高田純次、ブレイク当時のギャラ事情明かす “5時から男”CMで「生活が助かりました」
タレントの高田純次が19日、ABC『これ余談なんですけど…』(水曜午後11時10分)に出演。1985年スタートの日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』時代のギャラについて明かした。
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ベンガルからの誘いが転機「最後のチャンスかなとは思った」
タレントの高田純次が19日、ABC『これ余談なんですけど…』(水曜午後11時10分)に出演。1985年スタートの日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』時代のギャラについて明かした。
平成ノブシコブシの吉村崇が「ロケのオープニングで一番最初にボケる人のパイオニア」と紹介された高田。ますだおかだ・岡田圭右が「当然」と同意し、吉村は「あんまりないですもんね。“どうも誰々です”って」と続いた。MCのかまいたち・濱家隆一は「(カメラの)下から出てくるのとかって高田さんからですか?」と聞くと、高田は「『元気が出るテレビ』でね」と肯定した。
78歳の高田は「『元気が出るテレビ』では、僕と兵藤ゆきっていうのはほとんどギャラがなかったのよ」と振り返り「だって周りがみんな有名な人たち、(ビート)たけしさんがいて、松方(弘樹)さんがいて、その人がみんなもってくから、オレと兵藤ゆきはギャラがほとんどない。だから何かしなくちゃいけないってことで」と考えだしたボケだったという。
高田は「3年やって初めてそのときのプロデューサーに“ちょっと厳しいあれで、もう少し(ギャラを)上げていただけませんか?”“じゃあ、同じ月曜日の撮りだから『11PM』に出すよ”って。で、少し上がった」と振り返った。「泣き言いうわけじゃないけど、38(歳)から『元気が出るテレビ』やって、42(歳)ぐらいで、その当時のサラリーマンの人と同じぐらいの(給料になった)」と打ち明けた。
濱家の相方・山内健司が『元気が出るテレビ』時代について「収入少なかったっておっしゃってましたけど、どんぐらいやったんですか? 1オンエア」と直球質問。高田は「1オンエア? 手取り20万(円)はなかったな」と返答し、「だって一旦、プロダクションに入れなくちゃいけない。そのころテレビでレギュラーやってるのはオレしかいなかったから。ほかの人は好き三昧に舞台の方を。みんな独身だったんです、オレ以外の4人は。オレだけ1歳の子どもを抱えてたのよ」と説明した。
山内は、1988年に「5時から男」が流行語になった「グロンサン」のCMについても「めっちゃお金入りましたよね?」と確認。高田は「ピンであの時初めて手取りが……2億(円)か」と発言。“テキトー発言”を連発する高田に濱家は「どっちかわからん」と反応。岡田も「2億は(可能性)ゼロじゃない。バブルの時代やから」と続くと、高田は「あのときはでもね、200万か300万か……。そんな大したことないけど、でも普通のあれより多かったから助かりました、生活が。あれはね」と笑いながら口にした。
高田は30歳で劇団「東京乾電池」に入団。以前に研究生を経験していたが1年ほどでやめ、ジュエリーデザイナーの仕事へ。そのとき焼き鳥店で再会したベンガルから公演への出演を依頼されたという。会社勤めのままでもいいと言われたが、思い切って退社。「最後のチャンスかなとは思った」と人生の分岐点だったとした。
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