献体写真をSNSに投稿…炎上騒動で蘇った解剖学実習の記憶 記者が聞いた教授の言葉「口外してはいけない」

献体写真をSNSに公開した女性医師が物議を醸している。それに関する記事や動画を確認していくうちに、少なからずショックを受けつつ、自分の記憶の扉が開いた。実は30年以上前に、自分が大学でご遺体様の解剖学実習をさせていただいた記憶がよみがえってきたからだ。

物議を醸している女性医師のプロフィール【写真:公式HPより】
物議を醸している女性医師のプロフィール【写真:公式HPより】

4人で一体のご遺体様を担当

 献体写真をSNSに公開した女性医師が物議を醸している。それに関する記事や動画を確認していくうちに、少なからずショックを受けつつ、自分の記憶の扉が開いた。実は30年以上前に、自分が大学でご遺体様の解剖学実習をさせていただいた記憶がよみがえってきたからだ。(文=“Show”大谷泰顕)

 本題に入る前に簡単な説明をさせてもらうと、自分は、実習こそさせていただいたものの、結局は医学の道を踏み外し、現在は格闘技界の住人としてその記事や動画を制作しながら業界の行く末を見守る日々を過ごしている。

 そのため、実習をしていた頃の記憶は、断片的に思い出すことはあっても、遠い記憶の彼方にあるせいか、普段はほとんど思い出すことはない。ただ、事実として自分の人生に、大きな影響を与えた出来事として刻まれている。

 自分が解剖学実習を受けたのは、三流医大に在籍していた、学年でいうと大学2年の時だった。

 そしてこれは実習初日のこと。実習室に入ると、白だったか緑だったか。その部分は明確に思い出せないが、シーツ状の布に包まれたご遺体様が横たわっていた。ご遺体様にはホルマリンだと思われる防腐液がかけられているため、実習室には独特の匂いが立ち込めている。

 当時は1学年に100名以上の在籍者がおり、4人で1体のご遺体様を担当するため、その数は25体以上はあったと思う。

 自分の格好はというと、ビニールかそれに近いいわゆる割烹着のようなものに身を包み、頭にはやはりビニール状のシャンプーハットのような形状のものを被る、まさに物議を醸した女医がSNSで公開した容姿に着替えて実習室にいた。そばには、自身で用意したメスやハサミが置かれている。

 自分の記憶をたどると、その後、複数(だったと記憶している)のお坊さんが入室し、お経を読み上げた。お香が炊かれていたかは思い出せないが、炊かずに読経するとは考えにくいので、おそらく最低限のお香は炊かれていたように思う。

 とはいえ、これから約1年間をかけて、ご遺体様から解剖学を学ばせていただくのだ。この儀式だけで勝手に身が引き締まるというか、自然と真摯(しんし)な気持ちでいないと立ち入れない場所であることが認識できた。

 読経が終わると、解剖学の教授が口を開いた。

「君たちは、大学に在籍中の6年生までの間に、2度の衝撃を受ける。そのうちの1回目が今日になる」

 一言一句は覚えていないが、確かそういった話をされたと思う。

 さらに教授は次のように言葉を発した。

「ここであったことを口外してはいけないよ」

 お気づきだろうが、つまりはこの記事そのものがすでに、当時言われた「してはいけない」ことをしてしまっている。しかも物議を醸した女医に関して言うなら、彼女はご遺体様の脂肪の厚さを含めたディテールまで口外してしまっていた。

「美容医療のお医者さんは、7割とか8割くらいはロクでもない」(高須幹弥氏)

 ましてやご遺体様の前でピースサインをしながら写真に収まるなんて、あの状況下でよくできたものだ、と誰もが思うように、倫理観を疑う心境になることには激しく同意する。

 しかしながら百歩どころか百万歩以上譲って思うのは、献体されたご遺体様を実習させていただく行為は、常識的には考えられない状況にいて、感覚的にも、これ以上ない非日常の場にいる。だからと言って決して許されることではないが、少なくとも自分が体感した実習室の雰囲気は、和気あいあいとは無縁の空間で、極度の緊張感が漂っていたが故に、通常の判断ではあり得ないことをしでかす可能性が決してないわけではないことも、他人様よりは実感できる。

 実は今回の騒動を知ってから、それに関する動画や記事を多数確認したが、その中には、例えば「高須クリニック」の高須幹弥氏のYouTubeチャンネルがあった。そこには、高須氏ご自身が体感した解剖学実習の頃の話を口にしている動画があり、確認していくと、自分もそんな話を聞いたことがある、と思い当たるエピソードが紹介されていた。

 それに該当する動画の主旨としては「僕より若いお医者さん、医学生にしっかりと聞いてほしい」としながら実習の様子を口にされていたが、その中に、高須氏が大学を受験する前の高校3年時の話が出てきた。高須氏いわく、「僕の通っていた高校は医学部に進む人がたぶん日本で一番多かった」ことからか、担任の先生から医者になるための倫理の話をよくされたという。

