布袋寅泰、初めての楽器はピアノ「一生懸命まじめにやっていた」 ギターとの出会いは14歳
ギタリストの布袋寅泰が18日、都内で行われた『VANTAN MUSIC ACADEMY 開校PRイベント』に登場した。布袋は2026年4月に開校となるデジタル時代に対応した音楽専門校『VANTAN MUSIC ACADEMY POWERED BY ユニバーサル ミュージック』の特別顧問に就任。この日は自身の音楽人生を振り返り、入学希望者にエールを送った。
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シルエットを見ただけで「“布袋のサウンド”が聞こえてくる」ようなギタリストに
ギタリストの布袋寅泰が18日、都内で行われた『VANTAN MUSIC ACADEMY 開校PRイベント』に登場した。布袋は2026年4月に開校となるデジタル時代に対応した音楽専門校『VANTAN MUSIC ACADEMY POWERED BY ユニバーサル ミュージック』の特別顧問に就任。この日は自身の音楽人生を振り返り、入学希望者にエールを送った。
この日は特別顧問として登壇した布袋が自身の音楽人生を振り返った。群馬県出身の布袋は、音楽好きな両親の家庭で育ち、自宅ではステレオから映画音楽や外国のタンゴ、ワルツ、クラシック音楽などが流れていたという。「実際に音楽に触れたのは、ピアノが初めてですね」と、初めての楽器はピアノだったと明かした。「バイエルから始まってソナチネに行って、一生懸命まじめにやっていたんですけど、途中で集中力が途切れてしまって。もっと自由なポップスなどを、自分の思ったように弾いてみたいと思った時に、エレクトーンに出会いました。足でベースプレイができるようになっていて、左手でコード、右手でメロディー。ひとつのアンサンブルを奏でる楽器と出会って、エレクトーンに転向しました」と語った。
その後、14歳でギターに出会った布袋は群馬でアマチュアバンドを結成。スペースを借りては仲間を集めてライブを行う日々を送る。「バンド仲間と練習して、課題曲を少しずつグレードアップして、自分のスキルをアップしました。次はいよいよ、コンテストを受けた。僕は残念ながら『ベストギタリスト賞』は取ったことがないんだけど、いつも『ベストアイデア賞』とかで、『あなた、なかなか発想が面白いよ』なんて言われて」と振り返った。「その気になって、『これは東京に出て、プロの道にチャレンジしよう』ということで、群馬から東京に出てきて、群馬の仲間と一緒に『BOOWY』を結成しました。ライブハウスからの、本当にゼロからのスタートではありましたけど、自分のプロとしてのバンド人生が始まったのが19歳ですね」と歩みを語った。
大人気バンドとなったが、「『BOOWY』はどちらかというと、ライブハウス時代のほうが長くてですね。6年間やっていたバンドですけども、いわゆる『売れた』『ブレイクした』のは最後の2年でしたね。始めの4年間はもう、何をやってもなんか空回り」と苦悩も明かした。「でも、その時間が結局は良かったんだと思う。『なんで自分たちの音楽が伝わらないんだろう』『じゃあ、こうやってみよう』『もっとこうやってみよう』。いろんなトライをして、ライブハウスの前にいるお客さんの反応を見ながら、バンドで乗り越えてきた」と、試行錯誤が今につながっているという。
その後のソロ活動については、「大きな1つのチャレンジの一歩」だったと語る。「バンドの中の4分の1ではなく、真ん中に立つ。歌を歌うこと自体も初めてだった。ソロアーティストとして、インストゥルメンタルのギタリストとしてやっていくという方法もあったけど、自分の音楽には絶対的にメロディーが必要だと思ったので、『自分で歌ってみよう』と思った」と明かした。
映画『キル・ビル Vol.1』では布袋の曲がメインテーマに
クエンティン・タランティーノ監督の映画『キル・ビル Vol.1』(2003年)では、布袋の『BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY』がメインテーマ曲として起用されている。布袋は「もともとこれは、日本映画『新・仁義なき戦い。』(2000年)のために作った曲なんですね」と説明。「この作品には、役者として、そして音楽監督として参加しました。僕にとってはとてもチャレンジングなもので、役者としては自信もなかった。でも、この歴史あるシリーズ作品に新しい風を吹かすというのは、音楽家としては腕が鳴る瞬間でもありました」と、当時の気持ちを語った。
この『新・仁義なき戦い。』を見たタランティーノ監督が、同曲を『キル・ビル』に使いたいとオファー。「僕はせっかく監督とご一緒するんだったら、『新曲を書きたい』って言ったんですけど、彼は譲らなかったんですね。この曲に、1小節もかからず2拍で『この曲だ』と連想できるものすごいスピード感とパワーがあったことを、タランティーノ監督は見抜いてくださったんだな」とエピソードを語った。「この楽曲のおかげで、僕は世界的に皆さんに知ってもらえた。僕の名前は知らなくても、この楽曲のことは皆さんご存知なので、『新・仁義なき戦い。』に勇気を出してチャレンジしたことが、僕の夢をある意味かなえてくれたと思う。あの時の“勇気ある一歩”は、僕の人生にとって大きな一歩でしたね」と思い返した。
AIなど時代の変化によって音楽の形も変わっているが、音楽との向き合い方について聞かれると、「僕は楽器を弾くので、常に楽器との対話というか。自分の中が空っぽでも、実際にギターを手に持ってかき鳴らすと、楽器の方から語りかけてくれる。それでずっと乗り越えられてきたような気がしますしね」と語った。「僕は、自分のシルエットを見ただけで“布袋のサウンド”が聞こえてくるような、そんなギタリストになりたい」と理想を掲げ、「もう10代の頃から、そんな偉そうなこと言っていましたけど、結果的にそうなってきてるんじゃないかな」と語った。入学希望者を前に、「やっぱり、『自分以外』になろうとせず、『自分は自分のままでいる』。難しいけれど、それしかできないんですよね。そういう風になるために、いろんな経験をするのが大切じゃないかなと思います」と呼びかけた。
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