富士山2240回登頂、81歳ベテラン登山家が死の恐怖を感じた日「あんな怖い思いはしたことなかった」

毎年多くの登山客が訪れる日本一の山・富士山。そんな富士山に魅せられ通い詰めること39年、多くの登山者から“ミスター富士山”として親しまれる男性がいる。今年で2240回目の登頂を果たした實川欣伸(じつかわ・よしのぶ)さん(81)に、日本一の山に登り続けるワケを聞いた。

富士山に2240回登頂した“ミスター富士山”こと、實川欣伸さん
富士山に2240回登頂した“ミスター富士山”こと、實川欣伸さん

65歳から本格挑戦 年間248回登頂、75日間連続2回登頂など驚異的な記録を樹立

 毎年多くの登山客が訪れる日本一の山・富士山。そんな富士山に魅せられ通い詰めること39年、多くの登山者から“ミスター富士山”として親しまれる男性がいる。今年で2240回目の登頂を果たした實川欣伸(じつかわ・よしのぶ)さん(81)に、日本一の山に登り続けるワケを聞いた。(取材・文=佐藤佑輔)

 子どもの頃から自然が好きだったという實川さん。中学2年生のとき、友人らとテントを担ぎ2泊3日で登った東京都西部の三頭山が人生最初の登山体験だという。以来、関東近郊や日本アルプスなど、各地の山へ足を運んできた。戦前生まれで、今年81歳を迎えたが、実は富士山に初登頂したのは人生の半分を過ぎてから。42歳のとき、家族5人で登ったのが初めての思い出だと振り返る。

「30歳で結婚して、35歳のときにこっち(静岡・沼津市)に引っ越してきて。子どもが生まれると山に連れていきたくなるんですよ。それまで北アルプスも含め、高い山にはあちこち登ってきたけど、やっぱり富士山は少し違った。山頂に立つと、神様になったような思いになりました」

 当時働いていた電子部品の製造会社には海外からの研修生が多く、年に5~6回、職場の同僚を連れて富士登山をガイド。そのうち、夏になると自然に富士山に足が向くようになったという。2007年、64歳で定年退職したときの通算登頂数は355回に達していた。そして、翌08年から日に2~3往復、ときに4往復をこなす怒涛(どとう)の挑戦が幕を開ける。

「当時、立教高校山岳部の教員が現役最多登頂記録を持っていて、その人が退職してから年間50回とか登り始めて、負けたくないなと思ってしまって(笑)。追いつくために、よし、こっちは年間250回登ってやろうと」

 早朝に沼津の自宅を出発、登山口に車を止め、そこから山頂まで2往復すると、車中泊で仮眠をとり、翌日また2往復。一度自宅に帰り、翌朝には再び登山口まで車を走らせる。こんな生活を続け、65歳で年間248回登頂、75日間連続2回登頂など、驚異的な記録の数々を打ち立てた。

「だいたい2往復して9時間くらい。不思議なことに、山にいる間はまったく疲れない。家に帰ってくると廃人ですよ。とにかく雨が降っても槍が降っても登った。靴が乾く暇もないので、いつも車には登山靴を10足以上積んでました」

 實川さんが過酷なチャレンジを始めた当時は、イチローがメジャーリーグでシーズン200安打記録を伸ばしていた時期。「自分は富士山でシーズン200登頂記録を目指そう。登山界のイチローになろう」と、年を重ねるごとに登頂数を伸ばしていった。

2014年から3年連続でエベレストに挑戦するも、いずれも登頂には至らず無念の撤退

 富士山の登頂記録と並行して、世界の名だたる高峰へも挑戦を重ね、エベレストを除く7大陸最高峰に登頂。14年には満を持してエベレストに初挑戦するも、大規模な雪崩発生による登山規制で無念の撤退を余儀なくされる。

「テレビの企画でタレントのなすびくんと一緒だったんですが、中止が決まったときは2人でワンワン泣いて……。帰国してからも魂が抜けたような感じで、富士山に登っても今まで片道2時間の道のりに7時間もかかってしまう。『實川の富士山はもう終わった』とも言われました」

 失意の中から再起できた要因は、やはり記録の存在だ。「史上最多とされていた富士山登頂記録が1672回で、あと50回登れば超えられるというところまで来ていた。やっぱり、人間目標がないとダメだね。マスコミからもいつやるんだと発破をかけられて、テレビが入る予定の達成日を先に設定して、そこに間に合わせるため死に物狂いで登りました」。14年7月16日、単独史上最多となる1673回に到達すると、その先は前人未到の領域へ。10年間で500回を超える上澄みを重ね、昨年の閉山日には2230(ふじさん)回の登頂を達成した。

 振り返れば決して平坦な道のりだったわけではない。10年には心臓にペースメーカーを入れ、14年から3年連続で挑戦したエベレストでは凍傷で指を失った。近年は帯状疱疹の症状がひどく、思うように体が動かない日も多いという。これまでで最も命の危険を感じた瞬間には、意外にも今夏の富士山を挙げる。

「8月23日にテレビの収録で登ったんだけど、下山のときに上の方が輝いているような、見たこともない雲が広がっててね。同行者が『髪の毛が逆立つんですけど……』、ストックをザックに差してるやつは『背中がしびれる』っていうんですよ。そこから爆弾が落ちたような猛烈な雷雨が来て、あまりの雨にブルドーザーもキャタピラがきかない。歩けない若い連中を放っておくわけにもいかなくて、幸い全員無事でしたが、あんな怖い思いはしたことがなかった」

 近年では、山小屋での宿泊を伴わない夜間登山を「弾丸登山」として規制したり、インバウンドやオーバーツーリズムによる問題から、一部登山道で入山料の徴収や事前予約制が導入されている。変わりゆく富士山の姿をどう見ているのか。

「日本一山を知らない人が登る山が富士山。そして、規制する側もまた山を知らない人間という印象です。登山スタイルも多様化していて、一概に短パンや運動靴の軽装登山が悪いというわけではない。一方で、体力さえあればいいというのもまた違う。それぞれが山と自分の実力を比較して判断するべきで、一律で規制すればいいというもんじゃないでしょう。山小屋に泊まることが前提の弾丸登山禁止もどうかと思う。富士山は誰のものでもないのに、山小屋と行政のための山になっているなと感じます」

 誰よりも富士山を知る實川さんも80代。今夏の思いがけぬ経験のように、当然ながら挑戦にはリスクもつきまとう。次なる目標はどこにあるのか。

「実のところ、今はもうそれほど富士山に思い入れはないんです。2230回までは頑張れたけど、今年は天候も悪くて登頂はまだ10回きり。80代で年間100回とか(富士山の標高と同じ)3776回とかいろいろあるけど、願わくばもう一度エベレストに挑戦したい。何歳になっても夢だけは諦めずに持ち続けようと思ってます」

 日本一の山から世界一の山へ、ミスター富士山の挑戦は続く。

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