【プロレスこの一年 #7】真夏の祭典「G1クライマックス」蝶野正洋が初優勝した91年の第1回をプレイバック

天龍とホーガンとの頂上対決が実現したSWS

 この年には新日本とSWSが東京ドーム大会を開催し、しのぎを削った。新日本は前年よりWCWと提携しており、SWSはWWFとの共催でドーム大会を実現させた。新日本の3・21ドームでは藤波がダブルタイトル戦でリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。IWGPヘビー級王座を防衛するとともに一度は藤波がNWAのベルトを巻くも、判定にクレームがついて2冠とはならず、フレアーはベルトを持って帰国した。その9日後、SWSのドームではメインで天龍源一郎&ハルク・ホーガン組が実現し、リージョン・オブ・ドゥーム(ザ・ロード・ウォリアーズ)と対戦した。が、むしろ事件として話題になったのが、ホーガンが谷津嘉章を破ってWWF世界ヘビー級王座を防衛した4月1日の神戸ワールド記念ホールだった。元横綱・北尾光司が、こちらも元力士のジョン・テンタに向けて「この八百長野郎!」と暴言。この言葉が問題視され、北尾は3日後に解雇された。

 この責任を取り天龍は取締役などの辞任を申し出たが、団体側は留意。7月には天龍が社長に就任し、阿修羅原が入団、メキシコEMLLと提携しユニバーサルのエースだった浅井嘉浩を迎えるなどして立て直しを図った。そしてSWSは12月12日に再び東京ドーム大会を開催。天龍はホーガンとの頂上対決を実現させ、浅井がウルティモ・ドラゴンの日本デビュー戦をおこなった。

 大仁田厚のFMWはデスマッチ路線を強化。5月6日には大阪で大仁田VSミスター・ポーゴの「有刺鉄線バリケードマット地雷爆破デスマッチ」を敢行すれば、15日には敗れたポーゴが歩み寄ると見せかけて大仁田にビッグファイヤーを噴射、遺恨の上乗せをおこなった。一方、FMWも分裂。6月にW★INGの設立が明らかとなり8月7日に後楽園で旗揚げ、徳田光輝&齋藤彰俊&木村浩一郎の格闘三兄弟が結成された。しかしFMWの過激なデスマッチはさらに加速。9月23日には川崎球場に進出し、大仁田はターザン後藤を相手に「ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ」、3万2000人以上の観衆を動員した。

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