AKB48を支える作曲家・井上ヨシマサと秋元康氏の出会い 初対面で“暴言”を吐いた過去
シンガー・ソングライターで作曲家の井上ヨシマサが、これまでAKB48に提供した楽曲をセルフカバーしたアルバム『井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー』を2月19日にリリースした。18歳でプロとして作曲家デビューし、40周年を迎えた井上。本作はその足跡をたどるプロジェクトとして、柏木由紀、松井珠理奈、村山彩希、岡田奈々をゲストに迎え、第54回日本レコード大賞を受賞した『真夏のSounds good!』など、思い出深い10曲を新たにアレンジしたアルバムとなる。筆者もこれまで『君はメロディー』を始め、AKB48グループに楽曲を提供してきた作曲家の一人である。この機会に大先輩の曲作りの秘訣(ひけつ)と音楽家としての魅力に迫る。
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「キョンキョンに曲を書いてみない?」でスタートした作曲家人生
シンガー・ソングライターで作曲家の井上ヨシマサが、これまでAKB48に提供した楽曲をセルフカバーしたアルバム『井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー』を2月19日にリリースした。18歳でプロとして作曲家デビューし、40周年を迎えた井上。本作はその足跡をたどるプロジェクトとして、柏木由紀、松井珠理奈、村山彩希、岡田奈々をゲストに迎え、第54回日本レコード大賞を受賞した『真夏のSounds good!』など、思い出深い10曲を新たにアレンジしたアルバムとなる。筆者もこれまで『君はメロディー』を始め、AKB48グループに楽曲を提供してきた作曲家の一人である。この機会に大先輩の曲作りの秘訣(ひけつ)と音楽家としての魅力に迫る。(取材・文=成瀬英樹)
6歳からピアノを始めた「ヨシマサ先輩」は、小学4年生の時にビッグバンドでジャズの基礎を学んだ後、シンセサイザーに出会い、1980年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のオープニングアクトとして中学2年生で日本武道館に立った。その後、ソロアーティストとしてのデビューを目指す中で作曲家としての活動をスタートさせ、沢田研二、郷ひろみ、田原俊彦、少年隊、小泉今日子、光GENJI、中山美穂さんらに楽曲を提供してきた。2006年からはAKB48の作曲活動もスタート。『Everyday、カチューシャ』『Beginner』などミリオンセラーを含む多くの曲を手掛けてきた。
――アーティスト志望だったヨシマサさんが、作曲家になった経緯を伺わせてください。
「『キョンキョンに曲を書いてみない?』と、当時のスタッフにチャンスをいただいたのが作曲家人生の始まりです。で、次々に作曲の依頼がきてって流れかな。当時、画材屋でバイトをしていて、軽トラで六本木での配達ルートの途中に音楽事務所があったので『新曲できたので聴いてください!』って渡しに行った曲がすぐに採用になったりね。当時はバイトで日給4000円とか5000円しか稼いでいなかったから、ちょっと喜んじゃうじゃん。そこが魂を売った瞬間です(笑)」
――作曲される際に、普遍性のような「時代を超えるものを作る」ことは意識されていますか?
「もちろん、めちゃくちゃ意識しています。僕の音楽遍歴はジャズから始まっているので、『スタンダード』が大好きなんです。たとえば、大昔の黒人の悲しい歴史の中で連れてこられたおばちゃんたちが、つらい労働を少しでも癒やすために歌っていたブルースこそが、本物のブルースだったわけですよね。そういうのが語り継がれて、ジャズのルーツになっている部分もあるわけです。そんな人の心に勇気を与えるエネルギーがある作品を作りたいって、常に思っています」
――「売れること」を第一に考えてはいないということですね?
「今、大学の客員教授をやっていますが、先日面白い質問をもらいましたね。『現代ってマイナーキーの曲を作ったらバズるんスかね?』って。『おいおい、俺の講義聞いてた?』ってなりましたよ(笑)。結局のところ、自分が『バズらせたい』と思って作った曲が本当にバズるかどうかなんて、誰にも分からないじゃないですか。100万枚売れる曲を書こうと思っても書けるわけがなくてね。自分に向き合って、今届けたい伝えたい、たった1人の相手に向けて作る。それだけです。『いいな』と思った曲ができたらうれしいですよね? でも『売れそうな曲ができた』って喜ぶことはないんです」

秋元康氏とのケンカの真相
――ヨシマサさんは、中学生でテクノポップバンド「コスミック・インベンション」のメンバーとしてデビューされましたね。
「その前に、小学生だけのジャズのビッグバンドでプレイしていて、メディアにも取り上げられていたんですよ。中学で『コスミック・インベンション』のメンバーになり、YMOの武道館コンサートにも出演しましたが、アイドル的な見せ方に僕としてはビッグバンド時代以上の手ごたえを感じられなかったんです。そこで自作の曲を使ってほしいとお願いしました」
――その後、ヒットメーカーとして活躍されるヨシマサさんですが、秋元康さんとの出会いはケンカから始まったと秋元さんご本人から伺ったことがあります。本当ですか……?
「歌詞がなかなか上がらず、僕はしびれを切らして文句を言いに行く! という一悶着があったんですよ。イキって、とんねるずさんと秋元さんのレコーディング現場に行ったら逆に取り巻きに羽交い締めにされて、スタジオを放り出された(笑)。僕だけが悪者扱いされた訳です! もっとも僕も暴言吐いていたので(汗)」
――なかなかインパクトがあるお話ですね(笑)。
「当時の僕は信じられるスタッフやプロデューサー以外の制作活動は一切やらないと誓いを立てていた頃なので、『ひとつ仕事が減っただけだ』と平気な顔をしていました。そしたら、秋元さんの方からその件について話しがしたいと言われたんだよね。で、『ヨシマサくんは何も悪くない、むしろ僕の歌詞が遅かった事だけが問題だった。ヨシマサくんはただただ一生懸命作品を仕上げようとしてくれていただけだよね。これからも、もっといろんな作品を作っていこうよ』と言ってくれました。
僕もその時、自分の制作への思い、つまり『金にならなくても熱い気持ちで作品作りをするプロジェクトなら、全力でやっていきたいと思ってます』と宣言したわけです。それが、後のAKB48へとつながっていくんです。AKB48の初期、劇場の曲をたくさん書いて本当に大変だったけど、あの時の約束があるから、引くに引けないわけ。でもね、秋元さん、僕の曲の詞は早く書いてくれたみたいなんですけどね(笑)」
□井上ヨシマサ 1966年、東京都出身。79年にコスミック・インベンションのメンバーとしてデビュー。その後、主に作曲家として活動し、小泉今日子、光GENJI、郷ひろみ、中山美穂さんら多くの歌手に楽曲を提供。2007年からAKB48の作曲編曲を開始し、『Beginner 』などミリオンセラーを含む多くの作曲編曲を手がける。12年には『真夏のSounds good !』で第54回日本レコード大賞受賞。また、東京オリンピック聖火リレー公式BGMの作曲も手掛けた。
□成瀬英樹(なるせ・ひでき)1968年、兵庫県出身。作詞・作曲家。92年、4人組バンド・FOUR TRIPS結成。97年、TBS系ドラマ『友達の恋人』(瀬戸朝香・桜井幸子主演)の主題歌『WONDER』でデビュー。2006年にAAA『Shalala キボウの歌』で作曲家デビューし、AKB48に楽曲提供を開始。『BINGO!』『君はメロディー』などを手掛けた。そのほか、乃木坂46やWHITE SCORPION、風輪らにも楽曲を提供している。
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