忌野清志郎さん、伝説のバンドで起こした放送事故 衝撃事件の舞台裏「情報に振り回される社会になる」

忌野清志郎さん(2009年に他界)によく似た人物(=ZERRY)が率いる4人組の覆面バンド、ザ・タイマーズが31日、TOKYO FMホールでメジャーデビュー35周年を記念したトークイベント『THE TIMERS 35周年祝賀記念品リリース記念“不法集会”』を開催する。TOKYO FM(旧名・FM東京)といえば、89年10月、生放送の音楽番組に出演時、替え歌で放送禁止用語を発し、確信犯的に批判したラジオ局。音楽史に“FM東京事件“として残る因縁の会社だ。まさか、そこで記念イベントが開催されるとは天国のZERRYも想像していなかっただろう。ENCOUNTは元レコード会社宣伝担当で同バンドや清志郎さんをよく知る人物、高橋“Rock Me Baby”康浩さんに当時の現場の裏側やザ・タイマーズの思い出を振り返ってもらった。

1989年にメジャーデビューした4人組の覆面バンド、ザ・タイマーズ
1989年にメジャーデビューした4人組の覆面バンド、ザ・タイマーズ

伝説のバンド「FM東京事件」は炎上商法だったのか

 忌野清志郎さん(2009年に他界)によく似た人物(=ZERRY)が率いる4人組の覆面バンド、ザ・タイマーズが31日、TOKYO FMホールでメジャーデビュー35周年を記念したトークイベント『THE TIMERS 35周年祝賀記念品リリース記念“不法集会”』を開催する。TOKYO FM(旧名・FM東京)といえば、89年10月、生放送の音楽番組に出演時、替え歌で放送禁止用語を発し、確信犯的に批判したラジオ局。音楽史に“FM東京事件“として残る因縁の会社だ。まさか、そこで記念イベントが開催されるとは天国のZERRYも想像していなかっただろう。ENCOUNTは元レコード会社宣伝担当で同バンドや清志郎さんをよく知る人物、高橋“Rock Me Baby”康浩さんに当時の現場の裏側やザ・タイマーズの思い出を振り返ってもらった。(取材・文=福嶋剛)

 FM東京事件とは、当時、清志郎さんが歌詞を提供したバンド・TEARDROPSの『谷間のうた』がFM仙台で放送禁止になり、ザ・タイマーズの『土木作業員ブルース』がFM東京で放送自粛されたことに腹を立てて、フジテレビ系『ヒットスタジオR&N』(89年10月13日放送)で歌う予定だった5曲(『タイマーズのテーマ』『偽善者』『デイドリーム・ビリーバー』『イモ』『タイマーズのテーマ(エンディングバージョン)』)のうち、2曲目の『偽善者』を歌わずに突然、放送禁止用語を交えながらFM東京とFM仙台を痛烈に批判した『FM東京の曲』を歌うという、衝撃の放送事故を起こした。翌日の新聞にも取り上げられるほどの社会問題になった。

――ザ・タイマーズが1989年にメジャーデビューし、高橋さんも登壇される35周年を記念したトークイベント(ユニバーサルミュージック主催)が、TOKYO FMホールで開催されます。完全に狙った企画ですね。

「まあ36年前には考えられなかったですよね」

――あらためて「FM東京事件」を振り返っていただきたいと思います。

「ザ・タイマーズとして出演したのは『ヒットスタジオR&N』だけだったと思います。僕は当時、東芝EMIでRCサクセション、忌野清志郎の宣伝担当をしていました。タイマーズはRCサクセションの忌野清志郎の中の一つとしてとらえていましたので、タイマーズの宣伝担当ではありませんでした。清志郎さん関係以外にもシンガー・ソングライターの高野寛くん等を担当していて、ちょうど彼が売れ始めた時で、ザ・タイマーズにべったりではなかったんです。『ヒットスタジオR&N』出演前週の89年10月9日には北海道の北星学園の学園祭にタイマーズが出演したのですが、その時に『『FM東京』という曲を歌っていた』と東芝EMIの札幌支社からの報告があった記憶があります」

