かつては「小学生の先生になるのかな」…『日本一可愛い体育大卒グラドル』植原ゆきなが戦いのリングへ上がるまで
小中高と皆勤賞の元気な女の子は、体育が得意だったことから日本体育大学へ入学した。在学中に多くの人と出会い道が開け、グラビア活動やミスコン出場を経てアクトレスガールズの一員となった。昨年12月にリングデビューを果たし、8戦目にして地力初勝利を挙げたその選手の名は植原ゆきな。なぜ彼女は、リングで戦うことになったのか。

大学に入って出会いが広がり自分の心に従って行動するようになった
小中高と皆勤賞の元気な女の子は、体育が得意だったことから日本体育大学へ入学した。在学中に多くの人と出会い道が開け、グラビア活動やミスコン出場を経てアクトレスガールズの一員となった。昨年12月にリングデビューを果たし、8戦目にして地力初勝利を挙げたその選手の名は植原ゆきな。なぜ彼女は、リングで戦うことになったのか。
『日本一可愛い体育大卒グラドル』。2022年12月にリリースされた植原ゆきなのDVDのタイトルだ。しかし彼女は、小さい頃は女子よりも男子と遊ぶことが多かったという。
「小さい頃から運動が好きで、よくアスレチックに行ったり、お父さんとキャッチボールをしたりしていました。小学校では、休み時間に男子とサッカーコートを取りに行くような感じで一緒に遊んでいましたね。ファッションは好きだったんですけど、女子の友達は少なくて(笑)。土日は習い事で公式ドッジボールの練習をしていたので、あまり友達と遊ぶ時間はなかったです」
ずっとスポーツをしてきた植原は「勉強より運動が好きだった」ことから日本体育大学へ進学。大学時代に植原の人生は大きく変化する。
「大学に入るときは、小学校の先生になるのかな、企業に就職するのかなと考えたりもしたんですけど、今まで出会ったことのないような人とたくさん出会って、自分のいた狭い世界が大きく広がったんですね。自由に自分のありのままに生きている人たちとも出会うようになって、私も本当にやりたいことをやってみようと。行動力はあった方なので、やってみたいことはやってみて、行きたいと思ったことには参加して。自分の心に従って行動するようになりましたね」

グラビアをしていなければ今のファンには出会えなかった
植原は、大学卒業後の進路を芸能活動に定めた。
「大学時代はビールの売り子や体育の家庭教師をしていて、色々な進路を考えたんですけど、どれも自分の中で想像ができてしまったんです。何歳くらいでこうなって、みたいな。スポーツもそうなんですけど、私がここまでできそうだなと思ったらワクワクしなくなってしまって、次のスポーツを始めちゃう感じで。グラビアはバイト先のつながりで誘われたんですけど、すごくやりたかったわけではないんです。ただきれいな女性の写真集を見るのは好きで、自分がやってみたらどこまでできるんだろうと考えたらワクワクして……。今だから言えますけど、面白そうだからやってみよう、嫌だったら辞めようという気持ちで始めました」
植原はグラビアアイドルとしてDVDも写真集も発売した。そしてメディアに取り上げられることもあった。
「グラビアを始めてすぐに配信の仕事があったんですけど、そこで自分の外見だけではなく内面を好きだと言ってくれるファンの方ができて、それがすごく嬉しかったんですよね。そのファンの方々は今もアクトレスガールズの試合を見に来てくれて、“絆”がある感覚ですね。グラビアをやってなかったら出会えなかった方々だと思いますし。そして(もともと自分が好きだった)写真集を出すという目標が達成できたので、満足できた部分はあるんですよ。
事務所にいるときは自分の意志とは違う方向性の演出が必要になることもあったんですけど、フリーになって自分のやりたいことをやっていろいろな縁ができて写真集を出せて……。実はグラビアの撮影でお世話になったカメラマンがアクトレスガールズに誘ってくれたので、グラビア活動に対する恩を感じています。なので、今はリングの戦いが中心の活動になっていますが、グラビアでもより大きな仕事も続けていきたいという気持ちもあるんです」
(23日掲載の後編へ続く)
