すがやみつるが石ノ森章太郎から「唯一の弟子」と呼ばれるまで 寝起きも深夜も“突撃”「あまりにもしつこく」
『ゲームセンターあらし』などの代表作で知られる漫画家・すがやみつる先生(74)は、言わずと知れた漫画界のレジェンド・石ノ森章太郎先生に“唯一の弟子”と呼ばれた。すがや先生は、石ノ森先生のもとでアシスタントを務めた経験はない。ではなぜ、そういった関係になったのか。すがや先生が描いた『仮面ライダー』のコミカライズ作品を軸に、2人の絆を取材した。

石ノ森先生とのぜいたくな日々「人生で1番濃密な時間」
『ゲームセンターあらし』などの代表作で知られる漫画家・すがやみつる先生(74)は、言わずと知れた漫画界のレジェンド・石ノ森章太郎先生に“唯一の弟子”と呼ばれた。すがや先生は、石ノ森先生のもとでアシスタントを務めた経験はない。ではなぜ、そういった関係になったのか。すがや先生が描いた『仮面ライダー』のコミカライズ作品を軸に、2人の絆を取材した。(文=関口大起)
その原点は、すがや先生が学生時代、石ノ森先生の同人グループに所属していたことまで遡る。高校を卒業後、すがや先生は編集プロ勤務を経て漫画家のアシスタントとして生計をたてていた。そんな時、同グループのメンバーで、石森プロの事務員として働いていた女性から仕事を紹介される。
「石ノ森先生が過去に書いた『怪傑ハリマオ』という漫画をトレースして原稿化し、コミックスにする仕事でした。時代的にはもう『仮面ライダー』の放送が始まっていて、人気に火がつく直前でしたね。
当時、石ノ森先生は月に500、600ページくらい漫画を描かなきゃいけないから、とにかく多忙だったのです。それに加えて『好き!すき!!魔女先生』『さるとびエッちゃん』『原始少年リュウ』のテレビ化やアニメ化が控えていて、翌年には『変身忍者 嵐』の放送が決まっている。すると関連商品がどんどん生産されるわけですが、描く人が足りません。そういうわけで、『怪傑ハリマオ』以降も仕事が回ってくるようになりました」
茶碗やお箸、ハンカチにカバン……とさまざまな商品に使用する絵を描いていたというすがや先生。そこに千載一遇のチャンスが訪れる。『仮面ライダー』のコミカライズ担当者を探しているというのだ。当時、先生と同じように関連商品用の絵を描いていた4人に白羽の矢が立った。
いわばオーディション状態。求められたのは、「『仮面ライダー』の絵を何枚か描いて持ってきて」という簡潔なもの。すがや先生は、スケッチブック一冊にカットを描き込んで提出した。
「量で熱意を見せようという狙いですね(笑)。狙い通り、他の人たちは3、4枚くらいしか提出しておらず、『絵は一番下手だけどやる気があるから』という理由で選んでもらえました。ちなみに、“一番下手”というのは自覚があって、デッサンは取れないし、『仮面ライダー』の作風にあったリアルな頭身のキャラクターも全然描けませんでした。
担当になったのはいいものの、1話目から全然ダメ。結局、石ノ森先生に下絵を描いてもらったりして。以降もそんなことばっかりでした。描けたと思っても直し直しの連続で」
石ノ森先生と信頼関係を築いたすがや先生「弟子はすがや一人だ」
ネーム、下絵、ペン入れのすべての工程で、何度も直しをもらう期間が続く。当時、月に数100ページを描きあげる作家もいる中、すがや先生は、18ページを仕上げるのに20日以上かかることもあったと明かす。
「石ノ森先生の隙間時間を狙って漫画を見てもらっていました。深夜の時もありますし、起きた直後の時もあります。特に印象的なのは駅前の喫茶店ですね。先生は、決まった喫茶店でネームを作っていたので、そこにお邪魔してひと段落ついたところを見計らってチェックしてもらう。私があまりにもしつこく通うので、そのうち“弟子”として見てくれるようになったのかもしれません」
事実、石ノ森先生は「アシスタントはたくさんいたが、弟子はすがや一人だ」と語っている。
「石ノ森先生の仕事場に行くと、先生の椅子の斜め後ろに立って、描いているのをずっと見ているんです。すると先生も私の視線が気になってきて、なぜこの構図なのかなど、細かく解説しながら描いてくれるようになりました」
石ノ森先生の名著に『マンガ家入門』があるが、これは極めてぜいたくな、すがや先生のためだけの「マンガ家入門」と言っていいだろう。すがや先生も、人生を振り返ってもいちばん濃密な時間だったと振り返る。
そうして信頼関係を築いていった両先生。いつの日か、すがや先生は『仮面ライダー』をオリジナルストーリーで描くことも許可されるようになった。きっかけは、石ノ森先生のスケジュールがどうしても間に合わず、すがや先生がオリジナルの怪人を描かざるを得なくなった時のことだ。
「ショッカーの科学者が息子を改造するという、泣けるバックボーンを持ったクラゲウルフという怪人を描きました。クラゲウルフは音波で攻撃するのですが、戦いの舞台をお寺にして、ライダーは音波を釣鐘で反射させて倒すという展開にしたところ、石ノ森先生が面白がってくれたんです。
そして、『絵はまだまだだけどお前はストーリーが作れる。この姿勢でやっていれば、お前は漫画家になれる。もう俺の監修はなしでいいよ。自分の責任でやりな』と言ってくれました」
こうして、『仮面ライダー』という大きな看板を背負うことになったすがや先生。しかし、プレッシャーよりも面白さ、楽しさが勝ったという。「自分で考えて描くからこそ楽しい」。そのマインドが、その後『ゲームセンターあらし』などのヒット作を生み出し、企画書をもとに名作を量産していくすがや先生の成功につながっている。
○関口大起(https://x.com/t_sekiguchi_)
