政治の不正スクープとジャーナリズムの限界…当時のテレビ記者たちの証言から見えたもの

「一気に関心を高めるのは無理。しかし、少しずつでも変えるために監視し続けるしかない」…聞こえてきた“記者の本音”

 監督は、「チューリップテレビ」の報道記者、砂沢智史(すなざわ・さとし)氏と五百旗頭幸男(いおきべ・ゆきお)氏。このスクープ報道によって世の中を変えることができたのかと聞くと、2人は「まったく変わっていない」と口をそろえる。「むしろ市民はさらに無関心になり、(出直し選挙の)投票率も低かった(47.83%、前回比5.22ポイント減、不適切支出を行った8議員のうち6人が当選)。無党派層の足は遠のいてしまった。一気に関心を高めるのは無理。しかし、少しずつでも変えるために監視し続けるしかない」(五百旗頭氏)、「有権者には自分たちの地域をよくすればいいという気持ちがあり、全体を見ていない」(砂沢氏)。

 社員数70人の小さなテレビ局が政界の闇を暴く姿には「大統領の陰謀」のような社会派サスペンス的な面白さもあるが、もう一段階高いレベルに上げているのはラストだ。“はりぼて”は自分たちのテレビ局にもあったことを正直に見せる。しかも、経緯については途端に歯切れが悪い。砂沢氏は報道から内勤に異動を命じられ、五百旗頭氏は退社の道を選ぶが、実際は何があったのか。「それは言えないですが、ギリギリの葛藤、苦悩を分かって欲しい。と同時に、あれだけ政治家に切り込んでいった記者たちが悶々としているのはなぜかを考えて欲しいのは狙いでもあった」と五百旗頭氏は語る。

 ジャーナリズムの役割の1つは、闇に隠された真実を明らかにしていくもの。そう掲げても、限界はある。それは組織でも個人でも同じ。ただ、その限界を少しでも突破していくのが組織、記者の使命だ。その意味では「はりぼて」はギリギリを攻めた作品だ。ドキュメンタリー映画に定評のある東海テレビが自社の報道にカメラを向けた問題作「さよならテレビ」と同じ匂いを感じる。

 五百旗頭氏は「東海テレビさんとは日本民間放送連盟賞の地区代表を競うライバルでもあり、尊敬もしています。プロデューサーの阿武野勝彦さんは『さよならテレビ』は業界関係者へのラブレターとして作ったそうですが、『はりぼて』はそのアンサー。私は今、他県他系列のテレビ局に所属しています。今のテレビは白か黒かといった、見やすいものが主流ですが、世の中はもっと複雑。硬くて食べにくいけれども、かみごたえのある番組を作っていきたい」と決意を語ってくれた。「はりぼて」は政治家の不正を暴き、同時にジャーナリズムの限界をにじませながらも、市民は今、何をすべきかを問いかける。

 映画「はりぼて」は8月16日からユーロスペースほかで全国順次公開。

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