AKB48卒業→ニート→ブレイク 福留光帆、激動2年でつかんだ成功の舞台裏「あの状況に戻ったら不安で死んじゃう」

「大喜利の天才」「ボートレース好き」「毒舌」――。あふれる個性で、今年大ブレイクしたのが、元AKB48メンバーでタレントの福留光帆だ。LINEヤフー株式会社が2024年に前年と比べて検索数が急上昇した人物や作品、商品をランキング形式で紹介する「Yahoo!検索大賞2024」のスペシャル部門で2位にランクイン。一度は芸能界を離れかけ、ニートも経験した“どん底”からのシンデレラストーリーを振り返ってもらった。

2024年に大飛躍を遂げた福留光帆【写真:長谷英史】
2024年に大飛躍を遂げた福留光帆【写真:長谷英史】

ニートから1年足らずでブレイク…きっかけは現マネジャーとの出会い

「大喜利の天才」「ボートレース好き」「毒舌」――。あふれる個性で、今年大ブレイクしたのが、元AKB48メンバーでタレントの福留光帆だ。LINEヤフー株式会社が2024年に前年と比べて検索数が急上昇した人物や作品、商品をランキング形式で紹介する「Yahoo!検索大賞2024」のスペシャル部門で2位にランクイン。一度は芸能界を離れかけ、ニートも経験した“どん底”からのシンデレラストーリーを振り返ってもらった。(取材・文=小田智史)

 小さい頃に演技の世界に憧れ、高校1年生だった2019年にアイドルグループAKB48のオーディションに合格した福留。しかし、加入からわずか3か月でコロナ禍に突入してしまい、思うようにアイドル活動ができなかった。

 コロナ禍が落ち着いた2022年7月、「アイドルとしてこれから頑張るにはもう若くはない」と、18歳で2年7か月所属したAKB48を卒業。その後、事務所に所属こそしているものの、3か月ほど、仕事のない“ニート生活”を送った。

「(ニートの時期は)不安もありましたけど、楽しかったです。アイドルでもなくなっていたので、地元の友達と遊んだり、教習所に通ったり、ボートレース場に通ったりしていました。事務所には所属しているけど、何もしていないあの頃は1日がすごくゆったりで長かったですね。AKB48はアルバイトが禁止だったので、その後しばらくして久々にアルバイトもしました」

 医療秘書の専門学校への進学を検討するなど、一時は芸能界から離れかけた。転機となったのは、現在の事務所に所属し、マネジャーの渡辺清司氏との出会いだった。

「今年1月、事務所に声をかけて頂いて、今のマネジャーに出会ったことがターニングポイントです。私のことを“面白い女”だと思ってくれたみたいで。それがあっての『NOBROCK TV』出演なので。全て今のマネジャーのおかげです」

 今年3月、テレビプロデューサーの佐久間宣行氏が企画・出演・プロデュースを務めるYouTubeチャンネル『佐久間宣行のNOBROCK TV』に出演。人生初のドッキリ企画で秘めたる大喜利センスと熱烈なボートレースファンという個性が反響を呼び、瞬く間に“売れっ子”となっていく。出演前に1万人以下だったYouTubeチャンネルの登録者数は現在36万1000人にまで増え、SNSのフォロワーもXが17万2000人、インスタグラムが13万3000人、TikTokが12万5000人を誇る。

「佐久間さんはいろいろ気にかけてくださるので、お父さんみたいな時もあれば、世に出して頂いた恩人でもあるし、一緒にお仕事をする人でもあります。難しい企画も多いんですけど、佐久間さんから多少なりとも信頼して頂けているのかなと感じます。一番手ごたえのあった仕事? ラランド・ニシダさんとの『イライラ20』(20回イラつかせるまでのタイムを競う企画。8月公開で再生756万回突破)ですね。自分をほめることはほとんどなくて、普段はヘコんだり、泣いたり。でも、あの日の帰り道は『自分よくやったな』ってニコニコでした(笑)」

背中を押してくれた母親の言葉に涙したという【写真:長谷英史】
背中を押してくれた母親の言葉に涙したという【写真:長谷英史】

大喜利“恐怖症”を克服

「大喜利の天才」と言われ、ボートレース好きの他に、トークバラエティー番組での“毒舌”もウリとなったが、本人は「福留光帆という子は天真爛漫で、悩みやすい、ただの21歳です」と苦笑する。