 そこには「解剖実習の時に、ご遺体の耳を切り取って壁にくっつけて、『壁に耳あり』ってやった生徒がいたと。その生徒は退学になりました」というエピソードが出てきた。

 この話は有名なのか、30数年前に自分が解剖学実習をさせていただいていた頃にも聞いたことがあった。自分のほうが高須氏よりも年齢が上なので、おそらく高須氏よりも先にこの話を耳にしていたはず。

 そう考えると、この話は相当に問題になったというか、もしかしたら当時の医学界をも揺るがせた事件の一つだったのかもしれないが、高須氏の話を聞きつつ、そんな話もあったなあと思わずまた、自分の記憶の扉が開いた。

 また、高須氏は別の動画で「(他の科に比べて)美容医療の医者はロクでもない医者の比率が高い」「僕の感覚だと美容医療のお医者さんは、7割とか8割くらいは、ホント申し訳ないんだけど、ロクでもないっていうかまともじゃない」といった発言もしていたが、現実的にそうなのかは別として、医師が患者の視点や負担を考えることを減らし、医療をビジネスだと割り切ってしまえば、そうした医師が横行し始めることは想像がつく。

 自分に関して言えば、当時は肉を食べる回数は減ったし、焼肉屋なんて絶対に行きたいとは思わなかった。実習前はそんな話もよく聞くな、と思っていたが、自分がその心境に陥ると、実習後に平気でそれをできる神経の持ち主を、さまざまな意味ですごいと思っていた。

ラテン語で覚えた臓器名と筋肉名

 自分の場合は、同時期に宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件があり、誘拐した幼女を解体するなどしていたことが報道されると、目的は違えど、よくもそんなことができるなと率直に驚かざるを得なかったし、時には「解体新書」を残した杉田玄白らは、江戸時代にどんな思いでご遺体様と向き合っていたのか、といったことも考えたりもしていた。

 それほど、たかだか20歳前後の、大した人生経験も持っていなかった自分にとって解剖学実習とは本当に衝撃的であり、特にその初日は尋常ならざる日だったと記憶している。

 結局、自分は大学には4年生まで在籍したが、諸々の重圧に耐えきれなくなって、先述通り、医師を志すことを選ばない道を選択した。あれから30数年がたち、自分が格闘技業界に身を置く生活をし始めて、かなりの年月が流れてしまった。

 当時の同級生には交流がある人物もいないわけではないが、全く違う業界にいるせいか、そこまで深い接点があるわけでもない。 

 そうそう、当時は臓器名もラテン語で覚えた。例えば「胃」は「stomack(ストマック)」ではなく、「bentricurus(ベントリクルス)」といった具合だったが、そこから格闘技関連に結びつけると、試合をする上で鍛えていく重要な肉体の一つに「首」がある。

 鍛える方法はさまざまだが、例えばブリッジで鍛えられる「首」の筋肉に「胸鎖乳突筋」がある。ラテン語だと「胸鎖乳突筋」は「sternocleidomastoideus(ステルノクレイドマストイデウス)」という長い名称になるが、長いがゆえに、今になっても忘れることはない。

 ちなみにこれは大相撲の世界の話になるが、相撲取り(力士)は十両以上に番付が上がると、「関取」と呼ばれ、勝ち星を重ねれば優勝して番付を上げていくことが許される。同様に番付によって履き物や着用する着物、帯、傘、髪型の種類も区別される。

 しかし横綱だけは、いくら勝ち星を積み上げようと、審議委員会が認定する「品格」がなければ昇格することはできないし、仮に昇格したとしても、長く横綱に居続けることはできずに引退していくケースも珍しくはない。

 要は、勝ち星を積み上げればチャンピオンになれるシステムとはまた違った仕組みの上に成り立っているのが大相撲という世界であり、これは日本固有のものになる。

 大相撲に関して言えば、最近は日本国籍を持たない、海外から来た外国人が増えたが、当然のことながら日本特有のしきたりやマナーを理解させることは容易ではないといった話を時折耳にすることがある。

 それでも、全ては「教育」の問題だと考える。

 そんな話から今回の女医のしでかした件に話を戻すと、彼女の行った蛮行に対し、医師免許を剥奪しろ、との声も上がっていて、確かにそれに値する間違いを犯したとは思うものの、そうはいっても間違わない人間はいないとも思ったりしている自分もいる。かといって、何をどう彼女が反省すれば世間が許してくれるのかと言えば、ここに至ってはそれに該当する知恵が自分には思い当たらないが、堀江貴文氏はXで「彼女はまたやらかす可能性は高いと思います」とコメントしている。

 いずれにせよ、早急に認識を改めつつ、この国が改善しなければいけないと思うのは、倫理観や道徳観を深める「教育」の重要性に違いない。この問題は医学界のみならず、この国全体の「教育」の問題として、何よりも大きく考えていくべき事案であると考える。

次のページへ (2/2) 【動画】解剖学実習をしていた頃の記憶が蘇った男の実際の動画
1 2
あなたの“気になる”を教えてください