔。感無量の表情だった。
その後、3本のベルトは馬場家に返還されたが、第62代王者・宮原健斗が昨年2月、馬場没後20年追善興行で、3本のベルトを披露している。ちなみに宮原はUN王座を腰に巻いていた。
いつの時代から、プロレスを見始めたかで、各王座のイメージは違う。UNといえば、鶴田、天龍をあげる人が多いだろうが、記者はアントニオ猪木。1971年3月、ロサンゼルスでUN王者となった猪木だが、4回防衛した後、日本プロレスを除名され返上している。思えば半年ほどのUN王者・猪木だったが、馬場に激しいライバル心を抱いていた猪木のベルト姿に、ファン時代にしびれまくっていた。
PWFは馬場が全日本を設立した際に認定されたベルトであり、馬場の代名詞だった。
インターナショナルは日プロの看板タイトルであり、力道山、馬場と日プロのエースの証だったが、後に全日本が管理すると、鶴田が保持し「日本プロレス史のエース」の座を引き継いだ感がある。
いずれにせよ、王座の評価を決めるのは王者であり、ベルトが光るか、くすむかはチャンピオン次第。かつて、現在は米WWEで大活躍する中邑真輔がIWGPインターコンチネンタル王座を同ヘビー級王座に勝るとも劣らないほど、輝かせたことがある。
連綿と続く歴史あるベルト、新調されたベルト、封印されたベルト、復活したベルト。それぞれの名勝負が甦る。ファン1人ひとりの中にも「このベルトはこれ」という代表選手、ベストバウトが存在することだろう。
ベルトの歴史とチャンピオンの力量。プロレス観戦の魅力は果てしない。(文中敬称略)