タイに9年間帯同した一木けいが語るリアルな駐妻ライフ「日本の住所や車でマウント合戦も」
デビュー作『1ミリの後悔もない、はずがない』(2018年)が歌手・椎名林檎に絶賛された作家・一木けい氏の新刊『結論それなの、愛』(新潮社、税込1925円)が発売中だ。本作はパートナーの海外勤務に帯同することで海外暮らしを選択した「駐在妻(駐妻)」を主人公にした恋愛小説。一木氏が本作への思い、リアルな駐妻ライフを語った。

タイで駐妻をした経験を基に執筆した連作集
デビュー作『1ミリの後悔もない、はずがない』(2018年)が歌手・椎名林檎に絶賛された作家・一木けい氏の新刊『結論それなの、愛』(新潮社、税込1925円)が発売中だ。本作はパートナーの海外勤務に帯同することで海外暮らしを選択した「駐在妻(駐妻)」を主人公にした恋愛小説。一木氏が本作への思い、リアルな駐妻ライフを語った。(取材・文=平辻哲也)
2013年には「第12回女による女のためのR-18文学賞」(新潮社)の最終候補に選ばれた一木氏。以降、4年連続で最終選考に残り、2016年に同賞・読者賞を受賞し、連作短編集『1ミリの後悔もない、はずがない』でデビュー。これが椎名林檎から「私が50分の円盤や90分の舞台で描きたかった全てが入っている」と絶賛され、スマッシュヒットになった。
「受賞した時はバンコク在住だったんです。赴任が決まった時は『タイに行けるんだ』とうれしかったのですが、駐妻(ちゅうづま)という言葉があることも知らず、幼い2人の娘は現地の学校に入るのかなと思っていたくらい、何も知らずに赴任しました」
本作は2013年から9年間、タイで駐妻をした経験を基に執筆した連作集。長期出張中の夫と離れて暮らすセレブ妻がタイ青年にひかれていく『菜食週間』、日本人元経営者と不倫関係になる主人公と日本人女性向けの風俗店で男性を買う友人を描いた『なーなーの国』、国境近くの街で駐妻が売春をすることになる『パ!』の3編が収められている。一人称で書かれた物語は私小説風にも見えるが、特定のモデルはいないのだという。
「この作品は、私がタイで経験したことをもとに、『あの時、もし別の選択をしていたら』と想像しながら書きました。テーマは『通じ合うとは何か』ですが、あの時、私はこんなことを感じていたのか、タイでの生活は私の人生にこんな影響があったのか、と思ったり、一区切りがついた気がしています」
駐妻と言えば、瀟洒な豪邸に住み、お手伝いや専属ドライバーを雇って、移動は高級車といったセレブ生活を想像しがちだが、一木氏の駐妻生活はどうだったのか。
「暮らしぶりは中の中だったのではないでしょうか。駐妻といっても、環境はさまざまです。会社の規模も違いますし、会社の補助金にも違いがあって、子供の学費やバス代のみならず、妻のタイ語のレッスン代を出してくれるところもあったり。日本ではどこに住んでいたかとか、乗っている車のランクが高い低いというマウント合戦みたいなものもあって、結構なヒエラルキー社会だったと思います。私自身は日本人がたくさん住んでいる場所からどんどん離れていったので、そうしたヒエラルキーの影響を受けませんでした」
娘の一言で2022年3月に帰国
慣れない異国暮らしをサポートしてくれたのは、タイ人女性のお手伝いだった。
「お手伝いさんというより、バディ(相棒)といった感じでした。生活のあらゆることで助けられました。タイのいろんなことを教えてもらいましたし、別れるときは抱き合って泣きました。私自身は朝早く起きて、娘たちのお弁当作りをして、6時半にはスクールバスで送り出す。その後はバディが家に来るまで洗濯機を回したり、家事をして……といった感じでした。昼間は語学学校に通ったり、公共の乗り物を使って一人で街に出かけたりしました。小説の中では、駐妻が原付バイクにノーヘルで乗る場面を書いていますが、あれは危ないので、やってはいけないと会社から言われることが多いんですよ。雨の日には道路に血痕がついている光景もよく目にしました」
娘の1人が『日本で行きたい高校を見つけた!』と言ったことで2022年3月に帰国した。
「狭い日本人社会での窮屈さを感じる人もいたとは思いますが、私自身は行ってよかったと思います。全てに感謝です。完璧じゃなくてもいいと思えるようになったのが大きかったかなと思います。タイ語を学んだり、いろんな場所に出かけては話をすることが楽しかった。作家活動もタイに行っていなかったら、うまくいかなかったかもしれません」
題名は長女が日常のやりとりの中で何気なく送ってくれたLINEメッセージをもとに決まった。
「『結論それなの愛』って。いい言葉だなと思って、タイトル案の最後におまけみたいな感じでつけたしたら、その場で決まりました。2人の娘はいつも著書を読んで、感想を言ってくれます」
4月から新連載もスタート。台風接近のため設置された避難所を舞台に、人々が一番会いたくない人物に出会ってしまう姿を描く長編群像劇を予定。ほかにも、東京を舞台にした読み切りの連作短編も準備している。「以前は父をモデルにした作品を書いたこともありましたが、最近は自分から離れた人間も書けるようになってきた気がします」と一木氏。今後は日本をベースに愛の物語を紡いでいく。
■一木けい(いちき・けい)1979年、福岡県生まれ。2016年、R-18文学賞読者賞を受賞。デビュー作『1ミリの後悔もない、はずがない』が話題となる。他の著書に『愛を知らない』『全部ゆるせたらいいのに』、『彼女がそれも愛と呼ぶなら』などがある。