――番組に出演する前から歌っていたわけですね。

「記憶違いでなければそのようになります。ヒットスタジオの当日は、CM明けに出演になっていたのですが、CMの最中に3コードのロックンロールのリフを4拍くらい音合わせしていたんです。しかも小さな音で。その時に『あれ? このリフを使う曲がないのに』って思ったのと、仮に3コードのリフを使う曲なら、タイマーズのメンバーなら寝ていてもできるくらいの方々なので、ちょっと不思議な感じがしました」

――高橋さんはそこで気がついたんですね。

「僕は『FM東京』を聴いたことがなかったので、気がついたわけではありませんでした。『タイマーズのテーマ』の後に、いきなりあの曲が始まって。歌詞が出るまでは曲が分からなかったのですが、歌が始まり、騒然としました」

――裏では大変な状況になっていたそうですね。

「大変な状況でした。何が何だか分からない状況でした。僕も含めて、東芝EMIの宣伝部のスタッフはほぼ全員タイマーズのコスプレをしていたのですが、あのかっこうのまま、呆然としていた印象があります」

――収録を終えた清志郎さんはどんな表情でしたか。

「今でもハッキリと覚えているんですけど、清志郎さんは、メイクを落としてニッカポッカにスニーカーのまま、近藤さんと僕で上の階にあった駐車場まで送ったんです。清志郎さんがいつもように静かな声で『ちょっとやりすぎたかな?』と近藤さんに言って、そしたら近藤さんが『そうですね』と言って、そのまま清志郎さんは『後は任せた』と言ってポルシェで帰っていきました。その後、近藤さんが『あの写真あったよな』って僕に言ったんです」

『デイドリーム・ビリーバー』を聴いて学園祭に呼んだらとんでもないバンドが来た【写真:杉山芳明】
『デイドリーム・ビリーバー』を聴いて学園祭に呼んだらとんでもないバンドが来た【写真:杉山芳明】

通常のプロモーションではなかった

――あの写真とは。

「宣材写真をたくさん撮って会社に置いてあったんです。覆面バンドだからメンバーを撮ったのもあれば、僕たちレコード会社の宣伝部がタイマーズのコスプレをして撮ったものもたくさん混ざっていて、でも誰が誰なのか分からないんですよ(笑)。その写真は『指示があるまでお前が管理して絶対外に出すな』って近藤さんに言われていたんです。で、スタジオに戻る時、『あの写真あったよな』と言って『(写真を)箱の中に全部入れてかき混ぜて問い合わせが来たら上から順番に渡せ』と。それですぐに会社に戻って準備したんです」

――つまりこの状況は偶然ではなかったと。

「近藤さんは『俺も知らなかったよ』と言ってましたけど、どうだったんでしょう。でも、清志郎さんという人は、預言者じゃないけど、世の中の動きに敏感で未来を察するアンテナを持っていたと思っているんです。『間違った情報に惑わされるな』っていうのがザ・タイマーズの根底にあったテーマで、以前から清志郎さんは『この先、情報に振り回される社会になる』と言ってました。近藤さんも同じことを言っていたんです。だからオンエアの後、新聞社や雑誌などメディアからものすごい数の問い合わせがきて、箱の中にあった写真を上から取ってどんどん渡しました」

――今の時代だったら炎上商法と言われていたかもしれないですね。

「まさに炎上プロモーションの一種だったのかもしれませんね。通常のやり方ではなかったですから。そしたら『デイドリーム・ビリーバー』が大ヒットして、その曲だけを聴いて学園祭に呼んだら『とんでもないバンドが来ちゃった』って(笑)。そんなこともありましたね」

