がんステージ4闘病の西村修、忘年会で決意「やり残したことが多々ある」 温かい言葉に感謝「わいわいがやがや本当に元気が出る」
食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中のプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修が30日、都内で行われた忘年会に出席。4月のがん告知から9か月の闘病生活を振り返り、病魔に打ち勝つ決意を見せた。
「楽しい会もやらずして2024年終わりたくなかった」
食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中のプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修が30日、都内で行われた忘年会に出席。4月のがん告知から9か月の闘病生活を振り返り、病魔に打ち勝つ決意を見せた。
レスラーや関係者など30人が参加。6歳の長男を連れた西村は、「こんな小さいかわいい子どもを残してまだ死ぬわけにはいかない。議員の立場としてもプロレスの立場としてもまだまだやり残したことが多々あります。1日1日を大切にしながら目いっぱい生きてまいります。10年生きれるかもれないし、30年、40年生きれるかもしれないし、皆さんと一緒によい2025年を迎えたいと思います」とあいさつした。
がんと戦いながら8月、12月とリングに上がり、不屈の生きざまを示してきた。抗がん剤、放射線治療でがん細胞を攻撃し、食道から転移した脳腫瘍は7時間半に及ぶ開頭手術で摘出した。しかし、がんは手強く、なかなか降参してくれない。
「9月の中旬ぐらいになって、だんだんだんだん、もう意識が遠のいていっちゃったわけ。食道から始まりましたけど、脳がやっぱり一番むしばまれていますからね。食道のがんは抗がん剤で7割消えたんですけど、残った3割がしつこくて、そこから肝臓に少し、あとは頭のほうに飛んじゃって。7時間の大手術を受けて脳腫瘍は取りましたけど、そこにまたできちゃった。それを今度、年明けすぐ6日ぐらいから10日間連続の放射線治療に入るんですよ。今度は大手術じゃなくて、放射線。1日10分か15分ぐらいの放射線治療ですけどね。それとともに自分自身体力も落ちてっちゃうからしっかり食べて、体力も落ちないようにできる限りのトレーニングをして。そういう日々です」と現状を説明した。
12月29日には都内で開かれた吉江豊さんを追悼する餅つきイベントで、新日本プロレスの坂口征二相談役と久しぶりに対面した。1998年、西村が最初のがん(後腹膜腫瘍)を患った時、「つらさは分かるから1年間ゆっくり休んでまた回復して戻ってくればいい」と気にかけ、海外に送り出してくれたのが坂口だった。
「ここのところずっとごあいさつもできなかったものですから。小林(邦昭)さんが亡くなる直前に何人かでお見舞いに行きました。小林さんに誰と会いたいですかと聞いたら、真っ先に出てきたのが坂口さんの名前だった。その時、可能だったら、その場をセットしようと思ったんですけども、会わせられなかった」
坂口に2度目のがん闘病を報告した西村は「プロレスの全会場もそうですけど、ああやって、やっぱりファンの前に立ちますと、私だってメソメソしているわけにいかないですからね。シャキっとしますよね」と背筋を伸ばした。
回復を信じ、最後まで戦い抜く気持ちは変わらない。
「この9か月は大変でした。最初のがんなんか今考えたら本当に序の口ですよね。全然、違う。ただ、2回目のほうが経験しているから、よりなるようにしかならないって考え方もあるし、28じゃなくて、53ですから、いい意味の諦めって部分もあります。もうなるようにしかならない」。病を自分なりに受け止め、対症していくつもりだ。
苦闘の1年、年の瀬に仲間たちと集まることができた。西村に対し、温かい言葉もあった。
「よき仲間たちが集まってくれて、みんなわいわいがやがや本当に元気が出ますし、こういう楽しい会もやらずして2024年終わりたくなかったものですから最後の最後に開かせていただきました」
闘病への気力を養い、新年を迎える準備ができた。