ファッション好きの四千頭身・都築、高校生から原宿通い 茨城の田舎から上京「買いに行くことが嬉しくて」

さまざまなファッション誌の企画に登場し業界からも注目されている芸人がいる。“お笑い第7世代”のトリオ・四千頭身のメンバー・都築拓紀だ。2023年1月、ファッションブランド「HIROKI TSUZUKI」を立ち上げ。自身もデザイナーとして活動し毎シーズン、アイテムを出している。いつから“ファッション”に興味があったのか。都築はそのときをいまでも鮮明に覚えていた。

ファッションに目覚めたきっかけを明かす都築拓紀【写真:舛元清香】
ファッションに目覚めたきっかけを明かす都築拓紀【写真:舛元清香】

「夏祭りじゃねぇのに1年中ケバブ食えるぞ」原宿に衝撃を受けた高校時代

 さまざまなファッション誌の企画に登場し業界からも注目されている芸人がいる。“お笑い第7世代”のトリオ・四千頭身のメンバー・都築拓紀だ。2023年1月、ファッションブランド「HIROKI TSUZUKI」を立ち上げ。自身もデザイナーとして活動し毎シーズン、アイテムを出している。いつから“ファッション”に興味があったのか。都築はそのときをいまでも鮮明に覚えていた。(取材・文=島田将斗)

 この日、都築はチェックの襟付きシャツの上に膝上ほどまで丈のある白のニットを合わせ、下はジーンズというコーデで現れた。おしゃれ初心者には思いつかないモデルのような着こなしだった。

 それでもシティーボーイというわけではない。出身は茨城県龍ケ崎市。田んぼに畑、川に沼と美しい自然に囲まれ、国道沿いが発展しているいわゆる日本の田舎だ。“服”との出会いは中学1年のゴールデンウィーク。5歳年上の当時高校3年生のいとこの家に泊まりにいった際に雷に打たれたような衝撃を受けた。

「いとこは僕にとってずっとお兄ちゃんみたいな存在でめっちゃイケメンなんですよ。いまでこそ普通なんでしょうけど、雑魚寝のマットレスをソファー感覚で使っていて、ローテーブルがあって、綺麗なテレビ台にいいテレビが置いてある。本棚には綺麗にファッション誌が並んでた。それが小学生から上がったばかりの僕にとっては衝撃的で」

 都築の当時の部屋は勉強机にベッドがあり、ベッド脇にはテレビが置いてあるような一般的な子ども部屋。野球少年だったため、もちろんファッション誌は置いていなかった。

「いとこがバイトでいない留守番の時間にこっそり(ファッション誌を)取って読んでたんですよ。久々に会ったらなんかいいなぁと。ゴールデンウィークが終わって、自宅に戻ってすぐ親に『模様替えさせてくれ』ってお願いしましたね」

 その後自らベッドを解体し、部屋を模様替え。覚えている限りでいとこの部屋を再現した。これが“洋服を買うこと”への興味の始まり。それからジャージ生活を卒業、駅ビルやショッピングモールにあるようなブランドのお店へ親にお願いして連れていってもらうようになった。

「本当にいわゆる田舎の格好をしてました。『何を着てもいい』と思っていたところから、ちょっと着たいものが増えたり、出てきた感じでしたね」

ケバブの思いでを語った都築拓紀【写真:舛元清香】
ケバブの思いでを語った都築拓紀【写真:舛元清香】

“洋服を買うこと”から“ファッション”へ興味を持ったのはそこから少し後になり、高校2年生。バイト先に少年野球を一緒にやっていた1個下の幼なじみが来たことだった。スキニーパンツにハイカットのコンバースを履き、首にはスヌード。さらに折れてしまいそうなほど細いおしゃれな自転車に乗っていた。

「最初『何やってんの? どうしちゃったの?』って笑ったんですよ。でもそいつ(幼なじみ)は“こういうの好きなんだよね”って堂々としてるんです。その場で笑ったんですけど、家に帰って寝る前に冷静になってみたら『いや待てよ。かっこよかった気がするな』と。次会ったときにもう1回確認したらやっぱりかっこよくて」

 一緒にジャージを着て炎のイラストが描かれた自転車に乗って野球に行っていた少年時代。「見たことのない人間」になった幼なじみに触れ、ファッションへの興味がうちから沸いてきた。

 ファッション好きになってからはお金をため、定期的に服を買いに行く生活を送った。当時は硬式野球部に所属。練習の合間に時給750円のバイトを週6日入れ、月に10万円ほど稼ぐ月もあったという。高校時代から親の扶養から外れないギリギリを攻めていたというから驚きだ。

 地元のファッションチェーン店でも服を探すが、お金がたまったら行くのは聖地でもある東京・原宿だ。ファッションの話をしていたはずが都築が真っ先に思い出したのは服屋ではなくケバブ店だった。

「『夏祭りじゃねぇのに1年中ケバブ食えるぞ』って言ってた記憶あります(笑)。もう僕らバカなのでケバブって祭りでしか出てこない特別なものだと思ってたんですよ。だからそれが本当にうれしくて。しかも『ケバブってどんぶりにもなるの?』って。田舎の野球小僧って丼もの好きなので、それもうれしくて。毎回行ってましたね」

 東京での服探し、1回の予算は自らで稼いだ3~4万円。高くて良いものを購入するというよりは、自分にとっての宝を探す感覚だった。

「KINJIとかよく行ってましたね。本当に安いところで自分がいいと思うものを見つけていく。このときはファッションの知識もないし、つける気もなかったです。古着だけじゃなくて当時のTHE高校生みたいな買い物をめっちゃしてましたよ」

 それから数年後、都築は知識を蓄え現在では服を買うだけでなく、デザインし売る側になっている。「あのころは服を買いに行くことがうれしくて、楽しかった時期です」。ファッションとの出会いを振り返るその表情はテレビで見るよりも柔らかく、何より楽しそうにしていた。

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