東京マラソンは「作られたレースではない」 伴走者は30キロまで…“選手主体”の大会ポリシー

2007年の第1回大会以降、年々多くのランナーが参加し、都内の街を駆け抜ける東京マラソン。13年には世界の主要なマラソン大会である「ワールドマラソンメジャーズ」に認定され、ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークと並ぶ世界6大大会の一つに位置付けられている。世界規模の大会になるまでには、どんな道のりがあったのか。一般財団法人東京マラソン財団の早野忠昭理事長と、今年から新たにレースディレクターに就任した大嶋康弘氏に、東京マラソンの舞台裏や財団の理念を聞いた。

ガッツポーズを見せた早野忠昭理事長と大嶋康弘氏(右)【写真:ENCOUNT編集部】
ガッツポーズを見せた早野忠昭理事長と大嶋康弘氏(右)【写真:ENCOUNT編集部】

国際基準に沿った大会運営を徹底

 2007年の第1回大会以降、年々多くのランナーが参加し、都内の街を駆け抜ける東京マラソン。13年には世界の主要なマラソン大会である「ワールドマラソンメジャーズ」に認定され、ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークと並ぶ世界6大大会の一つに位置付けられている。世界規模の大会になるまでには、どんな道のりがあったのか。一般財団法人東京マラソン財団の早野忠昭理事長と、今年から新たにレースディレクターに就任した大嶋康弘氏に、東京マラソンの舞台裏や財団の理念を聞いた。(取材・文=幸田彩華)

 今や国内外のランナーが集う一大イベントに成長した東京マラソン。現在は毎年3月の第1日曜日に実施されており、24年は3万8000人のランナーが参加、都内の名所を巡り東京駅前でフィニッシュを迎えた。また、大会はランナーだけでなく、ボランティアや市民が一体となって運営。近年では、持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向け、チャリティー事業やスポーツボランティア活動、さらにはオフィシャルパートナーとの連携を通じて、サスティナブルな大会運営に取り組んでいる。

 今回、大嶋氏が就任したレースディレクターは、42.195キロのコース全体の設計や大会全体の運営・管理を担い、参加者の安全を確保しながら円滑な進行を図る。事前準備から大会終了まで全過程を指揮する、大会の成功に不可欠な役職だ。

 日本陸上競技連盟、日本オリンピック委員会、日本大学競技スポーツ学科教授などの経歴を持ち、23年9月から東京マラソン財団でアシスタントレースディレクターも務めてきた大嶋氏は「理事長は私の前々職の上司で、一緒に仕事をしてきた関係があり、日本陸連に移ってからも助言をいただいていました。『元々持っていた陸上への思いを実現した方がいいのではないか』といったアドバイスを受け、当初はあまり意識していなかったものの、話を重ねる中で、スポーツの枠を越え社会や街づくりにも影響を与える仕事だと感じるようになりました。いくつかの条件が整い、ようやくこの職を引き受けることになりました」とレースディレクター就任の経緯を語る。

 大嶋氏を抜てきした理由について、早野理事長は「レースディレクターの役割は、レースそのものだけでなく、マーケティングやさまざまな構成要素を管理するもの。メジャー(大会など)との関わりもあり、英語力や陸上競技への理解が求められます。コロナ禍を経て、“One step ahead (ひとりひとりが、それぞれのやり方で少しずつでも先へと進む、前向きな気持ち)”というスローガンを掲げ、マラソンやランニング文化における『次の一歩』とは何かを考えたときに、レースディレターの役目を果たせるのは彼しかいないと確信しました」と絶大な信頼を寄せる。

