日本人初の柔道女子金メダリスト、試合中に助言した指導者に「うるせー」と叫んだ理由 小川直也も共感
日本柔道界の変革を声高に口にしてきた“暴走王”小川直也(1992年バルセロナ五輪柔道95キロ超級銀メダリスト)が、さらなる提言を行った。

「俺の頃はまだ(選手ファーストではなく、指導者が)優遇されていた」(小川直也)
日本柔道界の変革を声高に口にしてきた“暴走王”小川直也(1992年バルセロナ五輪柔道95キロ超級銀メダリスト)が、さらなる提言を行った。
これまで小川は、昨年の全日本選手権大会を例に出しながら、「ルールを世界と統一させればいいのに、日本独自のルールを作るわけよ。なんでそういうことをするのかなって。やってるプレイヤーが第一じゃない。なのに、そこを考えてないな。誰が首謀者なんだ。出てこいみたいなさ」と苦言を呈していた。
今回、小川はやはり「(全日本)柔道連盟に危機感がない」と柔道人口の減少への対策について、迅速に動いてほしい旨を話した。
さらに「実際の現場の声を拾ってほしいっていうのはあるよな。みんな現場の仕事をやりたがらない。なんでだろうと思って」と首をかしげた。
同発言は小川のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」で口にしたものだが、小川の傍には『JJM女子柔道部物語』を連載中の漫画家・小林まこと氏と、同作品の原作者で1996年アトランタ五輪柔道女子61キロ級金メダリストの恵本裕子氏(日本人女子柔道家初の五輪金メダリスト)がおり、小川の発言を聞きながら持論を述べた。
小林氏は、小川が神奈川県茅ヶ崎市にある小川道場で小中学生の指導をしていることに触れ、「本来であれば、全柔連の強化の(ほうに回ってもおかしくない)人じゃない」と水を向けると、小川は「強化はやりたがるヤツがいっぱいいるんですよ」と口にした後、「なんの思惑か分からないけどさ。でも、やっているヤツは面白いのかなって思うわけ。俺の頃はまだ(指導者が)優遇されていたのかな。俺の時はコーチのほうが偉かったのよ。マスコミの書き方にしても。(当時の監督だった)山下(泰裕)先生とケンカすると、すぐ俺が悪くなる。選手ファーストじゃねえんだよ」と当時の雰囲気が、決して選手ファーストではなかったことを明かす。
さらに小川が「時代が早すぎたのかもしれないけど、俺が生意気だとか、先生に楯突くとは何事だって。生徒は先生の言うことを聞いときゃいいって。そんな時代だったから、最悪だったよ、ホントに」と話すと、恵本氏も「私もちょっと時代が早くて、生意気だって言われました」と呼応した。
これには小林氏が「(小川と恵本は)似てるんですよ」と合いの手を入れると、「これからそれは漫画にしていくけど、めちゃ面白いんだわ。逆らいっぷりが」と語ったが、小林氏によれば、恵本氏は試合中、当時、日本代表の責任者だった山口香氏の助言に対し、「うるせー!」と口にしたエピソードを明かすと、すかさず小川が「それがホントに選手の気持ちなんです」「(監督は)アドバイスはするんだろうけど、その感覚、距離が読めてなかったんだな」とフォローを入れた。

漫画『JJM女子柔道部物語』が少しでも柔道界への貢献になれば
ちなみに恵本氏いわく、それが起こったのは国際大会でのこと。
「私がカッカカッカなって、(審判から)『待て』がかかって、まとめようと思っていた間にワーッて言われて、うるさいうるさいうるさいと思ってて、(思わず)『うるせー!』って言っちゃったんですよ」
「その後、ランチとかに行ったので、人間関係は悪くなかったんですけど……」
「(山口氏は)すごくクールそうに見えるけれど、セコンドに付くと、熱くなっちゃうんでしょうね」
ここまで話した恵本氏は「ピンポイントでポンと言ってくれるほうが入るんですけど」と話した。
この発言に対し小川は「トップ選手は勝つために自分でプログラムを作成してきているからね。隣で『もう少しこうしたらどうだ』はいいけど、ピーチクパーチク言われちゃうとさ。自分でこうしなきゃああしなきゃって冷静にならなきゃって時にさ、ガーッて言われたら、それはなるわ」と話すと、自身の体験談を述べた。
小川は現役時代、「山下先生とは途中で折り合いが悪くなって、斉藤(仁)先生を指名しました。究極は違う先生がよかったけど、それしか選べなかったから。(当時は)全日本選手権一つにしても、(五輪の)選考会が入っている(兼ねている)じゃないですか。なのに山下先生が審判に入っていたりとか。当時はですね。ちょっとそこは違和感がありましたね。そこは監督が審判をやっちゃいけないでしょ、と思うじゃん。俺のことが好きなのか嫌いなのか。好き嫌いになっちゃうから」と、審判の好き嫌いが判定基準に加わってしまう危険性を懸念したという。
小川いわく、「どっちもどっちの審判泣かせの試合があるわけよ、判定になっちゃうと。そうすると好みの問題になるわけよ。技数をかけたほうを取るのか反則を取るのかとかね。判定になっちゃうとそうなっちゃう」「それを山下先生が捌(さば)いていたから、違うでしょって。それは正直、あったよ。でも、その時に『違うでしょ』って言ったらオオゴトだからさ」と語り、当時、国民栄誉賞を獲得し柔道界に圧倒的な影響力を誇っていた山下氏に対する複雑な思いを吐露した。
なお、小林氏の『柔道部物語』を高校生の頃から読んでいたという恵本氏は「(主人公が)白帯からどんどん強くなっていく姿を、自分を投影させてというか、それが励みになって、私にもできるよねっていうマインドになったんですよ。だからもしこの漫画(『JJM女子柔道部物語』)を見て、高校生から始めた子が、『励みになりました』みたいなことを言ってくれる漫画になったら、すごく嬉しいなと思います。それが柔道界にもしかして、貢献できることなのかなって思います」と語り、少しでも柔道の普及や貢献になればとの思いを語っていた。
