西村修さん告別式 その後に起こった“奇跡” 藤波辰爾のSNSに西村さんのメッセージ「今回退院致しましたあかつきには…」
2月28日にがんで亡くなったプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修さん(享年53)の葬儀・告別式が8日、都内で行われた。

武藤敬司は弔辞で新日時代の西村さんの“やらかし”秘話を公開
2月28日にがんで亡くなったプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修さん(享年53)の葬儀・告別式が8日、都内で行われた。
弔辞は、西村さんが政治の師とあおいだ亀井静香元衆議院議員(秘書代読)のほか、藤波辰爾、武藤敬司ら6人が読み上げた。
武藤は新日本プロレスで西村さんが付き人を務め、無我ワールド・プロレスリング退団後は全日本プロレスに導くなど、大きな影響を与えた。また、2010年の参議院選では、武藤が膝の状態を理由に打診を断り、西村さんが出馬した経緯がある。落選したものの、その後、区議会選で当選。「全日本に誘ってもらったのも武藤さんだし、人生変わりましたよね」と、西村さんは感謝していた。
「闘病生活をしていることは聞いておりましたが、こんなに若く帰らぬ人になるとは思いませんでした」と、早すぎる別れを残念がった武藤は、新日本時代のほっこりエピソードを披露。
「西村は俺にとって新日本プロレス時代に付き人を務めてくれた大切な後輩です。たくさんの思い出がある中でも、特に記憶にあるのは、当時新車で買ったばかりの赤いフェアレディZにワックスをかけてほしいと頼んだときのことです。どうやら研磨剤入りのワックスをかけたらしく、泡が真っ赤になり、こすったとおりの傷がついていました。それを見た俺は西村を責めることもできず、泣きました」と、憎めない人柄をしのんだ。
そして最後に登場した藤波は、「あなたとの突然の別れに、こういう時がくるとは信じられません。そして君の弔辞を僕が読む。こんなせつないことはありません」と痛恨の思いを吐露。「世界をともに旅をし、ともにチャンピオンベルトを巻きましたね。その一つ一つの瞬間は、私にとってかけがえのない思い出になりました」と優しくまな弟子に語りかけた。
1995年に藤波が立ち上げた「無我」で意気投合し、2007年の西村さんの無我ワールド・プロレスリング退団で離れ離れになった。「あの日のように語り合える日がまた来る日を信じて、そしてもう一度リングでまた戦う日を信じていました」と、藤波も再会を望んだことを強調。
「無我とともに歩んだ君のプロレス人生。その人生の最後の時まで誇り高く生き抜いた君に無我を捧げます。お疲れさま」と告げた。
出棺では藤波、天山広吉、小島聡、SANADA、新崎人生、竹村克司ら西村さんと親しかったレスラーが団体を超えて集まり、棺を運び出した。

告別式後に起こった“奇跡”、藤波のSNSに西村さんのメッセージ
その後、藤波は西村さんを火葬場まで見送り、最後の別れを惜しんだ。
病床で闘病を続けていた西村さんは今年2月5日、藤波にSNSを通じて直接メッセージを送っていた。
「大変ご無沙汰しております」から始まる文章では、これまでの謝罪と1・31後楽園ホール大会に藤波が代役参戦したことへの感謝が述べられていた。
そして、レスラーとして育ててくれた藤波への思い、現在の詳しい病状等も添えられていた。
「今回退院致しましたあかつきには、すぐにご挨拶にまたは御面会をさせていただき、また失礼ながらも、謝罪とご縁の回復をさせていただきたくも思い、御連絡させていただきました」
体調がすぐれない中でも、西村さんは藤波との再会を望み、退院への励みにすることを伝えた。
「まだ体調が万全でないため時期はなんとも申し上げあげられませんが、また、お目にかかりますことを願っております。何卒宜しくお願い申し上げます」
藤波がこのメッセージを確認したのは火葬場での待機時間の時だった。普段利用していないツールだったため、他の未読メールとともに、この日まで開くことがなかった。
「当然俺はそういうのは必ず返事は返すから。そしたらちょっと違う形になったかもしれないね」
すれ違いはあったが、西村さんの気持ちはしっかりと受け取っていた。
「お互いがどこかで躊躇した。彼が最後は会いたかったけど会えない、そういう状況の中にいた。それはもう痛いほど分かるので、もう俺の気持ちが通じているよ、彼の気持ちは通じているよっていう感じで受け止めましたね」
18年間という長い時間を経て、師弟の絆は、みぞれの降る文京区の夜に再び結ばれた。