 12年から24年まで12年間にわたりレースディレクターを務めてきた早野理事長は、東京マラソンを「グローバルスタンダードなレース」にすることを目標に、国内に世界記録保持者を招待するなど、国際基準に沿った大会運営を徹底してきた。早野理事長の姿勢に対しては「国内選手を疎かにしているのではないか」との批判もあったというが、「世界で戦える選手を育成するには、厳しい環境が必要です。それが理解されないこともあるかもしれませんが、我々は徹底してグローバルスタンダードのレースを目指しています。国際的にも遜色なく、“世界の東京マラソン”と呼ばれる大会にすることが重要だと考えています」と、世界に誇る大会作りへの信念を示す。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、20年大会はマラソンエリートと車いすエリートの部のみ開催となり、一般の部は中止。21年大会も緊急事態宣言の影響で延期となり、翌22年に定員を従来の3万8000人から2万5000人に縮小して開催した。感染者数が減少に転じた23年には、4年ぶりに完全開催が実現。早野氏は当時の状況について「東京マラソン2020大会では一般枠を多く設けていたにもかかわらず、一般ランナーが参加できない事態に至りました。大会の2週間前に中止を決定することは非常に苦渋の選択で、『(この先)大会が続けられるのか』という不安を感じていました」と振り返る。

 再開に向けては「再び東京マラソンを実現する」という関係者の強い思いが根底にあった。中止の決定により、赤字を抱え、スポンサーやランナーにも多大な迷惑をかけたものの、結果的に多くの学びもあったという。テロ対策や貿易の重要性に加え「安心・安全な大会運営の徹底が今まで以上に重要」と実感。コロナ禍での経験を生かし、さらなる努力を続けている。

 東京マラソンでは有名人ランナーの出走も話題を呼ぶ。「視聴率狙いみたいなことをやりたがる人たちも多いですが、僕らとしては客寄せパンダ風なことはやりたくない。有名人でも一般抽選枠を受けてくださいとお断りした場合もあります」と早野理事長。参加者全員にとって意義ある大会を目指す姿勢を強調する。

東京マラソン2025メインビジュアルとともに撮影した早野忠昭理事長と大嶋康弘氏(左)【写真:ENCOUNT編集部】
東京マラソン2025メインビジュアルとともに撮影した早野忠昭理事長と大嶋康弘氏(左)【写真:ENCOUNT編集部】

2025大会からは新しい試みとして「ノンバイナリー」部門が新設

 今後、他のマラソン大会とどう差別化を図っていくのか。大嶋氏は「シカゴやベルリンといった大会は『記録が出るレース』と認識されていますが、ワールドマラソンメジャーズのエリートポイント制度で現在の暫定世界1位は、男子も女子も東京マラソンで優勝した選手なんです」と大会の意義を語る。

 エリートポイント制度とは、エリートランナーを対象にしたポイントランキングシステム。年間を通じ、指定されたアボット・ワールドマラソンメジャーズにおける成績に基づいてポイントを獲得、その合計により年間ランキングが決まる。シーズン終了時に最も多くのポイントを獲得した選手が栄誉を称えられるという制度だ。東京マラソンの優勝者が世界ランク1位というのは、大会に箔をつける上でも重要な要素となる。

 さらに「東京マラソンは他のレースとは異なり、“作られたレース”ではない」と大嶋氏。「これは批判ではなく、それぞれの大会の方針の違いによるものですが、シカゴやベルリンでは記録を狙うため、ペースメーカーがフィニッシュ間近まで伴走するようなレース運営がされています。一方、東京マラソンでは、ペースメーカーは30キロ以上は伴走しないポリシーを採用していますが、それにもかかわらず、男子で2時間2分台、女子で2時間16分台といった高速記録が誕生しています」と他のレースにはない特徴を語る。

 ペースメーカーとは、出場選手に目安となる走行ペースを教える役割を果たすランナーのこと。ペースメーカーが一定のスピードを保つことで、選手はリズムを崩さずに走ることが可能となるが、東京マラソンではペースメーカーの伴走を30キロ地点までと定めており、その後のレース展開は選手自身の判断とペースに委ねられている。近年では選手の意欲や自主的なペース戦略によって高い記録が生まれることが証明されており、東京マラソン独自の魅力としてこの方針は引き継がれていくという。

 今年10月に行われたシカゴマラソンでは、ケニア代表のルース・チェプンゲティッチが女子で2時間9分台という驚異的な世界新記録を樹立した。大嶋氏は「将来的にはそのレベルにも挑戦し、記録が出る大会に育てていきたいと考えています。東京マラソンは選手たちが主体となり、そこで生まれる記録にこそ価値があるレースだと思っています。これからもエキサイティングなレースを継続したいと考えています」と今後の展望を吐露。大会全体のレベル向上のため、コースマップについても「記録が出やすくなるよう、改善したい箇所がいくつかある」と改善を視野に慎重に取り組んでいく姿勢を示している。

