「体を見せるのは嫌い」から人生一変 今も健在の58歳が“伝説のボディービル女王”に上りつめられたワケ

最初は「体を見せるのは嫌い」と避けてきたのに、全国大会6連覇のレジェンドにまで上り詰めることになった。根っからの筋トレ通の西本朱希(あき)さん。もともと取り組んでいた空手で鍛えた筋力を生かして20代後半でボディービルに転向。37歳から42歳の時、日本ボディビル選手権大会の女子の部で驚異の6連覇(計7回の優勝)を達成した。58歳を迎えた現在はプロトレーナーとして活躍し、女性や高齢者への体作りをサポートしている。原動力は「けがで空手を諦めた悔しさが、常に私の力になっています」。今も120キロのウエイトを持ってスクワットを続けている“伝説のボディービル女王”の紆余曲折の人生に迫った。

“伝説のボディービル女王”西本朱希さんの全盛期【写真:大島聖子】
“伝説のボディービル女王”西本朱希さんの全盛期【写真:大島聖子】

日本ボディビル選手権大会で驚異の6連覇(優勝計7回) 大学では解剖学を研究

 最初は「体を見せるのは嫌い」と避けてきたのに、全国大会6連覇のレジェンドにまで上り詰めることになった。根っからの筋トレ通の西本朱希(あき)さん。もともと取り組んでいた空手で鍛えた筋力を生かして20代後半でボディービルに転向。37歳から42歳の時、日本ボディビル選手権大会の女子の部で驚異の6連覇(計7回の優勝)を達成した。58歳を迎えた現在はプロトレーナーとして活躍し、女性や高齢者への体作りをサポートしている。原動力は「けがで空手を諦めた悔しさが、常に私の力になっています」。今も120キロのウエイトを持ってスクワットを続けている“伝説のボディービル女王”の紆余曲折の人生に迫った。(取材・文=吉原知也)

 幼少期から走力と跳躍力に自信があったこともあり、日本女子体育大に入った。研究室では解剖学を学んだ。知人から誘われて、空手に興味を持ち、芦原会館の門をたたいたのが20歳過ぎの頃。「空手の師範になりたい。これが目標になりました」。フルコンタクトで実戦形式のスタイル。めきめきと頭角を示し、普段の練習では男性選手と対戦。投げ飛ばして鏡を派手に割ったこともある。一方で、大会に女性のカテゴリーがないため、試合には出られず、悩みを抱えていた。

 大学卒業後、アルバイトとかけ持ちで地方公務員の勉強を重ねて、練馬区地方公務員主事として、運動教室などの指導を受け持つ仕事に就いた。20代中盤に人生の転機が訪れた。空手の組手の最中に右膝を負傷。数度の手術を受けたが、けがを重ねて、思うように曲げられなくなってしまった。「切れた前十字靱帯の再建手術をし、半月板は全摘となりました。リハビリするしかない。その方法がウエイトトレーニングだったんです」。入院生活で右太ももが12センチ細くなったが、「ここで諦めたら、これまで頑張ってきたものがなくなっちゃう」と歯を食いしばった。激痛に耐え、2年かけてリハビリを成功させた。

 ずっとあがいてきた、「大会で何かが取りたい」という欲求。ボディービル選手と交流を持つようになり、現実味を帯びてきた。膝をひねったり、素早い動作はできない。でも、筋肉ならどこまでも鍛えることはできる。「知人のボディービルダーが雑誌の表紙を飾っているのを見て、『私も表紙を飾れるようになりたい』と決心しました」。28歳で、運命の道を歩き始めた。

 初めて出場したボディービルの大会は3位。体作りを見直し、翌年1998年にアジア女子ボディビル選手権大会ヘビー級で優勝を果たした。「ひたすら頂点」を自分に言い聞かせ、99年、32歳で全日本のトップに輝いた。有言実行で夢をかなえたのだ。

