「KING OF DANCE」初代王者・桑原巧光は早大法学部卒 ダンス練習後に徹夜勉強で一般入試合格…支えになった亡父の言葉

ダンス&ボーカルグループのTHE JET BOY BANGERZ・桑原巧光(くわはら・たくみ=24)は、今月10日に放送されたTBS系『その道のプロが選ぶ本当のNo.1プロフェッショナルランキング』で、「KING OF DANCE」初代王者になった。その道を極めたプロたちが挑戦者の中から最も優れた“本当のNo.1”を決める生放送特番。桑原は浦川翔平(THE RAMPAGE)、木村柾哉(INI)、中務裕太(GENERATIONS)、ユーキ(超特急)とのバトルを制し、審査員5人からの満票で栄冠を手にした。その13時間前、桑原はENCOUNTのインタビューに対応。ダンスと勉学の文武両道で早稲田大法学部に進学したことも踏まえ、これまでの歩みとビジョンを語った。

ダンスと勉学を両立させてきた桑原巧光【写真:冨田味我】
ダンスと勉学を両立させてきた桑原巧光【写真:冨田味我】

Dリーグ参加→TJBBメンバー「人生で一番悩みました」

 ダンス&ボーカルグループのTHE JET BOY BANGERZ・桑原巧光(くわはら・たくみ=24)は、今月10日に放送されたTBS系『その道のプロが選ぶ本当のNo.1プロフェッショナルランキング』で、「KING OF DANCE」初代王者になった。その道を極めたプロたちが挑戦者の中から最も優れた“本当のNo.1”を決める生放送特番。桑原は浦川翔平(THE RAMPAGE)、木村柾哉(INI)、中務裕太(GENERATIONS)、ユーキ(超特急)とのバトルを制し、審査員5人からの満票で栄冠を手にした。その13時間前、桑原はENCOUNTのインタビューに対応。ダンスと勉学の文武両道で早稲田大法学部に進学したことも踏まえ、これまでの歩みとビジョンを語った。(取材・文=よもつ)

 桑原のダンスとの出会いは、小学5年生の時に起きた東日本大震災だった。福島県出身で幼少期は野球一筋。しかし、震災で外出を自粛する状況となり、野球ができなくなった。

「そんな中、ダンスをしていた姉の発表会を見に行き、男の先生がポップ(筋肉を弾くように踊るのが特徴のジャンル)ダンスを1人で踊っているのを見て、『かっこいい』と思って始めました」

 通っていたスタジオは、東京から講師を招くなど指導に力を入れていた。夜7時からレッスン、その後も仲間と残って練習する日々だった。「練習というより趣味とか遊びみたいな感覚」でダンスに没頭した。野球が好きだったこともあり、「勝敗がつくこと」がモチベーションになった。始めて2か月程でチームを組み、大会に出場。自分だけ負ける。それが悔しくて、練習に打ち込んだ。

 高校時代には、LDH主催の全国大会『DANCE CUP』で優勝。副賞として7日間のニューヨークでのダンス留学を勝ち取った。「せっかく行くなら、何か吸収したい」と思い、アポロ・シアターで開催されるアマチュア歌手やダンサーが出演するイベント「アマチュアナイト」に合わせて渡米した。

 オーディションでは、他の参加者が数秒で審査が終わる中、桑原らのチームは1分近く、楽曲の最後まで踊って合格。本選では、日本からの参加をアピールするため、三味線の音を使った音楽で、衣装は忍者の格好で出場した。

「踊り終わると2階席、3階席も含めて、全員がスタンディングオベーションでした。勝ったこともうれしかったですが、その光景が全てでした」

 結果、「アマチュアナイト」の月間チャンピオンに輝いた。高校生ながら「世界」で結果を残した桑原は、勉学も優秀で卒業後は一般入試で合格した早大法学部へ進学した。

「勉強は勝負ではないですけど、順位が出るので、そこでも燃えました(笑)。父から『一度やると決めたことは途中で諦めたり、なあなあになったりせず、やり切ること』と言われていました。大学受験が一番辛かった。週末にダンス大会に出場して、終わったら徹夜して勉強して、そのままテストを受けたこともありました」

 大学時代は、テストの直前に勉強、残りは全てダンスに費やす日々だった。2020年、2年生の時に世界初のプロダンスリーグ「D.LEAGUE(以下、Dリーグ)」が発足。参戦したDリーグでの活動も始まると、学業とのスケジュールがさらに厳しくなった。「しんどい時期もありましたが、父の言葉もあったので頑張れました」。しかし、父は桑原の卒業を前に他界した。