 2025大会からは新しい試みとして「ノンバイナリー」部門が新設される。ノンバイナリーとは、自身の性自認・性表現に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティーのことで、今後は男性や女性といった枠組みに捉われない新たなレースの形を模索していく。

「諸外国に比べて、日本はLGBTQに関して遅れている印象があります。『東京はどうするんだ、いい加減にしろ』という声が積年にわたって上がっていましたが、これまで決断に至らなかった理由として、スポーツ庁や日本陸連のルールに基づいて対応する必要があり、時期尚早とされてきた経緯がある。しかし、メジャー6大会の中でノンバイナリーの人々から『私は出場できない』『東京だけが対応していない』という声が上がり、あらゆる人が参加できる環境を整えることが大前提だと考え、ノンバイナリー部門を設けることにしました」と早野理事長。具体的な運営に関しては「ノンバイナリー部門で性別を変更して順位づけを行うことは、本人だけでなく周囲にも混乱を招く可能性があります。そのため、ノンバイナリー部門では、ノンバイナリーの人々同士で順位をつける形にすることが適切だという結論に至りました」と説明する。

 10万円以上の寄付金で出走権を得ることができる「チャリティランナー」部門にも賛否がある。早野理事長は「一部で『プレミアムチケット』と揶揄されることもある」と明かしつつ、「でも、人を助けることの気持ち良さってありますよね。例えば、おばあちゃんが信号を渡れない時に手を引いて『ありがとう』と言われると、悪い気はしません。東京マラソンのコンセプトは『走る喜び』。走ることが好きな人、ボランティアやパートナーの支え、さまざまな形での支援があり、それぞれがその活動に誇りを持てることが大切です」。寄付金がどこに使われるかは自由で、フレキシブルでオープンな仕組みである点を強調する。

 25大会の寄付金及びチャリティランナー募集では、過去最高額となる11億6860万9562円の寄付金が集まった。「海外と比べるとまだまだですが、日本でもチャリティー文化は確実に根付いてきています。子どもたちから『ありがとう』と書かれた手紙が届いたり、オリンピック選手の支援や、英語を学ぶための資金としてチャリティが役立ったりする場面もあります」。チャリティも東京マラソンの大切な文化として育てていくつもりだ。

 東京マラソンは27年に20周年を迎える。大嶋氏はあらためて「日本国内でこれほど社会に浸透した組織やイベントは他にないのではないかと思います。大好きな陸上競技で、東京マラソンを通して世界記録を達成し、『すごいな』と思っていただけるようなレースを提供したい。一般の参加者の方々にも楽しんでいただき、誇りを感じてもらえるマラソンであると同時に、エリートランナーの方々にも『東京マラソンこそが世界一』と自信を持って参加していただけるような、両方の面で充実したレースをつくりたいと思っています」と今後の大会運営に力を込めた。

■早野忠昭(はやの・ただあき)1958年4月4日、長崎県出身。2006年、東京マラソン事務局広報部部長。10年7月、東京マラソン財団事務局長。12年4月、東京マラソン財団事業局長、レースディレクターに就任。13年4月、東京マラソン財団事業担当局長、レースディレクター。17年2月、国際陸連(現・世界陸連)ロードランニングコミッション委員就任(~2020)。18年4月、(公財)日本陸上競技連盟総務企画委員、ロードランニングコミッションプロジェクトメンバー就任。18年11月、JAAF RunLink チーフオフィサー就任。23年9月、一般財団法人東京マラソン財団の理事長に就任した。

■大嶋康弘(おおしま・やすひろ)1969年10月11日、福井県出身。2003年4月、株式会社ニシ・スポーツ 海外事業部 担当部長。05年7月、日本陸上競技連盟 事業部 部長。15年4月、公益財団法人日本オリンピック委員会 マーケティング委員会委員(~2021)。19 年4月、日本大学 スポーツ科学部 競技スポーツ学科 教授。23年9月、一般財団法人東京マラソン財団 アシスタントレースディレクターに就任。

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