――『デイドリーム・ビリーバー』は、世代を超えて多くの人に愛されています。

「歌詞にある『彼女』を『平和』に置き換えると、まるで今の時代を予知していたかのような歌詞です。他にも清志郎さんの曲には未来を予知しているような曲がたくさんあります。でも、そう伝えると清志郎さんは『考えすぎだよ』『ただのロックだよ』って言うんです。『お前らがそういう変な風に俺のこと言うからそうなっちゃうんだよ』って(笑)」

――あらためてザ・タイマーズが生まれた背景を教えてください。

「RCサクセションがあまりにも大きなバンドになってしまったこともあると思います。もっとフットワークの軽い活動もしてみたかったのかもしれません。清志郎さんがあの頃やりたかったコミックソングみたいなものとか、世の中を風刺するみたいな曲を作ったり、それを武道館ではなく、ライブハウスで演奏したり、そういうのをやりたくてもRCではできないので。でも本当のところは分かりません」

清志郎さんとの思い出を語った高橋“Rock Me Baby”康浩さん【写真:ENCOUNT編集部】
清志郎さんとの思い出を語った高橋“Rock Me Baby”康浩さん【写真:ENCOUNT編集部】

忘れられない清志郎さんとの会話

――高橋さんが清志郎さんとの会話で印象に残っていることは。

「僕は清志郎さんの音楽を聴いて、人生が決まったので、いつも緊張していました。気さくには話すことはできませんでした。だから会話というか、いつもインタビューのようになっていました。その中でいろいろ聞いたことはいっぱいあるのですが、思い出したのは『RCが誰にも相手にされてない時、キティ(最初のレコード会社)でRCサクセションの(初代)宣伝担当だった宗像(和男さん)が『RCは絶対に売れる』と言って宣伝してくれたんだ。有名になってから付いた高橋には分からないかもしれないけど』って言っていました」

――RCサクセションがデビューした頃は高橋さんはまだ学生だったそうですね。

「そう。僕は16(歳)くらいで当時まだ人気がなかったRCサクセションを追いかけていた時代で、彼らはライブだけで人気が出たのではないとすでに分かっていました。またこんなことも言っていました。『レコード会社は、一人ひとりはいいやつでも集団になると冷たい感じがする』って。これは日本の世間の縮図なのかもしれないと思いました。辛辣な言葉や心ない罵声を浴びせられて、無神経に笑われて、それでもRCの音楽を信じて、何度も何度もメディアへ足を運び、頭を下げて、小さな記事や夜中のラジオでかけていって『そんなことやっても意味ないよ、売れないよ』とか『時代にあってない』と社内でも笑われ、それでもわずかなチャンスをつないで、つないでRCを売り、トップバンドにしたんです。ザ・タイマーズは、そんなみんなの情熱の上に成り立っていると感じました。清志郎さんがロックシーンだけではなく一般社会でも誰でも知っているトップスターだからこんなに影響力を持ち、何でもできる。スターじゃなければ誰が何を言っても全く届かない。清志郎さんを売った人たちの苦労の上に今があると感じた言葉です。今でも僕の心に深く刻まれていて、時々、清志郎さんの言葉を思い出します」

□ザ・タイマーズ 1988年結成の4人組“新人”覆面バンド。メンバーは忌野清志郎によく似たZERRY(ボーカル・ギター)、MOJO CLUBの三宅伸治に似たTOPPI(ギター)、ヒルビリー・バップスの川上剛に似たBOBBY(ウッドベース)、MOJO CLUBの杉山章二丸に似たPAH(ドラムス)。土木作業員風衣装に地下足袋、全共闘学生運動を思わせるヘルメットやフェイスマスクでの奇妙ないでたちでコンセプトは「ロックとブルースと演歌とジャリタレポップスのユーゴー」。89年10月11日に東芝EMI(当時)からシングル『デイドリーム・ビリーバー』をリリースし、メジャーデビュー。直後の10月13日にフジテレビ系『ヒットスタジオR&N』に出演し“放送事故”を起こす。同年11月8日にメジャー1stアルバム『THE TIMERS』をリリースした。

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