「直接卒業の報告はできなかったけど、見てくれていると思います」

 Dリーグ参戦は、創設者のカリスマカンタローから直々に話を受けた。

「すごい時代になったと思いました。当時はダンサーという職業に不安もあり、大学の4年間でダンサーとして生きるビジョンが浮かばなかったら辞めようと思うくらい悩んでいました。その中で、職業としてのダンサー像を示されたので、やるしかないと思いました」

 現在、Dリーグは14チームがレギュラーシーズンで戦い、上位6チームがチャンピオンシップに進出。その年のチャンピオンを決める。レギュラーシーズン中は、2週間に1度ラウンド(大会)が行われる。桑原はCyberAgentLegit(サイバーエージェントレジット)に所属。審査項目は、「テクニック」「コレオグラフィー」「ステージング」「シンクロパフォーマンス」「エースパフォーマンス」に、「オーディエンスジャッジ」を加えた6項目。作品作りでは、対戦相手チームの特性も分析し、どの項目に焦点を当てるのかなど、戦略も必要だ。

「最初の2年は、エンターテインメントジャッジ(芸人やスポーツ選手などのゲスト審査)がありましたが、3年目からダンス専門のジャッジになりました。今年から『シンクロ』や『エース』という項目が追加され、よりDリーグ専門の作り方になりました」

 勝負の世界に身を置く一方、21年にはLDH主催のオーディション「iCON Z~Dreams For Children~」に参加。23年にダンス&ボーカルグループ・THE JET BOY BANGERZ(以下、TJBB)の一員としてデビューした。

「『DANCE CUP』での優勝や、LDHがDリーグ(ダンスプロリーグ)立ち上げにも関わっていたこともあり、HIROさんから直接オーディションのお話をいただきました。自分に向いていると思わなかったので、今までの人生で一番悩みました。ただ当時、自分の中で少し停滞している感覚があり、Dリーグとは別で『もっと、自分のダンスを広げたい』と思い、オーディションに参加しました」

 当初は勝負の世界とのギャップに戸惑いながらも、新鮮な気持ちで楽しむようにしていたという。だが、最近は持ち前の闘争心が出ているという。

「明確な勝敗はないですが、お客さんの反応があります。その中でも『1番になりたい』『負けたくない』と思うようになりました」

これまでの歩みとビジョンを語った桑原巧光【写真:冨田味我】
これまでの歩みとビジョンを語った桑原巧光【写真:冨田味我】

デビューアルバム『JET BOY』リリース 目標は単独ライブツアー

 TJBBのパフォーマー7人は全員Dリーグでも活動している。ライバルチームに所属するメンバーと戦う時は「勝っても負けても心が痛い」が、だからこその「ハングリー精神」が「グループの強み」だという。

「アーティストとしては“キレイ”でいたいとも思うんですけど、勝負の世界にいると、勝ち負けと常に隣り合わせ。それをずっと経験しているので、気持ちの強さはどのグループよりあります」

 今月19日にはTJBBのデビューアルバム『JET BOY』がリリース。最新曲『B.A.D(Breaking All Destinations)』は、フォンク(Phonk)と呼ばれるダークな世界観が特徴の楽曲だ。ダンスパフォーマンスも「過去一を更新したい」という思いから、桑原と振り付け師のKAZtheFIREが共作した。

「曲を聴いた瞬間、皆で『カズ君っぽい』と、意見が一致しました。以前から一緒に踊ったり遊んだりする仲なので、直接電話してお願いしました。勝負の1曲だからこそ、共作することで今までにない構成や見せ方を取り入れました」

 そして今、グループとして目指しているのは単独ライブツアーの開催だ。

「メンバーとも『いつか東京ドーム公演、ドームツアーができるようになりたい』と話しています。個人的には、自分のダンスをもっと広めて、『ダンスが上手い人』で連想される人間になりたいです」

 桑原のダンスを「唯一無二」にしている理由は、「勝ち」にこだわる姿勢、そのための惜しみない努力だった。

□桑原巧光(くわはら・たくみ) 2000年5月19日、福島県生まれ。10歳でダンスを始める。中学、高校時代から全国大会で優勝するなど数々の実績を残す。2020年、プロダンスリーグのDリーグで、CyberAgent Legitに所属。23年に10人組ダンス&ボーカルグループ・THE JET BOY BANGERZのパフォーマーとしてデビュー。

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