四千頭身・後藤、ブレイク当時は「調子に乗ってた」 タワマンへの憧れ「もうありません」
お笑いトリオ・四千頭身の後藤拓実(27)は昨年末にコラム集『安心できる男(ひと)』(中央公論新社)を刊行した。若くしてブレイク、タワマン生活に高級外車購入と芸人としてこれ以上ない成功を収めていた。数年たつとメディア露出が激減。数年前の己の行動を後藤がぼやいた。前編。
2年間休みが取れないほど多忙だった
お笑いトリオ・四千頭身の後藤拓実(27)は昨年末にコラム集『安心できる男(ひと)』(中央公論新社)を刊行した。若くしてブレイク、タワマン生活に高級外車購入と芸人としてこれ以上ない成功を収めていた。数年たつとメディア露出が激減。数年前の己の行動を後藤がぼやいた。前編。(取材・文=島田将斗)
2016年結成の若手ながら“お笑い第7世代”の一角として人気を博した四千頭身は19年、20年と2年連続でブレイク芸人ランキングのトップ10入り。CM出演も次々と決まっていた。スケジュールは毎日埋まり、ブレイク中の2年間は一日も休みがなかった。
「当時は休みが2年くらい1日も取れなかったんですよね。昼間だけ仕事の日を休みに思っているぐらいでした。あまり一日のスケジュールも覚えていないくらい忙しかったです」
読売新聞の夕刊「popstyle」での連載は19年からスタート。執筆はロケバスの車内などの移動中。「正直面倒くさいっていう時期もありました。2つやっていた時期もあったんですけど1つになってからは調子よくなったんです。ちょうど月末のネタがないときに締め切りがやってきてたんですよね」と当時の多忙ぶりをうかがわせた。
トリオ結成4年目となる20年にタワーマンションへ引っ越した。ステータスとも言える田園都市線沿いの18階。
「部屋の広さは1LDKの40平米ぐらい。でも生活は変わらなかったですよね。ただ高い位置に住んでるだけ。景色は初日だけ感動しました。でもすぐに飽きたんです。降りるのが面倒で外にも行かなくなって、部屋にいても景色がずっと空なのが落ち着かなくて、窓も締め切ってました。首都高が見えるんですけど、あれは嫌だったな(笑)」
エレベーターが止まるとより生活は不便になる。ウーバーイーツで配達を依頼するが、階段で18階まで昇ってくる配達員を思い、自らが9階まで下りて受け取ったという。
「タワマンへの憧れはもうありませんね」とぼそり。「引っ越すと死んだことにされるので(笑)」とネット上の悪質まとめサイトに死亡説を流されたことを付け加えた。
20代前半でのブレイクは想定外
一方、ブレイク中に新車で購入した高級外車・アウディは現在も乗り続けている。2回払いで購入した愛車へも複雑な思いがある。
「あれもねぇ……。『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)の企画で何かないかなと思って買ったんですけど、国産車でいいような気もしますよね。カーナビとかもドイツの方が詳しいらしいんですよ。日本の道だと一方通行の道路を行かせようとしてくるときもあるので。カッコイイって言うけど、都内に外車いっぱいいるし。ただただいきってるだけに見えるなと思いますね(笑)」
中古で自分よりも安く購入した後輩を見ると後悔が募るばかり。それでもタワマン生活から離れた現在では心の支えにもなっているようだ。
「いまのほうがうれしい感じはありますよね。『アウディ買えたんだよな、俺』って。これを軽トラとかに乗り換えたらすごく面白いんですけど、その勇気がまだ……。あれ(アウディ)は一生ダメになるまで乗ろうかなと思ってます」
生活を一変させた20代前半でのブレイクは想定外だった。「僕、SCANDALのTOMOMIちゃんに会いたかっただけなんですよ(笑)。お笑いでどうなりたいとかじゃなく、『TOMOMIちゃんに会いたい』で始めたんです」と語る。
そんな憧れの人には2年目で会えてしまい、一時は目標を失った。与えられた仕事をこなしていく。ブレイク当時は何も感じていなかったが、振り返ると「調子に乗っていた」実感がある。
「コラムが書籍化されて、振り返りを書く際に写真フォルダを見て振り返ったんです。そうしたら手で2個ピースしている自分がいたりして。本来なら自分の場合、ピースはやって一個ですよね。コラムとか読んでても調子に乗ってたと思いますよ。
あのころ1回、玄関でリュックを背負ったまま寝たことがあって。起きたらもう家を出なければならない時間で、そのまま仕事に行ったことがあるんです。あれもいま考えると仕事を舐めてるなと」
“セレブ生活”はいつまでも続かない。収入増とともに税金も増え、後藤の貯金はみるみるうちに減っていった。「計画性がなかったですよね」と過去の自分に苦笑いしていた。