三角コーナーに盛られた食事「泣きながら食べました」 社会を敵に回した壮絶な幼少期「本当に大人なんてクソばっかりだ」
引きこもりやネットカフェ民など自分に自信が持てず、社会からドロップアウトした人を積極的に採用している会社がある。仕事の内容は新聞勧誘で、成績を上げて年収1000万円に届く人もいるなど、諦めかけた人生の再起を後押ししている。なぜ、このような取り組みをしているのだろうか。自らも壮絶な半生を歩んだという株式会社アナザーレジェンドの稲月仁一代表に聞いた。

新聞業界はオワコン? 否…知名度は抜群、大きなチャンスに
引きこもりやネットカフェ民など自分に自信が持てず、社会からドロップアウトした人を積極的に採用している会社がある。仕事の内容は新聞勧誘で、成績を上げて年収1000万円に届く人もいるなど、諦めかけた人生の再起を後押ししている。なぜ、このような取り組みをしているのだろうか。自らも壮絶な半生を歩んだという株式会社アナザーレジェンドの稲月仁一代表に聞いた。(取材・文=水沼一夫)
「誰も知らないところでもう一度自分づくりしてみませんか?」
「今までの人生をリセットしてやり直せる、特別な環境をご用意しました」
「なんと手ぶらで入社も可能です!」
これは、稲月さんがSNSに投稿している求人募集の言葉だ。いわゆる一般的な企業の人材募集とは明らかに異なる“メッセージ”を届けている。
稲月氏は、採用の狙いをこう語った。
「新聞の営業って特殊で、元営業マンとか、元高学歴とか元エリートさん、元不動産のトップ営業マン……、全然ダメです。もう3日と持たないですよ。でも逆にプータローだけど、もう人生変えるしかないみたいな感覚で来る人たちというのは、やるしかないから頑張る。頑張った結果、人生が変わっていくんですよね。逆転現象も起こって、5年勤めてる子を昨日来たプータローの子が抜いたりすることがあるんですよ。歓迎会の時に、『先輩のおかげでありがとうございました』なんて言ってる新人のほうが収入が高いみたいなこと、普通はありえないじゃないですか。でも、そんなことも過去に起こってきたので、可能性という1点だけで言えばとっても面白い仕事だと思っています」
仕事は新聞の勧誘だ。具体的には、決められたエリアの中で、アポなしでの飛び込み営業を100件以上こなす。雇用形態は業務委託で、その日の契約数によって収入が決まるが、6か月間は最低保証20万円がセーフティーネットとして用意され、その上でそれ以上が出来高によって上乗せされていく仕組みだ。寮を完備し、家賃は出勤日数によって実質無料となり、食事の補助もある。
新聞業界はネットに押されて低迷し、発行部数も減少の一途をたどる。ただ、そこに商機があると、稲月さんは説く。
「よく、なんで新聞なんかやってんの? 時代とも逆行してるし、オワコンじゃんって言われるんですけど、そうじゃない。単価が低くて、世間の認知度は100%。それこそ見込み客だけは数千万人いる。誰でも知っている商材で、日本全国の値段が一緒だから(営業も)ものすごく勧めやすい」
ネットを開けば真偽不明な情報がはんらん。その中で、新聞記者が取材した精度の高い情報を求めるニーズは根強く存在している。新聞の営業スタッフは減少しており、販売代理店からの営業要請も引く手あまただ。大きなチャンスが転がっているという。
とはいえ、飛び込み営業の繰り返しは、精神的なタフさも求められそうだ。だが、“ワケあり人材”中心の採用は、適性という意味で、条件に合致していると稲月さんは明かす。彼らの強みを聞くと、「行き場がないと思っているところです」と即座に言い切った。
ほかでもない稲月さん自身がサクセスストーリーの体現者だ。新潟生まれで5歳の時、両親が離婚し、父方に引き取られた。
