「僕は道を間違えなかった」クレベル・コイケの日本への思い 明かした日系人としてのプライド「夢を決してあきらめるな」
クレベル・コイケ(35=ボンサイ柔術)は大みそかに、格闘技イベント『RIZIN DECADE』のメインイベントとして現RIZINフェザー級王者の鈴木千裕(25=クロスポイント吉祥寺)とのタイトルマッチに挑戦する。復権を目指す闘いに臨む元王者が明かした日系人としてのプライド、そして日本への思いに迫った。
14歳で出稼ぎの両親と共に来日
クレベル・コイケ(35=ボンサイ柔術)は大みそかに、格闘技イベント『RIZIN DECADE』のメインイベントとして現RIZINフェザー級王者の鈴木千裕(25=クロスポイント吉祥寺)とのタイトルマッチに挑戦する。復権を目指す闘いに臨む元王者が明かした日系人としてのプライド、そして日本への思いに迫った。(取材・文=浜村祐仁)
元RIZINフェザー級王者クレベル・コイケには常に心に留めているポルトガル語がある。
“Nunca desita dos seus sonhos(夢を決してあきらめるな)”
彼を知らない人にとっては綺麗事に聞こえるかもしれない。しかし、クレベルはそれを否定する。何度倒れても立ち上がる。格闘家として闘い続ける限り、この言葉が正解であると証明し続ける。
ブラジル南東部に位置する南半球最大の経済都市サンパウロ。クレベルが生まれ育った故郷だ。東京からは直線距離で約1万8600キロメートル、直行便はない。乗り継ぎを含めると最短でも23時間かかる。そんな日本の裏側から約20年前、仕事を求めた両親とともに来日した。
「日本に対してはなんのイメージも持っていなかった。だけど、簡単ではない、絶対に苦労するというのだけは分かっていた」。時折、遠くを見つめながら、来日当初よりは遥かに上達した日本語も交えて当時を回想した。
「(来日当初は)日本は規律の厳しい国。右も左もやっちゃいけないことばかりの国だと思った。だからとにかく、家族。私の家族が良い方向に進んでくれればいいなと、それだけを考えて過ごしていた」
愛する家族のため、クレベルは格闘技を通してみずからの人生を切り開いていった。2017年には、完全アウェイのポーランド・ワルシャワの地でヨーロッパ最大のMMA団体「KSW」のフェザー級王者に輝いた。さらに、22年には当時の王者・牛久絢太郎にも勝利しRIZINフェザー級のベルトも手にした。
「僕は出稼ぎとしてきた外国人だ。出稼ぎで日本に入ってきて格闘家になって、ちゃんとここまで活躍している、そんな人はなかなかいないはずだ。でも僕はここまできた。だからもっとやりたいんだ」。外国人として異国の地で生き抜いてきたプライドがある。
しかし、歩んできた格闘技人生は決して順風満帆ではない。最も大きな挫折は23年6月の『RIZIN.43』。前日計量に失敗した。王者として鈴木千裕との防衛戦を翌日に控えたなか、400グラムオーバーした。集まったファンの前で涙が溢れた。クレベルが王者でなくなった瞬間だった。夢と明かしていたRIZINのベルトはたった8か月で、リングで闘うこともなく消えていった。
「本当にね、気持ちが難しかった。落ち込んだ。400グラム、自分にとってこれは重いな。僕はファイターとして長い。いつも言ってるけど、体重をクリアできないなんてプロフェッショナルじゃない。しかも私は二回目ね(KSW在籍時も体重超過でベルト剥奪)。だからすごい怒ったね。自分に対して本当に怒った」
当時の激しい失望が表情から感じ取れた。しかし、クレベルは折れなかった。23年の大みそか大会で初代フェザー級王者の斎藤裕に一本勝ちし約1年ぶりの勝利を挙げると、今年6月には元バンタム級王者のフアン・アーチュレッタを圧倒した。元ベルト保持者同士の闘いに連勝し、再びチャンピオン戦線に返り咲いた。
「モチベーションは自分自身のストーリーなんだ」
メインイベントとして決まった大みそかでの鈴木千裕とのタイトルマッチ。ベルト失ったその日から待ちわびていた再戦がついに実現する。
「一年半ずっと待ってたから、めっちゃ嬉しいな。千裕は本物のファイターだよ。フェイクじゃない。バックステージでは彼は本当に優しい。真面目だし、リスペクトしている」
「2回タイトルマッチやるのは本当に難しいんだよ。1回でさえ難しいのに2回目はもっとね。でも私は道、それを間違えなかった。違う道に行っていたら多分できなかった。私は気持ちが強いんだよ」
逆境からの挑戦、それ自体がクレベルを動かす原動力となっている。
「自分の一番は家族ね。それからもう一個のモチベーションは自分自身のストーリーなんだ。私は外人として日本に来て、全部自分でチャンスを作ってきた。気持ちが落ちたら、自分でもう1回盛り上げられる。これが私の自信になっているんだ」
来日から20年。言葉に詰まってもできる限り日本語を使おうと努力している。そこには過ごしてきた日本への感謝がある。
「日本は日出づる国だよね。真面目にやっていればみんな自分を理解してくれる。本当に素晴らしい国。RIZINではそんな日本の力を世界に見せることができると思う。マーシャルアーツ(武道)は、この国でスタートしたよね。たぶん日本じゃなければ私はここまでこれなかった。本当に感謝している」
「だから、日本で格闘技をやるのは少し難しい気持ちになるんだよね」。少し笑みを浮かべながらクレベルは続けた。
「日本には熱いファンがいて、本当に心も近い距離で応援してくれるから。ワルシャワの6万人の(スタジアム)とは違うよね。向こうでは喋っている言葉も何も分からないし、大声でとにかく相手だけを応援するから、僕もカチンと来て逆にそれがパワーになることもあった。雰囲気はやっぱり全然違う。当然、日本のほうがいいんだけど難しいこともあるね」
「ファンの思いは全部感じるんだ。向こうでは何もなかった。ここだけなんだ」
日本で家庭を築き、10月には第4子となる男の子が誕生した。ドラゴンのように強い子どもになってほしいと願いをこめ“Ryu”と名付けたという。守るべき存在も増え、格闘家としてさらなる高みを目指している。
最後に、彼のように夢を描いて暮らしている人々、そして日本に暮らす約21万人のブラジル人、ブラジル系日系人の仲間に伝えたいことがある。
「必ず諦めないで夢を信じてくださいということ。それがぼくのメッセージ。(夢をかなえれば)お金は自然にもらえる。だから最初からお金だけで物事を選ばないで。簡単ではないよ。それは間違いない」
「でも、神様を信じて、目標を目指して、考えて、やり続ければ必ず願いは叶う。格闘技でも普通の仕事でもそうだよ。僕は乗り越えて結果を出せた。だから絶対に諦めないで」
取材を終え、別れ際にクレベルと両手で握手をした。チャンピオンを目指して今日も闘い続ける男は、ゴツゴツと分厚い手をしていた。