渡哲也さんは大門団長そのもの 部下を信頼し、責任は俺が取る…番記者が明かす“素顔”

生前の渡哲也さん(右)と舘ひろし
生前の渡哲也さん(右)と舘ひろし

生き様は舘ひろしら軍団の後輩たちへ…去り際に見えた渡さんの美学

 面白かったのは、「おいしいごはん」のプロモーションで、テレビ朝日の料理バラエティー「愛のエプロン」に出演した時だ。渡さんは、フリル付きのエプロン姿で登場。石原プロ番記者を見つけると、「見てほしくないな」と苦笑い。そんなことを言われても、あの渋い渡さんがフリル付きエプロン! 思わずガン見してしまった。「料理はもちろん、家事はほとんどしたことがない」と語っていたが、番組では見事な包丁さばきを披露し、料理評論家の服部幸應氏もうならせていた。

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 なにをやっても器用にこなす渡さんだったが、そんなことは表に出さず、自身の病気についても語ることはほとんどなかった。大事な席にいなかったことも何度かあったが、そんな時は舘ひろしが代行。裕次郎さん亡き後の石原プロは、渡さんを中心に、まさに鉄の結束というべき団結力を見せていた。

 社長を降りることになったのは2011年。その2年前の09年7月には国立競技場で裕次郎さんの二十三回忌を行ったこともあって、大きな区切りができたと思っていたのだろう。石原プロには元々、「俺がいなくなったら、会社はたため」という裕次郎さんの遺言があったが、それでも会社が続いたのは、裕次郎さんを慕って集まった俳優たちが多数いたから。渡さんもそんな思いを知った上で、社長業を引き受けた。

 小林専務のアイデアもあって、裕次郎さんの十三回忌、十七回忌、二十三回忌は大仕掛けだったが、渡さんの去り際は対照的だった。7月には来年1月をもっての石原プロの解散を発表し、今回の訃報も家族葬を済ませてからの発表。これは渡さんの美学だったのだろう。そして、この生き様は舘ひろしをはじめ、軍団の後輩たちに必ずや引き継がれるはずだ。合掌。

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