「おやじが非常に破天荒な人間。飲む打つ買うの三拍子で、5歳までしか実の母親とは一緒にいられませんでした。そのあと6歳の時に再婚。相手は6歳上の姉ちゃんと9歳上の姉ちゃんを育てるスナックのママさんだったんですね。でも、おやじは再婚してすぐに、2人のお姉ちゃんの結婚資金300万円を自分の借金返済に充ててしまった。そこから始まって、大げんかの日々でした。家に帰っても、誰もおかえりとかっていう会話はなくて、母はうつ病で寝込んでいるし、お姉ちゃんは跳ね返っているし、自分も本当に針のむしろに帰るような感覚でした」

「悪魔の子は悪魔だ」絶望の幼少期…中2がターニングポイントに
まだ小学生ながら「お恥ずかしい話ですけども、近くのヤマザキデイリーストアに行って、パンの耳をもらって帰ってくるような子どもでした」と金銭的にも困窮した。そのうわさが地元で広まると、「お前は俺に恥をかかせたいのか」と容赦なく殴られた。仕方なく、海岸でカラス貝を焼き雑草を食べて空腹を満たした。
料理を手伝おうとしても、「邪魔だ」と言われ、逆に食事の時間に遅れていくと、ごはんは用意されなかった。
「ある日、遅れていったら、ご飯がなかったので、あれって思っていたら、『台所にあるよ』って言うから、台所をよく見たら、シンクの三角コーナーにご飯盛られて、魚とみそ汁がかけられて置いてあった。泣きながらその三角コーナーのごはんを食べました」
幸せとは無縁。「あんまり笑った記憶もない」と生きることに絶望する日々。高学年になると問題児となり、「稲月くんと遊ぶんじゃありません」と避けられるようになった。修学旅行もグループに入れず、先生と行動した。
「ろくでもない子どもだったと思います。悪魔の子は悪魔だ、みたいな感じだったと思いますし、実際そう言われたこともある。その時はもう自分の中では社会全体が敵になっていて、本当に大人なんてクソばっかりだ、みたいに勝手に思っていましたから。誰にも分かってもらえないっていう寂しさからだったと思いますけど」
そんな稲月さんに転機が訪れたのは中学進学後だった。
「救われたのは中学2年になって、新聞配達できるようになったんですね」
自宅を出て祖母の家で暮らしながら、自らの手で収入を得ることができた。世界が変わった。
「昭和の頃って新聞配達と牛乳配達は認められてたんですよね。やっぱり下着も替えてもらえなかったりしてたので、黄色いパンツで、おしっこのシミがすごく恥ずかしかった。その辺なんかも自分で買えばいい話なので」
高校生になると、今度は飲食店でのアルバイトに精を出した。
「『すいません、お水』とか『おしぼり』、『コーヒー』とか言われるじゃないですか。これがうれしくて。本当に人生で初めて必要とされる気がしたというか、自己有用感でいっぱいになって、当時はもう一生飲食店でいいなって思っていましたね」
学校どころではなく、朝は喫茶店、昼は中華料理店、夜は居酒屋と職を掛け持ちした。17歳の時、喫茶店の女性店長との間に子どもができたため中退。18歳で親になり、20歳で離婚するなど、アップダウンの激しい時を過ごした。
その後、月6万円の養育費を払うため、水商売や配達員など職を転々とした。27歳で東京でコピー機や電話機を売るNTTの販売店として独立したものの、33歳の時に4000万ほどの借金を抱えて破産。すでに3回目の結婚をしていた稲月氏は、妻の姉やその子どもたちなど7人とともに暮らしており、再び岐路に立たされた。
「借家だったから、僕が家賃払えない、電気代払えないってなると、全員出なきゃいけない。なので死ぬ思いだったですよね。1億の生命保険に入っていたので命と引き換えようか悩みました。もともといらない子だったし、ご迷惑かけてきた子だったので、最終的に自分が大切に思った家族にそれだけお金残せればそれでいいんじゃないかっていうふうにすごい思っちゃって。今考えればうつっぽかったと思うんですけど、新潟のおやじの墓まで行って謝りましたよね。親に対してお前みたいになりたくないってずっと言ってきたけれど、おやじのせいだって思ってきたけど、でも結局自分もどんな頑張ったところで、家族全員泣かして破産してって変わらないな、カエルの子はカエルだなと思って……。ギャンブルと事業の違いはあるけれども、ついてくる嫁さんからしたら一緒じゃないですか。すごい痛感して、絶望して」

