【プロレスこの一年 ♯6】猪木現役最後のタイトルマッチ 32年前の藤波戦「激闘の60分」をプレイバック
7月29日有明コロシアムで武藤、橋本、蝶野が揃って凱旋
試合後、長州が猪木を、越中詩郎が藤波を肩車して健闘を称えた。長州とのタイトルマッチを経ての藤波の猪木超えはならなかったものの、猪木に負けることもなかった。長州との対戦で一度は空位となった第3代のベルトを守ったのは藤波。猪木VS藤波という切り札的看板カードもこの年には立場が逆転していた。昭和63年(1988年)が“昭和最後の一年間”(昭和64年は昭和天皇崩御により1月7日まで、翌8日から元号が平成となった)ということを考えると、昭和プロレスの集大成とも言える対戦だったのではなかろうか。ちなみに、同大会のセミではベイダーVSクラッシャー・バンバン・ビガロの外国人頂上対決も実現。両者リングアウトでドローもド迫力対決に多くのファンが酔いしれた。どちらも引き分けとは言え、このあとに藤波VS猪木がきたものだから、伝説の大会となったのも頷ける。
また、8・8に先立つ7月29日には有明コロシアムで闘魂三銃士と言われる武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋が揃って凱旋。近未来のエース候補たちのお披露目がおこなわれている。新日本はアフター猪木に向けて着々と動いていたのである。
新日本のみならず、“昭和最後の一年間”はマット界全体でもさまざまな出来事が発生した。なんといっても特筆すべきは新生UWFの大ブームだ。前年11月、長州への顔面蹴りをきっかけに新日本を解雇された前田日明が4月8日にUWFの復活をアナウンス。新生UWF旗揚げ戦となる後楽園ホール大会の前売りチケットは15分で完売し、5月12日に前田VS山崎一夫をメインに始動した。格闘技色をより前面に押し出したUWFは5ノックダウンや3ロープエスケープを1ダウンに相当させるなど斬新なルールやショーアップしたライティングなどで老舗団体との差別化を図った。少数精鋭ながらも8月13日の有明コロシアムや12月22日の大阪府立体育会館など大会場でも多くの観客を動員し、前田は時代の寵児となったのである。