1980年代の少年たちを熱狂させた“伝説のゲーム漫画”誕生前夜 高3でアシスタントを経験

1978年、「月刊コロコロコミック」(小学館)に読み切りが掲載され、翌79年には同誌で連載となり、日本中の少年少女を熱狂させることとなるコミック『ゲームセンターあらし』。その作者・すがやみつる先生(74)は、小学生時代から“ラジオいじり”と漫画制作に熱中するような少年だったという。静岡の片田舎に生まれた少年が、いかにしてヒット作家になったのか。その歴史を、すがや先生本人に聞いた。

すがやみつる先生【写真:本人提供】
すがやみつる先生【写真:本人提供】

一世を風靡したゲーム漫画が誕生するまで

 1978年、「月刊コロコロコミック」(小学館)に読み切りが掲載され、翌79年には同誌で連載となり、日本中の少年少女を熱狂させることとなるコミック『ゲームセンターあらし』。その作者・すがやみつる先生(74)は、小学生時代から“ラジオいじり”と漫画制作に熱中するような少年だったという。静岡の片田舎に生まれた少年が、いかにしてヒット作家になったのか。その歴史を、すがや先生本人に聞いた。(文=関口大起)

「ラジオをいじって、飽きると漫画を描いて、それに飽きるとラジオを……の繰り返しをしている子どもでした。当時、自分が漫画で食っていけるなんて思ってもいなかったのですが、中学3年生になった頃、石ノ森(章太郎)先生の『マンガ家入門』という本を読んで胸を熱くしたのです。だって、先生は高校生でデビューした、なんて書いてるあるんですよ」

 中学3年生。同級生が高校受験の勉強に励む中、すがや先生はひとり、漫画制作に没頭することになる。漫画家になれば若くして自立できるかもしれない。そんな思いを抱いて。

 人気漫画家の住所が、雑誌の小口(柱)に書いてあったような時代だ。すがや先生は、30ページ前後の完成原稿と弟子入り志願の手紙を石ノ森先生に送った。しかし、返事はなかった。

「当然ですよね。日本中の漫画化志望の若者が、私と同じように『マンガ家入門』に触発されていたのですから。あとで分かったことですが、先生の仕事場には送られてきた原稿やイラストが天井まで積み上がっていました」

 その後、親戚一同の説得もあり、すがや先生は高校へ進学することになる。そして高校時代、石ノ森先生(当時、石森)を名誉会長とした同人グループ「墨汁三滴」に参加。勉学に励みながら、漫画の制作を続けていった。

「石ノ森先生が作った同人誌が『墨汁一滴』。そして女性グループが作った『墨汁二滴』があったので、我々は“三滴”に。作った同人誌は、仲間内で回して感想を言い合うだけではなく、漫画家の先生や編集部に見せに行く活動もしていました。ヘタクソだとか、線が汚いだとかボロクソ言われるんですけど、現場でプロの原稿を見られるのは貴重な経験でした」

石ノ森先生に師事するようになったきっかけは「『怪傑ハリマオ』の描き起こし」

 すがや先生が高校3年生になる頃には、休日や長期休暇を使ってプロの現場でアシスタントに入るようになっていた。そうして高校卒業後は、江波譲二先生の元でアシスタントを務めたのち、編集プロダクションで編集者経験を経て、ジョージ秋山先生ほか、さまざまな現場でアシスタントを経験する。

「ジョージ秋山先生との仕事に区切りがついてプラプラしていた時期に、墨汁三滴を一緒に作っていた女性から連絡がありました。彼女は、石森プロで事務員をしていたんです。話を聞くと、10年以上前に石ノ森先生がコミカライズを担当した『怪傑ハリマオ』の漫画原稿を描き起こす仕事があると。

 原稿はもう残っていなかったので、掲載された雑誌のページを撮影した写真を元にトレースしていくことになりました。雑誌のノドで歪みが出ますから、見開きがきれいに見えるように調整するのは大変でしたね。『怪傑ハリマオ』は全体で1000ページ(250ページ×全4巻)くらいあったので、確か4人で分担した記憶があります。そして、これがきっかけとなって石森プロの仕事を手伝うようになっていきました」

 以降、『仮面ライダー』シリーズのコミライズなど石森プロの仕事を引き受けつつ、自身のオリジナル作品でも人気を獲得していったすがや先生。そんな中「テレビゲーム漫画」の企画が持ち込まれる。「ゲーム」は、幼い頃は“ラジオいじり”に熱中し、大人になってからの趣味もアマチュア無線やマイコンだったという先生らしいテーマだが、意外にも編集部のオファーだったのだ。

「『表紙に載せるカットは今日が校了なんだけど~』という乱暴な話でした(笑)。とりあえず急いで5点くらい描いて、編集部のアルバイトの子に渡しましたね。すると翌日には担当編集者が仕事場に来て、私としては3、4番手だと思っていたキャラクターが選ばれて。それが、今も変わらないあの出っ歯の“あらし”です。細かい設定は、連載を重ねる中で追加していきましたけど。その場その場で思いつきでやっているから、作品に連続性や統一性がないというか(笑)。自分でもよく覚えていないことが多いんです」

 単行本は約500万部。のちにテレビアニメ化も果たし、日本の少年少女を熱狂させる『ゲームセンターあらし』の伝説は、こうして動き出したのだ。

○関口大起(https://x.com/t_sekiguchi_

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