武田修宏、年収360万→1億2000万円のバブル生活 3年で転落「1億5000万を身内に横領された」

元プロサッカー選手でタレントの武田修宏が15日、MBS『痛快!明石家電視台』(土曜午後3時)に出演。華々しい現役時代を含め、落差もあったこれまでの人生を振り返った。

武田修宏【写真:ENCOUNT編集部】
武田修宏【写真:ENCOUNT編集部】

ヴェルディ川崎で活躍

 元プロサッカー選手でタレントの武田修宏が15日、MBS『痛快!明石家電視台』(土曜午後3時)に出演。華々しい現役時代を含め、落差もあったこれまでの人生を振り返った。

 冒頭でMCの明石家さんまから「武田も長く芸能生活やってるけど、現役引退は何歳?」と聞かれた57歳の武田は、「34歳で引退して、それから指導者だったり、バラエティーで出て。去年は指導者として」と説明。昨年は名古屋グランパスの特別コーチとして活動したとした。

 静岡・清水東高時代からサッカーセンスを発揮した武田は日本テレビ系列の静岡第一テレビに就職し、東京支社に配属されて読売クラブ入り。「2時間電話番して、そこからよみうりランドに練習に行って」と日々の生活を明かした。「代理店にスポット(CM)を売りに行ったり、テレビ局だったんで。当時はプロなかったんで、社員として行ってましたね」と他の業務内容も話した。

「4年ぐらい会社員を継続してて、いきなりプロ(Jリーグ)ができるっていう、プロになろうと思ってサッカーしてないですから」と当時の心境を告白し、「いきなりプロができたって感じですね」とヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の誕生に触れた。

 進行のMBS山崎香佳アナウンサーが「当時から人気はあったんですか?」と聞くと、さんまが「武田は高校時代やねん。武田のサッカー人生では高校時代がトップ。とんでもないスーパースター」と解説。武田は「高校サッカーで、1年生で背番号10番で静岡県代表で清水東で得点王になったんです」とアピールし、「その時、関西ではPLの清原(和博)、桑田(真澄)。野球は。サッカーは自分で言っちゃうけど、武田修宏だったんですよ」と胸を張った。さんまも「間違いないよ」と認めた。

 Jリーグでの人気ぶりについて「月収30万、40万円が600万円とか、年収1億2000万円になったり。ホテルオークラに1年住んだりとか。スイート(ルーム)に」と生活が激変したと回想。ホテル居住について質問されると「ホテルのスイートにずっと1年間。敷金、礼金があるんだったら、ホテルでお金を落とした方がいいから。そういう時代でしたね」と明かした。

「僕、最初、東京行った時、六畳一間にお兄ちゃんと2人暮らしでサラリーマンでしたから。それがいきなりブワーンってなって、ホテルオークラ&ポルシェになっちゃって、雑誌の取材はあるわ、表紙はあるわ」と“セレブ生活”を語った。間寛平が「何年続いたん?」と尋ねると、武田は「3年ぐらいです。バブルだから、はじけちゃうから」と返答。「僕が34歳になって、1億5000万を身内に横領されて。お金がなくなって、ブラジルに35歳で単身住んだことがあったんで。すごいいい時もあるし、はじけちゃってブラジルで1人じゃん(みたいな)」と語った。36歳の重盛さと美からは「私より若い子はみんな“おバカタレント”っていうイメージで。さっき聞いてびっくりした。そんなすごい人だったんだって」と素直に口にされた。

 3度目の復帰となったヴェルディから34歳で引退する際は年俸600万円で契約更新の話があったが蹴ったという。武田は決め手について「ホリプロの尊敬する会長に相談し、『一応、提示してもらってるんですけど』って、『だったらやめてホリプロ入りなさい』って言われてやめたんです」と打ち明けた。「やめるって(決断は)、選手は難しいんですよ。やめるタイミングって。あの時言ってくれたおかげでやめました」と感謝した。

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