梅宮アンナ、がん闘病は「一瞬で別世界に行かされる」 葛藤や苦労語る「私以上に母が」
タレントの梅宮アンナが1日、都内で行われたイベント「BeMe 私らしく~ご自愛市spring~」(3月1、2日開催)のスペシャルトークセッション「『私らしく生きる』梅宮アンナさんが語る『がん闘病が教えてくれたこと』」に出席した。自身の闘病生活などについて語った。

昨年8月に浸潤性小葉がん罹患を公表
タレントの梅宮アンナが1日、都内で行われたイベント「BeMe 私らしく~ご自愛市spring~」(3月1、2日開催)のスペシャルトークセッション「『私らしく生きる』梅宮アンナさんが語る『がん闘病が教えてくれたこと』」に出席した。自身の闘病生活などについて語った。
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梅宮は昨年8月に「浸潤性小葉がん」に罹患(りかん)したことを公表。現在、抗がん剤治療や右乳房リンパ節郭清(かくせい)手術を行うなど闘病中の身。3月以降は放射線治療やホルモン療法を行う予定だという。
梅宮ががんを発見したのは「去年の5月に朝、シャワーから上がって、自分の体全体を見て『あれっ?』と。右の胸と左の胸のサイズが明らかに違う。去年51歳だったんですけど、『私の更年期ってこういうことなのかな?』と最初思った」という。
しかし「どうしてもちょっと変な感じがした」ため、病院で検査を実施。検査が繰り返されて「『何? 私、一体どうしたんだろう?』という感じだった。その後に、細胞を針でとる検査をしまして、それで発覚した」と振り返った。
人間ドッグを定期的に受けていたものの「私は誤診だとか思わず、たまたま発見できなかったんだなと思う。ある先生は『がんって、隠れるのがうまいんだよね』と言う風におっしゃった。たまたま写らない。触ってしこりがあるタイプではなく、全体に散りばめられているタイプのがんだった。そういう意味では自分で見つけるのが難しい。だいたい分かったときには『ステージ3くらいになっていますよ』と(医師が)おっしゃていました」と話した。
がんを告知されたときには「母(梅宮クラウディア)が一緒にいた」。「父(梅宮辰夫)が亡くなってほぼほぼ5年になりますけど、ほぼほぼ一緒に私と、行くところ行くところ、一緒について、一緒に行動していた。病院も一緒に行きました。結果発表のときも横にいた」と明かした。
次いで「『がん』と聞いて『ガーン!』ではなかった。映画とかドラマとかに出てくる、がんを告知されるよシーンではなく、意外に『そうなんだ』とちょっとピンと来ない感じ。私の場合、10日後くらいに、『あ~。これから長い闘病生活が続くんだな』と頭で理解した。ただ言われたときは(自身で車を)運転して帰りましたし、ちゃんと覚えてます」と述べた。
梅宮は「父が亡くなってからは、やはり私の世界観も一変しました。去年、『私、何をしてるんだろう?』ということが実はあったんですね」と言い、「私、自分にしかできないことをするのが好き。小さい頃から、隣の人がやっていることを同じようにしようとは思わない。『私しかできないよね』ということにやりがいを感じる。誰かがやったものに興味がない。自分が初めてやるのが好き」と自身のパーソナリティーに言及。「そういうことからすると、ほぼほぼ30年芸能界入っていて、ファッションのお仕事や美容のお仕事は来るものが毎回同じような感じだと数年前から感づいていて、『このままこの仕事でいいのかな? 芸能界ってどうなのかな?』と考えさせられた数年ではあった」と語った。
そうした数年を経て、がんと宣告されて「『今まで通りではないな』と本能的に感じました」。始まったがん治療において「自分が最後の最後までお医者様に食らいついていたのは髪の毛。(抗がん剤を使うことで)『本当に抜けるんですか? 今から使う薬剤、本当に抜けるんですか?』と言ったら『抜けます』と。『抜けない人がいるかもしれないじゃないですか?』と言ったら、『残念ながら、梅宮さん、抜けます』と。最後の方、抗がん剤が始まった7月31日の日に、『もうジタバタするのはよそう』と思った。それで予定どおり、2週間後に、朝、髪の毛を洗っていたらゴソッと取れて。そのとき、私以上に、母が……(ショックを受けていた)」と回顧。
当時を振り返って梅宮は「髪の毛がからまっちゃうんですよ。『コンディショナーをしたらどうになるのかな』と思ったら、それもどうにもならず、こんがらがる。そのとき母に(髪の毛を整える手伝いなどを)お願いしたりした。泣いてました」と明かし、「人生で、生きてきた中で一回も経験したことない感情だったりとか、思いだったりとか経験する。一瞬で別世界に行かされる経験をしている」と表現した。
1時間熱弁する中で、感情がゆるんで涙する一幕も。自身の闘病にまつわる各種情報発信について「自分の経験が誰かを救えれば」と前を向いた。
なお同イベントの主催は、主婦の友社および毎日新聞社。
