球界のレジェンド・桑田真澄、現役時代に“絶望”「味わせてくれたのが清原くん」
元プロ野球選手で巨人の2軍監督を務める球界の大物レジェンド・桑田真澄が17日放送のフジテレビ系『ぽかぽか』(月曜~金曜午前11時50分)に生出演した。
武勇伝を紹介
元プロ野球選手で巨人の2軍監督を務める球界の大物レジェンド・桑田真澄が17日放送のフジテレビ系『ぽかぽか』(月曜~金曜午前11時50分)に生出演した。
ジャイアンツ大好き芸人・レッド吉田はスタジオに登場するなり、桑田に向かって深々とお辞儀。「とんでもない方ですもんね」と話を振られると、「スターになる瞬間を私、同じ球場で見ていますから」と自慢気に語った。
その後、桑田の武勇伝をフリップでまとめて紹介。1つ目は「『ほぼ中3』で甲子園優勝」。桑田は1968年4月1日生まれで、レッド吉田は「究極の早生まれ。ほぼ中学3年生が甲子園優勝した」と、当時高校1年生でPL学園のエースとなり、全国制覇を成し遂げた伝説を紹介した。
2つ目は「元祖・二刀流」。レッド吉田は「本当は三刀流。守備めちゃくちゃ上手い。甲子園でも6本ホームラン」と言い、甲子園で6本のホームランを打ったことを伝えた。この記録は、甲子園歴代ホームラン数で元木大介、中村奨成と並ぶ2位の成績で「ピッチング、バッティング、走塁、守備も全部できる人」と称賛した。
桑田が好きだったのは“守備”だと言い、「守備、バッティング、走塁。一番苦手だったのはピッチング」と明かすと、驚きの声が上がった。
3つ目は「小柄な体格を頭脳でカバー」。桑田は「背が低かったので、手も大きい人に比べて短い。ですから左の腰を支点に投げていました。自分で編み出していました。ピッチャーをクビになった時でも、野球界の常識がたくさんあって……。常識通りやればやるほどヘタになって、ピッチャーをクビになった。常識を疑ってみようということで、自分は小さい、体格、パワーに絶望した訳ですよね。この絶望を味わせてくれたのが清原(和博)くんだった」と振り返った。最後は「ボールと会話できる」だった。
これらのエピソードにネット上では「まさかのNG無しでトーク! 凄い」「生バラエティでトークなんて初めて見る」「大大大スターなのに気さくでおっとりした感じが素敵過ぎ」といった声が上がった。