がん闘病の西村修、藤波辰爾の代役参戦に涙止まらず 体調悪化で緊急入院 「仲たがいをしてしまった時期があった」
「後楽園に行って話したかったことをすべて話します」。食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中のプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修が1月31日、『ジャイアント馬場没25年追善~太陽ケア引退試合~木原文人リングアナデビュー35周年記念大会』(後楽園ホール)を欠場した。転移した脳腫瘍の進行と治療による副作用などで容体が悪化し、緊急入院したため会場に姿を見せる希望もかなわなかった。一方、西村の代役として出場したのは、絶縁状態にあった師・藤波辰爾だった。18年間にわたる関係断絶、恩讐を超えての男気参戦は大きな感動を呼んだが、西村はどう受け止めたのか。病棟の西村に電話で胸中を聞くと――。
「自分から頭を下げにいかなきゃいけないのに…」
「後楽園に行って話したかったことをすべて話します」。食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中のプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修が1月31日、『ジャイアント馬場没25年追善~太陽ケア引退試合~木原文人リングアナデビュー35周年記念大会』(後楽園ホール)を欠場した。転移した脳腫瘍の進行と治療による副作用などで容体が悪化し、緊急入院したため会場に姿を見せる希望もかなわなかった。一方、西村の代役として出場したのは、絶縁状態にあった師・藤波辰爾だった。18年間にわたる関係断絶、恩讐を超えての男気参戦は大きな感動を呼んだが、西村はどう受け止めたのか。病棟の西村に電話で胸中を聞くと――。(取材・文=水沼一夫)
――1・26広島大会に続き、後楽園大会も欠場した。現在の体調は?
西村「年が明けて中旬ぐらいまではよかったんですけど、中旬ぐらいから検査の結果が思わしくなかったのと、放射線治療しているにもかかわらず、食道から転移した脳腫瘍がどんどん膨らんでいっちゃったんですね。急きょ放射線を中止してガンマナイフというメスを入れない治療を12月下旬にやったんですけど、それの副作用もあって、先週自宅でけいれんを起こしてしまった。通院を繰り返していて、昨日(1月30日)はもともと抗がん剤の治療の予定だけだったんですけど、容体がおかしくなっちゃってそのまま家に帰らず入院しちゃったんですよ。今は体調は回復しています。ただ、退院は明日、明後日ということはない。早くて来週です」
――西村さんの代役として藤波さんが参戦したが。
西村「木原(リングアナ)さんがいろいろ動いてくれたみたいで、数日前に代役が決まりましたという連絡を受けた時は、師匠の器の大きさに涙が止まらなかったです。いつの日かゆっくりお会いして、私から謝りたいと思っていました。自分から頭を下げにいかなきゃいけないのに、まさか藤波さんから気にしてくれた」
――2007年、無我ワールド・プロレスリングを離脱して以来、18年にわたり、関係は途絶えていた。どんな思いで過ごしてきたのか。
西村「新人のころ最初は三銃士の付け人をやらせてもらい、95年から藤波さんとずっと行動をともにさせていただいた。プロレスのイロハからコンディションの整え方から普段のレスラーとしての身だしなみ、品から、何もかも1から100まで教わったのは間違いなく藤波さん。いろんな紆余曲折があって、特に面と向かってぶつかり合って過ごした時間というのはなかったんですけど、仲たがいをしてしまった時期があった。それで私自身思うところがあって、征矢(学)を引き連れて家出をしてしまったというのが18年前。自分にとって一番大切な師匠をこんなに長い間失ってしまった。すべて謝りたいというのはずっと思っていました」
――後悔の気持ちが募ってもなかなか本人に伝えることはできなかった。
西村「雑誌のインタビューを受けた時、多くの失言が出てしまった。若気の至りという言葉で済ませてはいけないけど、大人としての対応ができなかったのは今さらながら反省しています」
――これをきっかけに師弟復活を望むファンは多い。
西村「こんな不名誉なことをさせてしまった私自身におしかりをいただく覚悟の上でもう一度お会いしたい。本当は私が後楽園ホールに行って2000人の前で公開謝罪というものをしなきゃいけないけど、体調が後楽園ホールに行くことができないくらい悪かった。それも含めて申し訳ありませんでしたという気持ちです」
――現在の状態について担当医の判断は。
西村「低空飛行は低空飛行。4月に入院して最初は抗がん剤が非常に効いて順調だった。夏ぐらいはがんが7割消えていて完治するぐらいの勢いだった。大仁田(厚)さんからオファーがあって2試合に出たんですけど、さらにがんは活発化して、さらに強固なものとなり、どんどん転移は進んでいった。自分の体調がよかったものですから、試合に出続けてしまい、それがよくない方向に進んでしまっていた。ずっと最初から養生していればよかったのかもしれない。ただ、私がレスラーとしてここまで生きてこれたのはファンの皆様の多大なるご声援がいかに大きかったかというのがある。人間、起きてても寝てても1日24時間ならば、起きて多くの人の前で同じように苦しんでいる人に感動と感激を与えるのがレスラーの仕事だと思ってやっている。後悔するつもりはありません。低空飛行の中、これからもがんとの闘いは続いていくでしょうけど、いったん様子を見ながら養生しないと今度は命を取られる結果となりますからしばらく(試合は)お休みをいただくつもりです」
――文京区議会議員としての職責は。
西村「区民23万人の生活がかかっている。大事な仕事もありますし、地元の陳情ごともありますし、毎日のようにやらなきゃいけないことがあります。電話やメールで報告をいただいて対応しています。がんでありながらも病床でパソコンも使えますし、電話も使えますし、やらなきゃいけないことをこなしています。体力を落としてはいけないと、部屋で軽いダンベル体操もやっています」
――脳腫瘍は昨年10月、7時間半に及ぶ開頭手術で摘出した。再び大きくなった腫瘍をどう治療していくのか。
西村「簡単に言うと、治療法は3つあります。大きさによって摘出手術したほうがいいものなのか、ガンマナイフがいいものなのか。あとは抗がん剤。その時に合った治療を日本を代表する病院で受けさせていただいている。今、毎月のように著名人が亡くなっている。本当に多い。でも、それはそれとして、絶対負けないという気持ちを持ちながら闘っています。どんどん悪化と増大と転移をしながらも今できる最先端の治療をしながらできる限りの治療をしている。昨年10月19日に自宅で意識を失った。それでCTを撮ったところ、頭の4分の1ぐらいの大きさに脳腫瘍が見つかった。今まで食道の先生だったのが、10月19日から頭の先生も加わって、CTなり放射線なり、頭を徹底的にやろうということになって最優先で治療を続けていた。その最中というか、徐々に後半戦に入ってきているというのが現状です。退院は今すぐにもしたいところなんですけど、ドクターストップがかかっているものですから、今は医療の力を信じて回復やリハビリに専念したいと思います」
「もう1回リングに」 勝利つかんだ藤波がまな弟子に魂のエール
〇…緊急参戦した藤波は越中詩郎、新崎人生と組み、長井満也、井上雅央、土方隆司with藤原喜明組と対戦。ドラゴンスクリューで会場を沸かせると、最後はドラゴンスリーパーで井上をタップさせた。試合後、「まだ若い彼がもう1回リングに上がってこれるように、そういう思いを込めて上がりました。僕と彼の間には誰しもが入ってこれない(ものがある)。こういう状況の中で、とにかくまだ若いんだし、頑張ってリングに上がって来い。それだけです」と西村に熱いメッセージを送った。