倉田真由美さんが振り返る、がんの夫を支えた1年9か月 亡くなる前日に欲したのはファミチキ「もっと探せばと」
2月14日に最新エッセー『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』(1500円+税、古書みつけ)を出版する人気漫画家・倉田真由美さん(53)。同書では、昨年2月16日にすい臓がんで亡くなった映画プロデューサーの夫・叶井俊太郎さん(享年56歳)との闘病生活をつづっている。叶井さんの食生活はデタラメで、とてもがん患者とは思えなかったという。倉田さんが闘病生活で後悔したこと、しなかったことを明かす。
![叶井俊太郎さん(左)はマイホームパパだったという](https://encount.press/wp-content/uploads/2025/01/15180620/8012188183c112bbf0826bd20fe50ee8.jpg)
倉田氏、最期を自宅で看取り「意外とハードルは高くない」
2月14日に最新エッセー『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』(1500円+税、古書みつけ)を出版する人気漫画家・倉田真由美さん(53)。同書では、昨年2月16日にすい臓がんで亡くなった映画プロデューサーの夫・叶井俊太郎さん(享年56歳)との闘病生活をつづっている。叶井さんの食生活はデタラメで、とてもがん患者とは思えなかったという。倉田さんが闘病生活で後悔したこと、しなかったことを明かす。(取材・文=平辻哲也)
叶井さんは22年6月に黄疸の症状が出たことから内視鏡検査を行い、すい臓にステージ2bのがんが発覚。約1年9か月の闘病の末に亡くなった。当初は余命半年、長くとも1年とも告げられており、倉田さんは「思った以上に長く生きることができた」と振り返る。
叶井さんは若き日には600人の女性と関係を持ったと豪語する性豪。倉田さんとの結婚後は、すっかりマイホームパパになり、破天荒生活を一変させたが、そのバイタリティーは持ち前のものだったのだろう。
「体力はあったと思います。ただ、食べるものは本当にデタラメでした。駄菓子やジャンクフード、ハンバーガーが大好きで、ほっておくと、一人でパクパク食べちゃうんです。お酒は飲まない人で、甘いものが大好きなんです。ホットケーキをよく食べていましたけど、メープルシロップがビチャビチャになるぐらいかけて、バターもどっさりかけてました。がんになってからも、最期まで好きなものは食べました」
がんになってからも、千葉や神奈川など近隣に小旅行ができたことも良い思い出になっている。
「最後に行ったのは、羽田空港の近くにある、うどんとカレー食べ放題、漫画読み放題のホテルでした。これも夫の希望だったのですが、彼らしいなと思いました。健康な時から旅行に出かけるのは好きで、南の島にもよく出かけました。旅行は非日常ですから、思い出にも残りやすい。もっと旅行はしておけば、よかったな、と思います。これは後悔していることの一つです」
叶井さんは仕事や生活に関しては几帳面な人だったという。
「朝は必ず起きますし、会社や約束事には遅刻することもありません。メールもきちんと返すし、仕事では、いい加減なところはまったくないんです。子どもの学校行事や保護者会にも進んで参加します。通学路に立って、交通安全を見守る学童擁護員のお勤めも皆勤賞。それも、親の義務としてやっているわけでもない。『子どもたちにおはよう!と言って、楽しいじゃん』って。学校からのプリントも見ていましたし、バドミントンクラブの引率も苦もなくやり遂げる。普通の人が面倒くさがることをひょうひょうとやれてしまう。少なくとも、私には逆立ちをしても無理です」
ペットの猫や観葉植物の世話も、叶井さんが積極的に行っていた。
「淡々とやり遂げるのがすごいんです。普通は、愛情を傾けているから、大事なものだから世話をすると思うんですけども、そういうふうには見えないんです。オカヤドカリを飼っていたのですが、毎週水槽を洗って、水を取り替える。でも、名前をつけるわけでもない。ヤドカリが脱皮するのも2、3回見ました。だから、この人の行動原理はどうなっているんだろうと思いましたし、そこに尊さを感じていました」
最期を自宅で看取ることができたことも、倉田さんが後悔なく過ごせた大きな要因だという。叶井さんは1か月の入院生活を送った時期に「絶対に病院では死にたくない」と話しており、それを叶えることができた。
「想像すると、ハードルが高そうに思えるのですが、意外といけましたということはお伝えしたいですね。結局、病院に行っても、家にいても、痛い時に処方できる薬って同じです。確かに、病院では、痛み止めを点滴で入れることはできますが、それがめちゃくちゃ効くのかと言えば、意外とそうでもないんです」
可動式の介護ベッドを入れたのは、最期の10日間だけだった。
「(モルヒネのせいで)夢と現実の境目がわからなくなった瞬間はありましたが、亡くなる前日まで普通に会話ができましたし、シャワーを浴びて、髪の毛を洗って、ヒゲも剃りました。寝たきりの期間は最後の1日だけでした。本当によかったと思います。闘病は、一人でもできますが、体が弱くなってくると、やりにくくなってくるんです。例えば、紅茶を入れたり、コンビニにアイスを買いに行くとか、肩が痛くなった時に揉んであげられたのはよかったです」
亡くなった前日の2月15日には、こんな会話も。
「ファミチキのタルタルソース味が出たから『買ってきて』と言われました。でも、出たばかりで売り切れていたんです。仕方なく、普通のファミチキを買ってきて『また買ってきてあげるから』と言ったんですが、食べられることはなかった。だから、もっと探せばと後悔しました。だから、棺の中にタルタルソース味を入れてあげましたが、亡くなる前日まで、こういうものを食べたがるのか、と思ったりしました」と笑う。叶井さんは最期の最期まで自分らしさを貫き、人生をまっとうしたのだった。
■倉田真由美(くらた・まゆみ)1971年7月23日、福岡市生まれ。一橋大商学部卒業。自身の男性遍歴を赤裸々に描いた『だめんず・うぉ~か~』でブレーク。その後も、恋愛や男女関係、社会問題など幅広いテーマで執筆活動を続けている。主な著書に、漫画では『だめんず・うぉ~か~』『くらたまの悪口だらけ』『おんなの教室』、エッセイでは『倉田真由美の恋愛道場』『女は男のどこを見ているか』など。
![](https://encount.press/wp-content/themes/encount.press-pc/img/hatena_white.png)