【プロレスこの一年 ♯6】猪木現役最後のタイトルマッチ 32年前の藤波戦「激闘の60分」をプレイバック
鶴田&谷津の「五輪コンビ」がPWF世界タッグ・インターナショナルタッグの2冠王に!
マイペースで王道を貫く全日本プロレスではこの年、王座統一の動きが活発化した。ジャンボ鶴田&谷津嘉章の五輪コンビが6月4日の札幌で天龍源一郎&阿修羅原の龍原砲を破りPWF世界タッグ王座を奪取すれば、10日の日本武道館でザ・ロード・ウォリアーズからPWF世界タッグを防衛するとともにインターナショナルタッグ王座もゲット。2冠王となった五輪コンビはその後、初代世界タッグ王者に認定された。一方、シングルではPWFヘビー、インターナショナルヘビー、UNヘビー級の3本のベルトを統一せんとするトリプルタイトルマッチが加速。しかし4月15日の大阪で天龍とブルーザー・ブロディが両者リングアウト、10月17日の広島で鶴田とスタン・ハンセンが両者リングアウトに終わり統一は翌年への課題となった。なお、この年の7月、トップ外国人の1人だったブロディがプエルトリコで刺殺される事件が起きた。享年42歳。全日本では8月29日の武道館で追悼大会を開催。世界のマット界の大きすぎる損失に全日本マットが涙に暮れた。
また、この年の終盤には、ジャパン女子プロレスのリングでグラン浜田と大仁田厚の遺恨が発生、女子プロのマットで両者によるシングルマッチがおこなわれ、所属選手が猛反発。女子のリングで男子が戦うという、当時は前代未聞の事件だった。11月には剛竜馬がパイオニア戦志の結成を宣言、翌年に旗揚げし、この流れは大仁田のFMWをはじめとするインディー団体乱立へのきっかけとなる。“昭和最後の一年間”は、さまざまな意味で平成への種蒔きがおこなわれていたと言えそうだ。振り返ってみれば予告編のような一年間でもあったのではないか。
ちなみに海外では、WWFが1月に「第1回ロイヤルランブル」、8月に「第1回サマースラム」を開催。WWEの現在もつづくビッグアニュアルイベントがスタートした年でもある。さらに11月には“メディア王”テッド・ターナーがNWAクロケット・プロモーションを買収。WCWの誕生である。
藤波と猪木の60分、その舞台となった横浜文体も老朽化によりまもなくその役割を終えることとなった。プロレス興行は8月9日(土)アイスリボン、10日(月・祝)NOAH、28日(金)OZアカデミー、29日(土)&30日(日)大日本プロレスで最後を迎える。文体を引き継ぐサブアリーナの横浜武道館が7月24日に開館し、スターダムが8月22日(土)&23日(日)にこけら落とし。メインアリーナは24年4月にオープンする予定とのことだが、それでも歴史ある文体の建物は8月いっぱいで見納めだ。88年8・8に少しでも思い入れのある近隣の方は(新型コロナウイルス対策を万全にして)最後の文体を体感してみてはいかがだろうか。