嵐・二宮和也、目を潤ませて小倉智昭さんに感謝「お父さんみたいな存在でした」「学ぶ姿勢を教わりました」
昨年12月9日に膀胱がんで亡くなったフリーアナウンサー・小倉智昭さん(享年77)のお別れ会が、東京・南青山のジャズクラブ・ブルーノート東京で行われた。俳優の寺尾聰、嵐・二宮和也ら小倉さんと所縁(ゆかり)があった700人以上が参列。祭壇には小倉さんがジーンズ姿でベースを弾く遺影、小倉さんが応援し続けた埼玉西武ライオンズのユニホームなどが飾られた。二宮は取材対応で、デビュー時からの小倉さんとの縁を口にしつつ、「お父さんのような存在でした」と故人をしのび、目を潤ませた。

「お別れ会」に参加
昨年12月9日に膀胱がんで亡くなったフリーアナウンサー・小倉智昭さん(享年77)のお別れ会が、東京・南青山のジャズクラブ・ブルーノート東京で行われた。俳優の寺尾聰、嵐・二宮和也ら小倉さんと所縁(ゆかり)があった700人以上が参列。祭壇には小倉さんがジーンズ姿でベースを弾く遺影、小倉さんが応援し続けた埼玉西武ライオンズのユニホームなどが飾られた。二宮は取材対応で、デビュー時からの小倉さんとの縁を口にしつつ、「お父さんのような存在でした」と故人をしのび、目を潤ませた。
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二宮は取材陣の前に立つと、「ご本人は楽しい場が好きな人だったので、涙というかみんなで楽しい思い出を話しながら、笑って送り出せたと思います」と話した。
小倉さんとの出会いについて問われると、「一番最初はハワイで中継をつないでもらった時です」と答えた。事実、1999年9月15日に嵐はハワイ・ホノルル沖のクルーズ客船でデビューを発表。その際、小倉さんが総合司会のフジテレビ系『とくダネ!』が放送開始から1か月で、この情報を生中継で伝えていた。
その後、2006~10年に放送された日本テレビ系バラエティー番組『嵐の宿題くん』で嵐と小倉さんが共演。『とくダネ!』の生放送を終えても元気な姿に驚かされていたという。
「小倉さんとバラエティーを一緒にやらせていただき、その偉大さを知りました。『いつ寝ているんだろう』と思いましたし、僕ら若者が『眠い、眠い』なんて言っていられないと思いました」
その一方で「俺もバラエティーはよく分からないから、一緒に楽しもう」と声を掛けてくれ、コンサートにも駆けつけてくれたことなど振り返って言った。
「本当に僕らのことを別枠で時間を割いて、作品や番組も見てくださっていました。僕らが頼りない時は一緒に番組に出てくださいましたし、お父さんみたいな存在、もう、お父さんでした」
そして、「自分が楽しいと思えることをやるべき」「いくつになって学ぶ姿勢を教わった」と振り返った。そう話す頃には、二宮の目は潤み、最後に「小倉さんに怒られないように頑張って働きます」と力を込めた。