手帳に書いた「バカになれ」の言葉を見て気づいた己の愚かさ
だが、稲月さんは崖っぷちで踏みとどまった。八方ふさがりで、精神科から処方された抗うつ剤を飲もうとした時だった。
「飲もうとした瞬間、結局、同じじゃないかっていうふうに思ったら、ものすごい腹が立ってきて。で、そのまま抗うつ剤投げつけて、そこからですかね。本気で復活しようと決めて新聞の勧誘を始めたのは」
新聞の仕事は頑張った分、稼ぐことができた。「例えば50万なんて、すぐにどこでも初月からもらえないじゃないですか。だけど、新聞の勧誘って、やればやっただけもらえるというのがあったので」
失うものは何もなかった。初期の頃、月収30~40万円ほどで頭打ちになると、手帳に書いていた「バカになれ」の言葉を見つめ、「バカはバカになれなんて書かない。まだ自分が賢いと思っているんだ」と気づき、そのくだらないわずかなプライドも捨てた。おかげで稲月さんの年収は1000万円を突破し、人生は大きく好転。同時に、こと新聞営業においては、何よりも逆境が力になると確信を抱いた。
これまで12年間で、自分と似たような境遇で育った若者や先行きが見えずにもがいている人を300人ほど採用した。定着する者、そうではない者、その後の経過はさまざまだが、再び社会に送り出すという意識を持って、稲月さんは向き合っている。
「今、親ガチャだとか上司ガチャ、社会ガチャだとかいって、なんでもかんでも環境のせいにして諦めてる人いっぱいいますよね。モラトリアム化して、ネットカフェやサウナでその日暮らしの人、風俗やってる子もいっぱいいる。でも、そんな体売るぐらいだったら、朝から晩まで元気よくこんにちはっていけば契約は取れるので。僕自身もそうですけども、文無しで破産者だったとしても、一生懸命やればなんとかなってきましたから」
気持ちさえあれば、特別な能力や資格を必要としていない。むしろ、マイナスからのスタートでいいというのは、それだけで希望を与える条件だ。
「うちのスタッフの1人だって、元々連絡くれた時は、50代で離婚して、自動販売機の横で死のうと思って座り込んだそうなんですね。そしたら500円玉が落ちてて、神様がまだ生きろってことかと思って涙流して、その500円玉握りしめて、コンビニ行ってタウンワーク開いたら、うちの会社がお気軽に相談してくださいとあったんで、ここしかないと思って、公衆電話から電話かけてきたんですよ。来たらにおいもちょっとするし、どうしようかなと思ったんですけど、このお金で漫画喫茶で一晩泊まってシャワー浴びてひげそってまたおいでと言ったら翌日やって来た。働いてみたら意外にしっかりしてる人で、ただ単に希望を失ってただけだったんですね。また長くいてくれてる他のスタッフは、20歳の時にラッパーになろうと福島から上京したんですけど(夢破れて)、その子も今や年収1000万ですよね。結婚して子どもいて。全員できるわけじゃないんですけど、そうやって復活できる子を見てると、そのチャンスをお届けしてあげたいなってすごく思いますよね。普通、新聞勧誘なんかやって未来が開けるなんて誰も思わないじゃないですか」
稼ぐだけじゃない。飛び込み営業で得られるスキルは、どの会社でも通用するものだと稲月さんは強調する。「めちゃくちゃコミュニケーション力が高くなっていく。何にも代えがたい。なんだったら大きな企業に行っても、『私、飛び込み営業しかできません』と言えば、ほぼ雇ってもらえると思うんですよ」と、笑みを見せた。
稲月氏は、自著『挑戦する勇気』で、自らの波瀾万丈な経験を語っている。会社の門戸を広げるためだが、代表としてここまでさらしていいのかというほど、すさまじい。だが、稲月氏は、「こいつよりマシだなって思ってもらってもいい」と平然。
「やっぱり諦めてる人たちに対してのメッセージですよね。今までうちに勤める前の社会と、勤めて稼げるようになった後の世界では、世界の見え方が全然違うはずなので」と、自信の表情で締めくくった。
