裕福な家庭から転落「借金だけ残った」それでも…『北の国から』倉本聰が明かした「すごく大事な遺産」
脚本家の倉本聰が21日、TBS系『人生最高レストラン』(土曜午後11時30分)に出演し、父との思い出と、名作『北の国から』(フジテレビ系)との繋がりを語った。
『人生最高レストラン』で実体験と『北の国から』の繋がり明かす
脚本家の倉本聰が21日、TBS系『人生最高レストラン』(土曜午後11時30分)に出演し、父との思い出と、名作『北の国から』(フジテレビ系)との繋がりを語った。
戦前生まれの倉本は、裕福な家庭で育った。父親は出版社を経営しており、「製薬会社もやっていたのかな」。だが、「国債を買った」ことで「全部パーになっちゃった」そうで、倉本は「戦争の犠牲者」と語った。以降は生活が一変し、「住むところもなくなった」。父親は、「いろいろな仕事に手を出して、どれもうまくいかなかった」そうだ。
「遺産なんてなかった。借金だけ残った」。倉本はそう思っていたものの、「30歳くらい」の時、「俺、親父に遺産以上のものをいろいろもらってる」と「ハッと気づいた」。父親は「日本野鳥の会」の創設者である中西悟堂氏のスポンサーだったそうで、「富士山麓なんかに野営に行って、鳥の実態をカメラで撮ったりしてて。一緒にキャンプをしてたのね」「その頃の僕、鳥の声が全部、わかりましたよ」と回想した。物理的な遺産はほぼなかったものの、自然を愛する心など、たくさんの精神的な遺産を残してくれた。倉本は「すごく大事な遺産でしたね」と感謝した。
このエピソードを受け、MCの極楽とんぼ・加藤浩次が「その遺産を倉本先生が思ってて、『北の国から』の遺言(2022遺言)ってシリーズで、あれは、お父さまから倉本先生がもらったものを、五郎さんが純と蛍に(遺言として)渡したっていう形にしたってことですか?」と聞くと、倉本は「かもしれませんね」と回答。「あんまり、そういう意識はなかったかもしれないけど……」とし、「かもしれない」としみじみつぶやいた。