山田雅人の語りに川崎憲次郎が涙 挫折を繰り返した投手人生を支えた3人の恩師
川崎が野球人生で影響を受けた3人の恩師
山田は、ここから野球人として川崎に影響を与えた3人の恩師とそれぞれのストーリーを語っていく。「300球の直球を45分以内で投げろ」と指導を受け、速球派への道を開いてくれた大分県津久見高校の当時の監督・小嶋仁八郎さん。「エースの投球を見て覚えろ」と指導され、エースの道を開いてくれたヤクルト入団時の監督・関根潤三さん。そして川崎を日本シリーズMVPに、さらに沢村賞へと導いてくれた野村克也さん。川崎が度重なるケガや挫折に負けることなく、マウンドに立ち続けることができたその原動力や恩師の言葉、初めて語られるその物語に、観客も息をのみながら耳を傾けた。
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川崎の不甲斐ないピッチングにマウンドに上がった関根監督がテレビではニコニコした優しい表情が映る一方で、実は画面に映っていない足元で思い切り蹴りを入れられていたという意外な一面を披露。山田も関根さんから直接聞いたという話を紹介し、長嶋茂雄さんが長男の一茂さんを後楽園球場に置いたまま帰ってしまったという有名な逸話の後日談として、一茂さんをクルマで自宅まで送って帰ったのは実は関根さんだったというエピソードに川崎も知らなかった様子で客席からもどよめきが起こった。
ステージ中盤に差し掛かり、メインテーマであるヤクルトリーグ優勝の92年、そして川崎が日本シリーズMVPを獲得した93年、西武ライオンズとの死闘へと物語は突入する。92年は故障で1度もマウンドに立てなかったが、野村監督からの命令でスタンドから日本シリーズを毎試合観戦した。その悔しさを翌年試合にぶつけ、日本シリーズでは「飯田(哲也)のバックホーム」「広沢(克己)の人生初のヘッドスライディング」「古田(敦也)のギャンブルスタート」など、ナインとの強い絆で奇跡のプレーが次々と生まれていった背景を物語と川崎の証言で説き明かしていく。