「大喜利は大変だし、難しいです。頭の回転は速くないし、自分では学と品がないと思っているので(笑)、よくやってこれたなって。病みかけたところから、ようやくしんどい波から抜けて、大喜利も怖くなくなってきました(笑)。私、意外にのんびりしているタイプなんです。人のことをイライラさせるのも別に好きじゃない。毒舌は……求められれば。『切り込んでください』とか言われるので、多少は無理しています(笑)。毒舌の瞬間の切り抜きだけで、『性格が悪い』とか言われてしまうのは、結構しんどいです(苦笑)。でも、そういう見え方をしてしまうのは理解しています。何かあるたびに落ち込みますけど、(お笑いトリオ・安田大サーカスの)クロちゃんとか周りの人が助けてくれるので感謝ですね」

 テレビ番組や映画、イベント出演など忙しい日々を送った2024年。「もう12月で、初めて『NOBROCK TV』に出させて頂いてからここまで忙しくさせて頂いているので、ありがたい限りですね。9か月は短いようですけど、芸能人としての時間としてはとんでもないこと」と語る一方で、意外にも「飛躍したいとか野望もない」という。

「キャラは自分で名乗るものではなく、周りにつけられるものだから、勝手につけられたものに苦労することはありますけど、自分がこのキャラだとは何も思っていません。私自身、AKB48時代と根本は変わっていなくて。もちろん、前よりもプラスαはあるけど、元々の土台にボートレースが加わっただけで、大きくキャラ変したわけではない。『福留光帆です』『自分は自分』って感じで。私はむしろ安定が欲しいですね(笑)」

 福留は恩人である佐久間氏をはじめ、「皆さんからの言葉全てが大事」と前置きした上で、芸能界でやっていく覚悟を決める後押しをしてくれた母親の言葉を明かす。

「悩んだ時、お母さんが『家という帰ってこれる場所があるから、やりたいようにやってみなさい』と言ってくれたのには、安心して涙が出ました。家族が大好きなので。家族に背中を押されたら頑張れます」

2024年を表す漢字1文字には「艇」を挙げた【写真:長谷英史】
2024年を表す漢字1文字には「艇」を挙げた【写真:長谷英史】

2025年に掲げる目標は「継続」

 怒涛(どとう)の2024年を一文字で表すなら――。小舟を指す「艇」を福留は挙げた。

「ボートでだいぶ稼がせてもらったので(笑)。ギャンブル的には負けているんですけど、イベントとかでしっかりと。同時に、好きなものが仕事になる大変さも知りました。『艇』以外なら、佐久間さんの(名前の)『宣』で!」

 AKB48時代には、“仕事をしたくても仕事ない”苦しい経験もした。それだけに、今がどれだけ充実していようとも、「いつこの楽しい日々が終わってしまうのか、という不安もあります」と胸中を吐露する。

「前の自分はこんな風にお仕事がある状況を経験していなかったので、気楽でした。今、急にあの状況に戻ったら、不安で死んじゃうと思います(笑)。自分が“売れた”という実感はいまだになくて、自分のことを第3者だと思って、『福留光帆さん、毎日偉いな』と見ています。パチンコで言う『確変』のようなものですかね。何回引けるか。ラッシュの途中みたい感じです。不安の方が大きいかもしれないからこそ、今与えられたことは100%の気持ちで頑張ろうと。『NOBROCK TV』は150%の気持ちです(笑)」

 この2年間で良いも悪いも経験した福留も、まだ21歳。「2024年を少しでもこぼさないように、2025年に持っていきたい」と語る。

「一番は『継続』。『あれやりたい』『これやりたい』はありますけど、いろんなことに手を出して中途半端になりたくないので、与えられたことをしっかり頑張りたい。お仕事を頂けるのはありがたいので、なんでもやります。NGなし! 今は1人(ソロ活動)だから、自分と向き合ってくれる人がグループの時よりも近くにいてくれる。仮にここから飛躍できたとしても、ここから落ちたとしても、周りの人を大事にする気持ちは大事にしたいです」

 自分らしく、「よいお年を。来年も皆さんの目に入れるように頑張ります。『チュッ』とハートマークでも書いておいてください(笑)」と、メッセージを送った福留。2025年の快進撃の行方からも目が離せない。

□福留光帆(ふくとめ・みつほ)2003年10月22日、兵庫県出身。2019年にアイドルグループ・AKB48チーム8のオーディションに合格。コロナ禍の影響もあって22年7月に卒業した後、一時は実家でニート生活を送ったが、24年3月の『佐久間宣行のNOBROCK TV』に出演し、大喜利で大ブレイクした。趣味はボートレース観戦。自身初となる「福留光帆 2025カレンダー」が発売中。

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