 前人未到の6連覇のきっかけは不慮のけがだった。「交通事故に遭って首を負傷し、右手も一時まひのダメージを受けました。試合出場の目標を持たないと、トレーニングまでも諦めてしまう。また鍛え直して、翌年の全日本に臨みました。負けるだろうなあと思ったら、勝っちゃったんです」。2004年に返り咲き、伝説の一歩を刻んだ。実は復活勝利でひと区切りにしようと考えていたが、その後にドイツで行われる世界大会の日本代表に選ばれ、米国西海岸のツアー旅行参加中に、1人だけ別行動でウエイトを持って汗を流した。そこから連覇を重ね、6連覇の金字塔を打ち立て、09年をもって大会からは引退をした。

 強さの背景には陰の努力があった。「大学時代に解剖学を通して、骨や筋肉の仕組みを徹底して学びました。その知見から効率的で効果的なトレーニングを考えていきました」。西本さんは身長169センチ。一般的には、高身長はどうしても外観が細く見えてしまい、ボディービルには不利とされている。そこで、「どうやったらポージングで大きく見せられるかを、動画で撮影したり、部屋に大きな合わせ鏡を置いたりして、人一倍練習しました」と強調する。

 全盛期は140キロのスクワットもこなし、体重は国内大会は58キロ、海外大会は62キロの理想水準に合わせ、体作りを徹底した。強みである背中、脚、胸の筋肉美をさらに鍛錬。「ボディービルは腕や肩の大きさが評価されやすい部位ですが、私はその両方が弱いと常に指摘を受けてきました。だったら全体のバランスで見せてやろうと。これが勝因だったのかもしれません」と振り返る。

 6連覇を目指した大会前にはプレッシャーに押しつぶされそうになり、円形脱毛症にもなった。まさに自らをいじめ抜いたボディービルの集大成だった。

58歳の今も力強い筋肉は健在だ【写真:ENCOUNT編集部】
58歳の今も力強い筋肉は健在だ【写真:ENCOUNT編集部】

還暦を節目に大会への電撃復活はあり得るのか?

 何度転んでも、立ち上がってきた。度重なるけがは、言わば人生の原点だ。“あれがなければ……”と今でも悔やむことはある。「でも、ボディービルへの道が開けことは確かです。それに、痛みからどう回復するかを追求できたことで、今は痛みを持つ方々に適切な筋トレを教えられるようになりました。私に与えられた使命だと思っています」と実感を込める。

 西本さんはこのほど、初めての著書『女性のための50歳からの筋トレ入門』(かんき出版)を上梓した。筋トレメソッドを丁寧に紹介。「年を重ねると、痛みが体のあちこちに出てきて、つらくてやりたくない動きが増えます。その時に本当の意味で自分を助けてくれるのは『筋肉』です。ぜひ正しい取り組み方を一から覚えて、筋トレを生きがいとなる趣味にしてもらえればと思います」と優しく語りかける。

 実は今、ボディービルの大会に出場する60代、70代のシニア世代が増えているという。西本さんの72歳女性の教え子も試合に出るほどバリバリ鍛えている。「皆さんを見ていると、『私も頑張らないと』と思います。私にとっては、トレーニングはリハビリなのでずっと続けています」。現役の時に比べてトレーニング頻度や時間が減った今は、3日休んだだけで「筋力が落ちちゃう」と焦ってしまうといい、「落ちていくものをどう食い止めるか」を主眼とした筋力維持を目標に、週3回みっちり鍛えている。外食はほぼせず、自分の食べたいもの・味付けで最良の食材を選び、きっちり3食を作って弁当を持ち歩いている。

 還暦を節目に大会への電撃復活はあり得るのか? 「昔の自分には絶対に勝てませんから」というのが答えだった。最後に、自慢の背中を含めた“58歳の筋肉”を披露。まさに筋骨隆々、圧倒的なオーラを放った。「いつまでも、“この人かっこいい”と思われるような、見本のような存在であり続けたいです」と爽やかな笑顔を見せた。

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