倉田真由美さんが明かす夫・叶井俊太郎さんが抗がん剤治療をしなかったワケ 自由診療の費用は外車1台分にも
人気漫画家・倉田真由美さん(53)が2月14日に最新エッセー『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』(1500円+税、古書みつけ)を出版する。昨年2月16日にすい臓がんで亡くなった映画プロデューサーの夫・叶井俊太郎さん(享年56)との闘病生活を綴った作品だ。倉田さんが、がんの標準治療であるがんの切除手術、抗がん剤、放射線治療をしなかった理由、実際の日々を明かした。
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エッセー『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』は2月14日発売
人気漫画家・倉田真由美さん(53)が2月14日に最新エッセー『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』(1500円+税、古書みつけ)を出版する。昨年2月16日にすい臓がんで亡くなった映画プロデューサーの夫・叶井俊太郎さん(享年56)との闘病生活を綴った作品だ。倉田さんが、がんの標準治療であるがんの切除手術、抗がん剤、放射線治療をしなかった理由、実際の日々を明かした。(取材・文=平辻哲也)
叶井さんはラジオ局、複数の映画会社に勤務し、自らの映画会社を経営し、最後は出版社サイゾーに勤務し、『キラー・コンドーム』(1998)、日本映画『いかレスラー』(2004)、『日本以外全部沈没』(06)などカルト系の洋画・邦画を宣伝・プロデュース。中でも、カルト映画だと思い込んで、買い付けた仏映画『アメリ』(01)では興収16億円のヒットを飛ばした。筆者とも30年近い親交がある。
倉田さんは知人の紹介で叶井さんと知り合い、09年に結婚。叶井さんは自伝『ダメになってもだいじょうぶ: 600人とSEXして4回結婚して破産してわかること』(倉田さんと共著、幻冬舎)を出版したほど女性経験豊富で破天荒な人生を歩んできたが、結婚後は生き方を一変し、家事や2人の子どもの育児にも積極的に参加するようになった。葬儀・告別式(桐ヶ谷斎場)に加え、昨年7月に渋谷のWWW X(旧シネマライズ)で開催された送る会には多数が参列し、その早すぎる死を悼んだ。
「夫は一サラリーマンとして生涯を終えましたが、すごくたくさんの人に面白がられたんでしょうね。葬儀、送る会にはそれぞれ300人以上の方が来てくださりました。私が死んでも、こんなに人来てくれないなと思いました」
倉田さんはこれまでも叶井さんとの生活、闘病を明かしているが、最新著書は、がんの標準治療をしなかった理由、その実態に焦点を当てている。
「日本の場合、がん治療はがんの切除手術と抗がん剤治療、放射線療法です。これはセカンドオピニオンを求めても、同じ治療が示されます。22年6月に内視鏡検査ですい臓がんステージ2bと告げられて、闘病されている方のブログや本を調べたんですが、たいていの方は抗がん剤をやっているんです。夫の場合は、その標準治療を一切やってこなかったんです。結果として、どちらがいいのかは分からないのですが、その実態の一つとしてお伝えしたいと思ったんです」
標準治療を選ばなかったのは、叶井さんの意思だった。痛みに対して、極度の恐怖心を持っており、だるさを伴う抗がん剤を嫌がったのだという。倉田さんは叶井さんの痛みを軽減し、どうしたら生活がしやすいかを第一に考えた。
がんは切除しなかったが、まったく外科手術をしなかったわけではない。
「がんが大きくなって、胆管がつまり、黄疸が出た時には胆管を通すためのステント手術を3か月に1回しましたし、十二指腸を圧迫して、ご飯が消化できなくなった時も、十二指腸を経由せず小腸にダイレクトに行くようにとバイパス手術もしています」
闘病生活の中で、一番つらかったのは、23年9月、胆管をつなぐためのステント手術で起こった2回の失敗だった。1回目の手術が失敗し2回目の手術で修復。3回目の手術でまた失敗し、4回目で成功しやっと終了。ステントが体内で絡みあったりし、とてつもない痛みだったという。
「電話かかってきて、夫は『あまりに痛すぎて耐えられないから、死ぬ。今、病院内を徘徊して、飛び降りるところを探しているんだよ』と言ってきたんです。その後、看護師からも電話があって、『ちょっと(精神状態が)危ないので、監視カメラをつけさせていただきます』と。慌てて、部屋に行くと、首を吊る練習をしていたんです。痛みがすごく、横にもなれない、立ってもいられない、座ってもダメ。痛み止めもまったく効かなかったので、モルヒネを通常の4倍を経口薬とパッチ処方されたのですが、全然効かなくて……」
保険が効かない高額な自由診療(免疫療法、ビタミンC点滴)も試したが、こちらは効果を実感できなかった。
「自由診療については、夫は『ママが出すんだったら別にいいよ』くらいでした。体に悪かったことはなかったんだろうなとは思っていますが、後悔はないです。後悔があるとすれば、お金のことです。お金は外車1台分くらい支払いましたから。誰もができるわけでもないので、お勧めはしませんし、私ががんになっても、同じことはしないと思います」
倉田さんが本書で伝えたいのは、標準治療をしなくても、別の道のりがあるということだ。極力、自身の解釈は入れずに、事実を中心に書き連ねたという。
「抗がん剤はせず、がんの切除手術もしませんでしたが、当初、言われた余命、半年か1年よりも、だいぶ長い1年9か月生きることができました。夫は、最期まで、(標準治療をしなくて)よかった、と言っていましたし、私自身も、がんになって、余命宣告されたら、同じような選択をすると思います。夫は基本的に食欲もあって、最期まで好きなものを食べることができたし、抗がん剤をやって、毛が抜けて大変だったということもありませんでした。だから、夫にとって、いい選択だったと胸を張って、今でも言えます」と倉田さん。本書ががんと闘う患者や家族の一助になれば、と願っている。
■倉田真由美(くらた・まゆみ)1971年7月23日、福岡市生まれ。一橋大商学部卒業。自身の男性遍歴を赤裸々に描いた『だめんず・うぉ~か~』でブレーク。その後も、恋愛や男女関係、社会問題など幅広いテーマで執筆活動を続けている。主な著書に、漫画では『だめんず・うぉ~か~』『くらたまの悪口だらけ』『おんなの教室』、エッセイでは『倉田真由美の恋愛道場』『女は男のどこを見ているか』など。
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